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<読書感想文1107>日本の弓術

2011-05-28 00:34:31 | 
オイゲン・へリゲル述,柴田治三郎訳,日本の弓術,岩波文庫青661-1,第40刷(2010年)。


学習という行為を考える際に,日本における「道」を説いた書物が参考になるのではないかということに思い至り,岩波文庫で「風姿花伝」が出ていることは前々から知っていたので,それを求めに本屋に行ったら,本書に出会った。

当時ドイツの若手哲学者であったヘリゲル氏が東北帝國大学に招聘された折,阿波研造という当代随一の弓道の大家の下での五年にわたる修行の体験談が語られている。かねてより宗教的な神秘説に興味を抱いていたヘリゲル氏は,禅の精神を学ぶために,禅の精神が体現されている武道を修めようと考えたらしい。
阿波範士はそのような目的にとってまさにうってつけの先生だったようだ。

ヘリゲル氏は,言葉によって思考し,言葉を尽くして他者を説得するという西洋の哲学スタイルを徹底的に身につけた学者だったわけだが,日本における禅の思想はこのような態度とは正反対であり,思弁には重きをおかず,ただ実践あるのみというスタンスであった。

つまり,ある種の精神状態は,言葉では他者に伝えることは出来ず,それを知るにはただ当人が実際に体験するより他にないという,至極もっともな態度である。

ところが,西洋においては言葉ですべてを理解尽くそうという理念が根底にあるため,西洋人にはそのような日本的な考え方は非常に理解に苦しむものだったらしい。
ただ,ヘリゲル氏はマイスター・エックハルト (Meister Eckhart) という中世ドイツの神秘家の名をたびたび挙げており,氏はマイスター・エックハルトの思想は奥底で禅の思想と相通ずるものがあるとみていたようである。

本書は,ヘリゲル氏のドイツでの講演原稿の翻訳だそうだが,全部で三章に分かれている。

第一章はいわば序文であり,ヨーロッパ人にとっては弓術とは的を射るという競技,あるいはスポーツの一種に過ぎないが,日本においてはそうではなく,肉体的な鍛錬よりも精神的な鍛錬を目的としており,射るべき的は,離れたところに用意された物理的な的ではなく,射る人それ自身,つまり「己」であるという,難解な解説が述べられている。
ただし,ここに書かれていることは,現代日本に生まれた我々であっても,さまざまな機会に耳にしたようなことばかりであり,そういう意味では慣れているため,それほど奇異に感じない。
ところが,ヘリゲル氏はこのような考え方に全く不案内な聴衆に何とか雰囲気を伝えようと,言葉による分析を詳しく述べている。

しかし,そこには大きな矛盾がある。

それは,言葉では到底伝えられないとわかっていることをどうにか言葉で伝えようとする試みであり,極めて逆説的な行為なのである。ヘリゲル氏の胸中には大きな葛藤があったのではないかと推察される。

第三章は,第二章で述べられた体験談の総括であるが,これも僕にとっては難解な内容であった。
とにかく字面を目で追うものの,いたずらに時間が過ぎるだけで,内容はさっぱり頭に入ってこなかった。

このように第一章と第三章は難しかったのだが,第二章は阿波範士とのやり取りを中心とした稽古の様子を述べたものであり,これは非常に読みやすく,かつ楽しい内容であった。

「弓で矢を射る」という行為を理屈で理解し,スポーツとして習得しようとしてしまうヘリゲル氏に対し,阿波範士は謎めいた精神的なアドバイスしか与えてくれない。
なかなか範士に認めてもらえるような「離れ」が出来ないヘリゲル氏は,何度も暗礁に乗り上げる。
そうした紆余曲折を経てもなおあきらめずに修行を続けていくさまが,全くの門外漢が苦労してある道を習得していくという非常に興味深い学習プロセスの例を提供してくれており,一つの教育実践例として研究すべき題材ではないかと思われるのである。

そういう意味では,道を修めるという体験談から学習法について学ぶという僕の目的にはうってつけの本であり,この本とめぐり合えたことは嬉しいことであった。

さて,本編はページ数にして53ページしかないのだが,著者のヘリゲル氏や,師匠である阿波範士のその後が気になった。
そんな読者のためを思ってか,旧版,新版それぞれにたいする訳者後記が情報を提供してくれる。

また,ヘリゲル氏と阿波範士との間の通訳を務めた小町谷操三氏の述懐は,本編第二章を補う貴重な資料であると同時に,大変読みやすく,二人の師弟愛というものを感じさせる胸温まるエピソードもあり,読んで楽しかった。

そこで紹介されたエピソードの一つに,ヘリゲル氏が阿波範士に聖フーベルツスを題材にした絵を贈ったとあり,本書の67ページにその絵の図版が採録されている。
"Hubertus" で画像検索をするとカラーの図が見つかった。
大変神秘的で美しい絵画であり,二人の師弟愛の深さが偲ばれ,この絵を見ると胸が熱くなって涙が出そうになる。

結局のところ,本書を読んで胸を強く打ったことは,神秘説,禅,弓道,哲学や,修業の苦労話といった内容ではなく,師弟の関係,あるいはその関係に見られた真心や優しさといったような人間性のようである。

そうして読後感として胸に残るのは,人の温かさであった。

それは,小町谷氏の文章と訳者後記から強く感じた印象ではあるが,それらをふまえた上で本編であるヘリゲル氏の真摯な,しかし冷静で淡々とした論述を振り返ってみると,かえってその感が強くなった。

なんというか,美しく,温かい一冊であった。
コメント
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