梅田 聡,「あっ、忘れてた」はなぜ起こる 心理学と脳科学からせまる,岩波科学ライブラリー133,2007.
この本のことを忘れることはできないだろう。
なぜなら,この本を入れたカバンをうっかり電車の網棚に置き忘れたという苦い経験をしたからである。
ある時刻にあることをしなければならなかった。そのことは前もってわかっていたはずなのに,そのときに思い出すことができなかった。
その後でそのことを思い出し,「あっ,忘れてた!」と思う。
そんな経験は誰しもしたことがあるに違いない。
それほどまでに身近な経験を研究テーマにするというのは非常によい目の付け所だと思う。
ただし,身近だからといって簡単なわけではなく,結局のところ,こうした『想起の失敗』のメカニズムはまだ完全に解明されてはいないようである。
本書はこの現象をめぐる研究に関する最新の結果の報告である。
本書の中で「最も役に立つ」のは第5章であろう。
そこにはし忘れを防ぐための心得がいくつか述べられている。
とはいえ,「し忘れ」や「ど忘れ」の『目からウロコ』な分析から始まり,非常に面白い最新の研究結果が紹介されている第1章から第4章こそが,やはり本書の「最も役に立つ」部分ではないかと思う。
第1章では,思い出すという行為に関するエラーを,「し忘れ」,「し間違い」,「ど忘れ」などに分類し,それぞれのエラーの違いについて目からウロコな分析が披露されている。
各エラーの違いを際立たせるために,本章の記述はかなり工夫されている。
その説明は初め読んだときには見事な手品を見せられた気分で,非常に感心したと同時に腑に落ちないもやもやした気持ちにとらわれたが,少し考えたおかげで「タネ」を見抜くことができた。
ただ,その手品は鮮やかで実に楽しい体験であった。
この本で取り上げられるのは,必要なときにすべきことを思い出せなかった「し忘れ」である。
それは未来にすべきことに関する記憶,すなわち「展望記憶」に関するミスである。
第2章で,展望記憶に関する詳しい分析がなされる。
なぜ人はすべきだったことを正しいタイミングで思い出すことが出来るのか?
心理学者による「意図が生み出す緊張」という概念や,ツァイガルニーク効果というものは初耳で,面白そうであった。
また,心理学者のウィリアム・ジェイムスが提唱したとされる身体反応先行説,つまり,悲しいから涙が出るのではなく,涙が出るから悲しいのだという,日常感覚とは真逆な説も初めて知った。これまでの生理心理学の研究結果や,最近の脳科学の研究結果により,この説は裏付けられつつあるとのことで,広く学界で受け入れられているそうである。それは全く知らなかった。
ただ,僕が思うに,感情が実際に表出する方が身体反応や脳の反応よりも時間が掛かるため,これらの元となる反応は同時に生じるのだが,検出されるのが身体・脳の反応が先で,その後に感情の表出という順番になってしまうため,あたかも涙が出るから悲しいと感じるというような因果関係があるように見えるだけなのではないだろうか。
もっとも,こういう仮説を立てるのは自由だが,大事なことはその仮説を支持するような実験結果を得ることであって,そのような裏付けなしにはこの説はなんの価値も持たない。
なお,展望記憶は経験で培われた「スキル化された記憶」が担う側面も多く,また,手帳などの記憶補助を効果的に使うことにより,年齢を重ねても衰えないそうである。
コツは,『定期的に』スケジュール帳をチェックすることだそうだ。
何かの予定を調べるついでに他の予定も調べるのではなく,例えば昼休みに必ず予定を確認したり,帰り際にも確認したりというような,定期的なスケジュールのチェックが「し忘れ」防止に効果的らしい。
これらの点は,展望記憶というものが,何かを暗記するといった記憶力とはかなり質のことなるものだという思いを強くさせる。
第3章が本書の中心と言えるだろう。
「し忘れ」を科学的に分析するためには実験が欠かせない。
では,「し忘れ」を理解するために役立つような実験をどうデザインすればよいか?
これは難問であると同時に,うまい実験を工夫するというのは研究者の腕の見せ所でもあるだろう。
つまり,「し忘れ」という現象を浮き彫りにするようなよい実験を考案することが,研究の醍醐味ではないだろうか。
実験を考案するためには,「し忘れ」現象の何を見たいのか,ターゲットを絞る必要がある。
それには,「し忘れ」とは何なのか,改めてよく考える必要がある。
この章で筆者は「し忘れ」とは「存在想起の失敗」と「内容想起の失敗」の2種類がある,という分析を紹介している。
つまり,ある予定が実行できなかったというのは,予定そのものをすっかり忘れていたのか,何かをやるんだったかは覚えていたが,何をするのだったかを思い出せなかったのか,そのいずれかに分けられるというのである。
言われてみれば確かにそうであり,これら2つのミスは質も違うように思われる。
最近僕は部屋に入ったときに何を取りに来たのか忘れることが多く,「内容想起の失敗」をよくするようになった。
これは一体何が問題なのだろうか。それはそれで気になるところである。
おそらく,これは脳のリソースが問題なのだと思うのだが,どうだろうか。
つまり,他ごとに気を取られていると,思い出すタイミングや内容を忘れてしまうのではないか,ということである。
ある事柄に集中していたら,当然他ごとを思い出すのは難しいだろう。
こういった点も「し忘れ」研究に必要な視点だと思われる。
それにしても,なぜ「あっ,忘れてた!」と思うのだろうか。
この感覚はかなり強い,独特のものである。
「あっ,なるほど!」という強い納得とどこかよく似ている。
この感覚を味わっているときの脳の様子も,誰か調べてくれないだろうか?
「あっ,しまった!」という感情でもよい。
なお,脳をシステムととらえる立場では,何かが入力(刺激)となってすべきことが思い出される(ポップアップする)という「ポップアップ現象」が起こると考えるわけだが,その刺激が何かがわからないとのことである。
その刺激は外から受けるものではなく,脳の内部で入力が突如出現したものなのかもしれない。
しかし,もしそうだとすると,それ自体,つまり入力そのものがポップアップしたわけで,ではそのきっかけとなった入力はなんだったか,といういたちごっこが始まってしまう。
というわけで,僕はタイマーのような機能が脳に備わっているのではないかと考えている。
あるいは,脳を入力に対して出力するシステムととらえるのではなく,もっと別の機構として捉える必要があるのではないかと思う。
ともかく,脳がシステムだとしたら,何が入力なのかがよくわからないところが,入力と出力をコントロールして現象を捉える『実験』という手法にそぐわず,そのことが「し忘れ」を実験的に再現する困難の原因とのことである。
第4章ではfMRIなどによる脳の解析からのアプローチが検討されているが,「個性のわかる脳科学」で出てきたVBM解析という解析手法も取り入れたらどうなるのだろうか。面白そうだと思うのだが。
脳の損傷による健忘症の人たちと認知症の人たちの間に見られる展望記憶の障害の性質の違いを実験的に調べることにより,存在想起と内容想起をそれぞれ担う脳の部位が異なることが示唆されたとのことである。
フォールスメモリというものの研究が紹介されているのだが,そこでは意識的には間違いに気づいていなくても,脳自身は間違いに気づいているという非常に興味深い現象が述べられており,脳というのはすごいなぁとつくづく感慨にふけった。
「第1感」の話と何らかの関連があるのではないだろうか。
説明はできないのだけれど,何かがおかしい。違和感がある。
それはつまり,気づいている脳と,気づいていない意識との間のずれが違和感として認識されているということなのではないだろうか。
脳は意識しているよりも多くのことを判断しているということである。
そしてその判断は必ずしも意識に上るわけではないし,その判断がそのまま意識に上るわけでもないようである。
これは意識研究の面からも非常に興味深い研究テーマではないだろうか。
記憶力回復のためのリハビリテーションにおいてとられるアプローチのうち,4種類が紹介されていて興味深かった。
その中に「誤りなし学習法」という,学習訓練において有効な手法がある。
僕の宿題の問題などは逆に「謝りだらけ学習訓練」なので効率が悪いらしい。
それはちょっと無視できない問題なので,きちんと対策をとらないといけないだろう。
タルヴィングという人が1983年に提唱したという「検索モード」という概念は面白そうだ。
面白い実験のアイデアをひっさげてこの分野に参入できたらきっと爽快であろう。
この本のことを忘れることはできないだろう。
なぜなら,この本を入れたカバンをうっかり電車の網棚に置き忘れたという苦い経験をしたからである。
ある時刻にあることをしなければならなかった。そのことは前もってわかっていたはずなのに,そのときに思い出すことができなかった。
その後でそのことを思い出し,「あっ,忘れてた!」と思う。
そんな経験は誰しもしたことがあるに違いない。
それほどまでに身近な経験を研究テーマにするというのは非常によい目の付け所だと思う。
ただし,身近だからといって簡単なわけではなく,結局のところ,こうした『想起の失敗』のメカニズムはまだ完全に解明されてはいないようである。
本書はこの現象をめぐる研究に関する最新の結果の報告である。
本書の中で「最も役に立つ」のは第5章であろう。
そこにはし忘れを防ぐための心得がいくつか述べられている。
とはいえ,「し忘れ」や「ど忘れ」の『目からウロコ』な分析から始まり,非常に面白い最新の研究結果が紹介されている第1章から第4章こそが,やはり本書の「最も役に立つ」部分ではないかと思う。
第1章では,思い出すという行為に関するエラーを,「し忘れ」,「し間違い」,「ど忘れ」などに分類し,それぞれのエラーの違いについて目からウロコな分析が披露されている。
各エラーの違いを際立たせるために,本章の記述はかなり工夫されている。
その説明は初め読んだときには見事な手品を見せられた気分で,非常に感心したと同時に腑に落ちないもやもやした気持ちにとらわれたが,少し考えたおかげで「タネ」を見抜くことができた。
ただ,その手品は鮮やかで実に楽しい体験であった。
この本で取り上げられるのは,必要なときにすべきことを思い出せなかった「し忘れ」である。
それは未来にすべきことに関する記憶,すなわち「展望記憶」に関するミスである。
第2章で,展望記憶に関する詳しい分析がなされる。
なぜ人はすべきだったことを正しいタイミングで思い出すことが出来るのか?
心理学者による「意図が生み出す緊張」という概念や,ツァイガルニーク効果というものは初耳で,面白そうであった。
また,心理学者のウィリアム・ジェイムスが提唱したとされる身体反応先行説,つまり,悲しいから涙が出るのではなく,涙が出るから悲しいのだという,日常感覚とは真逆な説も初めて知った。これまでの生理心理学の研究結果や,最近の脳科学の研究結果により,この説は裏付けられつつあるとのことで,広く学界で受け入れられているそうである。それは全く知らなかった。
ただ,僕が思うに,感情が実際に表出する方が身体反応や脳の反応よりも時間が掛かるため,これらの元となる反応は同時に生じるのだが,検出されるのが身体・脳の反応が先で,その後に感情の表出という順番になってしまうため,あたかも涙が出るから悲しいと感じるというような因果関係があるように見えるだけなのではないだろうか。
もっとも,こういう仮説を立てるのは自由だが,大事なことはその仮説を支持するような実験結果を得ることであって,そのような裏付けなしにはこの説はなんの価値も持たない。
なお,展望記憶は経験で培われた「スキル化された記憶」が担う側面も多く,また,手帳などの記憶補助を効果的に使うことにより,年齢を重ねても衰えないそうである。
コツは,『定期的に』スケジュール帳をチェックすることだそうだ。
何かの予定を調べるついでに他の予定も調べるのではなく,例えば昼休みに必ず予定を確認したり,帰り際にも確認したりというような,定期的なスケジュールのチェックが「し忘れ」防止に効果的らしい。
これらの点は,展望記憶というものが,何かを暗記するといった記憶力とはかなり質のことなるものだという思いを強くさせる。
第3章が本書の中心と言えるだろう。
「し忘れ」を科学的に分析するためには実験が欠かせない。
では,「し忘れ」を理解するために役立つような実験をどうデザインすればよいか?
これは難問であると同時に,うまい実験を工夫するというのは研究者の腕の見せ所でもあるだろう。
つまり,「し忘れ」という現象を浮き彫りにするようなよい実験を考案することが,研究の醍醐味ではないだろうか。
実験を考案するためには,「し忘れ」現象の何を見たいのか,ターゲットを絞る必要がある。
それには,「し忘れ」とは何なのか,改めてよく考える必要がある。
この章で筆者は「し忘れ」とは「存在想起の失敗」と「内容想起の失敗」の2種類がある,という分析を紹介している。
つまり,ある予定が実行できなかったというのは,予定そのものをすっかり忘れていたのか,何かをやるんだったかは覚えていたが,何をするのだったかを思い出せなかったのか,そのいずれかに分けられるというのである。
言われてみれば確かにそうであり,これら2つのミスは質も違うように思われる。
最近僕は部屋に入ったときに何を取りに来たのか忘れることが多く,「内容想起の失敗」をよくするようになった。
これは一体何が問題なのだろうか。それはそれで気になるところである。
おそらく,これは脳のリソースが問題なのだと思うのだが,どうだろうか。
つまり,他ごとに気を取られていると,思い出すタイミングや内容を忘れてしまうのではないか,ということである。
ある事柄に集中していたら,当然他ごとを思い出すのは難しいだろう。
こういった点も「し忘れ」研究に必要な視点だと思われる。
それにしても,なぜ「あっ,忘れてた!」と思うのだろうか。
この感覚はかなり強い,独特のものである。
「あっ,なるほど!」という強い納得とどこかよく似ている。
この感覚を味わっているときの脳の様子も,誰か調べてくれないだろうか?
「あっ,しまった!」という感情でもよい。
なお,脳をシステムととらえる立場では,何かが入力(刺激)となってすべきことが思い出される(ポップアップする)という「ポップアップ現象」が起こると考えるわけだが,その刺激が何かがわからないとのことである。
その刺激は外から受けるものではなく,脳の内部で入力が突如出現したものなのかもしれない。
しかし,もしそうだとすると,それ自体,つまり入力そのものがポップアップしたわけで,ではそのきっかけとなった入力はなんだったか,といういたちごっこが始まってしまう。
というわけで,僕はタイマーのような機能が脳に備わっているのではないかと考えている。
あるいは,脳を入力に対して出力するシステムととらえるのではなく,もっと別の機構として捉える必要があるのではないかと思う。
ともかく,脳がシステムだとしたら,何が入力なのかがよくわからないところが,入力と出力をコントロールして現象を捉える『実験』という手法にそぐわず,そのことが「し忘れ」を実験的に再現する困難の原因とのことである。
第4章ではfMRIなどによる脳の解析からのアプローチが検討されているが,「個性のわかる脳科学」で出てきたVBM解析という解析手法も取り入れたらどうなるのだろうか。面白そうだと思うのだが。
脳の損傷による健忘症の人たちと認知症の人たちの間に見られる展望記憶の障害の性質の違いを実験的に調べることにより,存在想起と内容想起をそれぞれ担う脳の部位が異なることが示唆されたとのことである。
フォールスメモリというものの研究が紹介されているのだが,そこでは意識的には間違いに気づいていなくても,脳自身は間違いに気づいているという非常に興味深い現象が述べられており,脳というのはすごいなぁとつくづく感慨にふけった。
「第1感」の話と何らかの関連があるのではないだろうか。
説明はできないのだけれど,何かがおかしい。違和感がある。
それはつまり,気づいている脳と,気づいていない意識との間のずれが違和感として認識されているということなのではないだろうか。
脳は意識しているよりも多くのことを判断しているということである。
そしてその判断は必ずしも意識に上るわけではないし,その判断がそのまま意識に上るわけでもないようである。
これは意識研究の面からも非常に興味深い研究テーマではないだろうか。
記憶力回復のためのリハビリテーションにおいてとられるアプローチのうち,4種類が紹介されていて興味深かった。
その中に「誤りなし学習法」という,学習訓練において有効な手法がある。
僕の宿題の問題などは逆に「謝りだらけ学習訓練」なので効率が悪いらしい。
それはちょっと無視できない問題なので,きちんと対策をとらないといけないだろう。
タルヴィングという人が1983年に提唱したという「検索モード」という概念は面白そうだ。
面白い実験のアイデアをひっさげてこの分野に参入できたらきっと爽快であろう。