e
-x2 の,区間 [0,∞) における積分の値は √π の半分になることが知られている。
このような積分(通常は数直線全体にわたる積分で,この関数は偶関数なので積分値は√π)を Gauss(ガウス)積分と呼ぶこともあるが,Euler(オイラー)のΓ(ガンマ)関数と呼ばれるものの特別な値,すなわち Γ(1/2) である。
確か9月ごろだったと思うが,そのころ統計学が「マイブーム」だった友人の gk 氏から,Gauss 積分を高校レベルの知識で求めることはできるだろうか,と聞かれた。
僕が知っていたのは2重積分の極座標への変数変換を利用する,現在では非常に広く知られている方法だけであって,それは計算が容易ではあるけれども,2重積分の変数変換であるから,高校レベルを超えている。そしてもちろん gk 氏もその方法はよく知っており,それを踏まえた上での疑問だったのである。
特に心当たりがあったわけではないが,
とある大学院の入試問題が思い出され,その線で少し調査が進んだ。1894年に刊行された Méray 氏の微分積分学のテキストに,2重積分と微分・積分の順序交換を利用した Gauss 積分の求め方が載っている。積分すべき関数は具体的な関数なので,そうした2変数関数的な取り扱いを2変数関数を意識しないで,高校の知識だけで処理しようと思えばできなくもないことは,その調査後,しばらく経ってから気づいた。
ところで,そもそもいろいろな微分積分学の教科書では Gauss 積分の値をどのように導いてみせているのだろうか。それを調べれば,高校レベルのやり方が見つかるかもしれない。
そのように方向転換をしたところ,幸いなことに,藤原松三郎氏の『微分積分学第一巻』375ページにおあつらえ向きの方法が述べられているのが見つかった。
それは,同書 343--344ページで述べられている Wallis(ウォリス)の積公式と呼ばれるものを用いる方法である。
Wallis の公式は sin
nθ の [0,π/2] における定積分に関する漸化式から導くことができる。それは部分積分と置換積分の応用に過ぎないので,高校の数IIIの教科書などに発展的な話題として紹介されていることもある。つまり世間的にみて高校レベルという扱いなのである。
もっとも,そもそもの Gauss 積分が無限積分であって,それは高校レベルを超えてはいるが,定積分で表された関数の極限というとらえ方をすれば,高校生にも十分に理解できるものである。
これで『高校数学でわかるガウス積分』の話は一件落着した。
今回の調査をきっかけに,「誰が最初に Gauss 積分を求めたか」に興味が移った。すでに述べたとおり,この積分の値は Euler のΓ関数の特別な値にすぎない。したがって Euler は当然この値を知っていたと考えられる。Euler は Gauss が生まれる1777年よりも前に活躍した,18世紀を代表する大数学者である。
さらに時代をさかのぼるべく,多変数関数の微分可能性の定義の調査の一環として手に取った Cauchy(コーシー)の『微分積分学要論』(小堀憲訳)を見てみると,どうも
Γ(a)Γ(1-a)=πa/sin(πa)
という公式を先に導いておいてから,a=1/2 ととることで Γ(1/2) の値を出す方法を用いているようであった。Cauchy がこの公式をどのように導いたのか,それよりも前の記述を見てみても今一つよくわからないが,Cauchy は Euler の他に Legendre(ルジャンドル)の名を挙げているので,Legendre の著書を調べることを思い立った。しかし,Legendre 氏の著書といっても,具体的に何を調べればいいかまではわからない。とりあえず1820年代の後半に出版された,楕円関数と euleriennes(オイラーの)関数に関する三巻からなる著作をざっと調べてみた。この辺りかと見当をつけて開いた箇所では,すでに Γ(1/2) の値が出てきており,どうやら上に挙げた Γ(a)Γ(1-a) の公式から導いているらしい。Cauchy の要論の方が先(1823年。Legendre の本は1825年から刊行。)ではあるが,おそらく Cauchy が言っているのは Legendre のその本のやり方ではないかと思われる。
一方,Cauchy の本とは別の何かの本で,Laplace(ラプラス。彼の方法については後述。)や Jacobi(ヤコビ)の名を目にした。そこで Jacobi の全集 (Gesammerte Werke,全7巻) を見てみようかと思ったが,その前に,ようやく重要な文献を思い出した。
それは,Bourbaki(ブルバキ)の『数学史(下)』(村田・清水・杉浦訳,ちくま学芸文庫)である。二三年前に買ったとき,全部に目を通したわけではないが,ガンマ関数の章があったのを思い出したのである。
そこには(136--137ページ),Euler が Wallis の公式を用いて Γ(1/2) を求めたとある。
というわけで,藤原松三郎氏の著書で紹介されている方法が Euler のオリジナルの議論に近いことが期待される。
ただ,一連の調査の途中で見つけた Maurice Godefroy 氏の著書 "La fonction GAMMA; Théorie, historie et bibliograhie" (1901) の Chapitre III の冒頭には,sinπx の無限積による「因数分解」からΓ(a)Γ(1-a)の公式を導き,それからの帰結として Γ(1/2) の値が導かれている。その記述では Euler の著作を参照しており,フランス語がわからないため詳細は不明だが,そのやり方がいかにも Euler らしいので,おそらくそれが Euler オリジナルのやり方であろう。ただ,そうすると Bourbaki の記述とは異なるので,どちらが正しいのかはやはり Euler に聞くしかない。それは機会を改めて調査しようと思う。
ちなみに,Bourbaki の前掲書には微分積分学の歴史も述べられているが,それは一読の価値ありである。Wallis の公式が
Opera Mathematica の第一巻(1695年)所収の "ARITHMETICA INFINITRUM" (1655) に述べられているとのことであるが,それは "ARITHMETICA ..." の441--442ページおよび467--469のことと思われる。どういう議論からその公式を導いたのかはさっぱりわからないし,しかも円周率を表しているらしいのが,今日用いられているπではなく,□ で表しているように見える。 しかしラテン語はわからないので,これ以上の分析は僕には無理である。
なお,Opera Mathematica 第三巻の700ページを過ぎたあたりに,この公式に関して Leibniz(ライプニッツ)とやり取りした書簡が収録されている。第三巻は音楽理論や英語学に関する著作が中心であり,著作集には幾何学,代数学,組合せ論,論理学など,極めて多岐にわたる著述がおさめられている。第三巻の800ページの終わりごろには,どうも命題の逆・裏・対偶を解説しているらしい,今日の高校数学の教科書等でもおなじみの図が掲載されているのが印象に残った。
Wallis は "∞" の記号の発明者でもあったらしい。それは知らなかった。今後は,この記号を「Wallis の記号」と呼ぶことにしよう。
ふと Wikipedia の「ガウス積分」の項目を見たら,1812年の Laplace による求め方として,Méray のものと極めてよく似た計算法が紹介されていた。両者の最大の共通点は,円周率πを逆正接関数の値から出していることだと言える。
いずれにせよ,Gauss 積分は自然対数の底 e と円周率 π とを結びつける,いわゆる Euler の公式 e
πi=-1 とはまた違った関係式であって,数学的に大変興味深いものであるように思う。