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<読書感想文1103>ユークリッド『原論』とは何か

2011-05-17 19:09:38 | 
斎藤 憲,ユークリッド『原論』とは何か 二千年読みつがれた数学の古典,岩波科学ライブラリー148,2008.


ユークリッドの『原論』は古来有名な書物であるが,著者像がはっきりしないことや,序文もなくいきなり公理や公準を述べ,定理とその証明を羅列するという,古代ギリシャの書物の中でも特異なスタイルで書かれていることなどから,数学史の最大のミステリーの一つである。

本書は,そのミステリーを最新の研究に基づいて解き明かしていく(というと誇張しすぎだが)という,知的に非常に刺激的な本である。

最近,中学レベルの幾何の理論に興味があり,三角形の合同条件はいつごろから今のと同じ形で知られていたのかと思い,有名な古典である Euclid の『原論』の第一巻を調べたりしていた。

そんな折,本書に出会ったのは天佑であろう。

第1章では『原論』の全体構成に関する概要が述べられている。
それを見ると,全部で13巻からなる『原論』の流れがつかめる。
特に,中学で学ぶ数学の内容の多くは『原論』に出てくるものがよくわかる。
ただ,当時のギリシャ数学には負の数はないので,中学数学と『原論』の内容には差異もある。
当時の数学の学び方に関する興味深い例をプラトンの『メノン』から引いており,『原論』の記述スタイルに関する謎を解明する鍵のひとつが提示される。

第2章では,『原論』第I章の内容に関する検討がなされる。
Bourbakiの数学史で名前を知ったサボ-氏の説も検討されていたのは興味深かった。
本書を通じてつくづく思い知ったのは,この分野の研究は今でも大きな進展があるということである。

命題の述べ方のスタイルに関する詳しい説明も述べられており,それは証明の書き方について参考になりそうであった。
まず,命題を一般的に述べた「言明」があり,それに続いて,点や直線に名前をつけて設定を明確にする「提示」,それらの記号を用いて「言明」を述べ直す「特定」がくる。
作図の仕方を述べた「設定」のあとに,作図された図形が求めるものであったことを検証する「証明」が続き,最後に「結論」が述べられる。

『原論』の命題1を具体例に解説しているが,センテンス毎に番号を振って参照しているので理解しやすかった。
これは証明を詳しく分析するのに有効な手法だと思うので,今後取り入れていきたい。
要するにプログラムの行番号である。

なお,『原論』の著述スタイルの大きな特徴の一つに,前の命題の記号を参照するようなことが決してないということが指摘されている。
新しい命題毎に,「提示」に現れる順番に沿って機械的にアルファベット順に記号が割り当てられていくそうである。

ちなみに,ギリシャ文字に不慣れな読者に配慮したのか,本書の図ではラテン文字を採用しているところが,僕にとってはかえって残念であった。

他に,命題間の相互関係を分析することによって,基本的に,ある命題は後に証明したい命題のために用意されていることがはっきりし,無駄な命題は述べられていないことが明らかにされている。
つまり,『原論』というのはある流れに沿った命題をまとめたものであって,雑多な命題を相互関連を無視して寄せ集めた命題集ではないということである。
こういう見解が示されると,『原論』という書物の性格がよりよくわかってくるように思われる。

第3章では,『原論』第II章の位置づけに関する議論が展開される。
第II章は (a-b)(a+b)=a2+b2 といった数式の展開公式をテーマとした代数学の章だ,という説が支配的だった時代に,それに異を唱えたウングルという数学史家と,Bourbaki のメンバーの一人であるヴェイユとの間の論争が紹介されている。
今ではウングルの見解が数学史学界においては常識だそうで,それは,現代数学の見地から古代の数学を解釈するのではなく,当時の知識や文化を踏まえた上で,当時の人々の視点に立って文献等を分析するという,言われてみれば当たり前の研究姿勢である。

思い返せば,以前,僕の先輩がそのような数学史の研究態度について語ってくれたことがあったのだが,その先輩はある数学史の専門家の先生と懇意にしていたので,その方からモダーンな数学史研究についていろいろと教わっていたのかもしれない。

本書では,線分の「長さ」というものを線分が置かれている位置と無関係な数値として独立して取り扱うということがなかったのではないかという仮説を,具体例を挙げて詳しく述べている。
その説は説得力のあるものであった。

第4章では,ギリシャが発祥の地と考えられている論証数学の起源や,ユークリッドが誰かといった,数学史上の最大のミステリーに関する考察が綴られている。
そこでは若手研究者のネッツという人が紹介されているので,機会があったらその著作ものぞいてみたい。
その他,ユークリッドに他の著作がいろいろあることも初めて知った。
特に,天球上の天体を論じた『ファイノメナ』という書物があるということを知り,ちょうど中学レベルの天体の理論をきちんと考えてみたいとも思っていた折だったので,ここでも運命を感じた次第である。
なお,ユークリッドは一人の人間ではなく,数学者の集団だったのではないかという説を何かで目にしたことがあったのだが,それについても触れられており,この説は過去の遺物としてあっさり切り捨てられていた。

第5章では,『原論』における図版の扱いに関するユニークな研究が紹介されている。

p.80 の証明の概要中,下から3行目に「二等辺三角形ΔDEΓ」とあるのは,「二等辺三角形ΔEΓ」の誤植である。
本書には確かこれ以外の目立った誤植はなかったように思われる。
(もう一箇所見つけたような気がしていたが,再度探したときに見当たらなかったので,気のせいだったのだろう。)

今では,我々は一般の三角形に関する性質を考察する際に,正三角形を描いて考えたりしないが,昔はむしろそういう特別な図を描いて考察するものだったそうである。
そうすると,自然に「なぜそうだったのか」,「いつごろから今われわれが行っているようなスタイルに移行したのか」など,いろいろな疑問が湧いてくる。
そういった面白い問題を提起してくれる章であった。

第6章では,「解析」の方法について解説している。
『原論』のクライマックスの一つである「正五角形の作図」において「解析」の手法が利用されていたのではないか,という推測に基づいて,当時の意味での「解析」の手法について詳しく述べている。
比例の理論を述べるよりも前の巻でこの命題が扱われているということで,相似を用いずに方べきの定理等を駆使して黄金比を見いだすという,実に見事な証明が紹介されているのだが,すばらしいの一言に尽きる。
本書の前の章で引用されていた命題はこの命題の解説のために用意されており,本書においても「命題に無駄はない」ことがわかる。

第7章では,第1章や第2章で提示された『原論』の著述スタイルの謎に関する一つの仮説が述べられている。
ここに述べられた見解は説得力がある。
そして,現代においては生の姿に接することが決してかなわない,「語られた数学」というものについての言及がなされている。
それは永遠に失われてしまった当時の生きた数学の姿であるが,そのようなものに思いを馳せるというのは実にロマンチックではないだろうか。

第8章は,『原論』の比例論に関して簡単に触れている。
比例論は難解だったそうで,それに関するガリレイの批判を軸にして,中世における比例論の評価と,現代における比例論の評価の違いを浮き彫りにしてみせる。
それにしても,『原論』の比例の定義はよくわからなかった。どことなく不等式に関する性質を使っているような気がするが,いまいちよくわからない。

この章の最後に,序文がなく,単に定理と証明が羅列されているという無味乾燥な著述スタイルこそが,各時代において『原論』とは何かと,自由に思いを馳せることが出来る理由であるという逆説的な見解が述べれられているが,それはその通りであろう。
手がかりが少ないからこそ想像力を働かせる余地があるのである。
また,「語られた数学」と図版に関する研究が定説になることを期待するとも述べているが,これらの説を裏付けるより多くの証拠が集まれば,その望みは叶うのではないかと思う。


本書全体を通じて受けた強い印象は次のようなものである。

研究において大事なことは,通説を安直に受け入れることなく,その根拠は何かをきちんと問い,もし根拠があやふやなのであれば,勇気をもってその通説を退けることである。
これは当たり前と言えば当たり前だが,実際に貫くのはなかなか難しい。
そいうした研究姿勢を貫くべきだという大切なことを本書から学んだように思う。

それにしても,本書「あとがき」で「なぜ数学史を研究するのか」ということについて述べているようなのだが,どうも妙な文章なのが気に掛かっている。
おそらく著者の身近な出来事に即して,ある学界の風潮を批判しているのだとは思うのだが,事が事だけに,はっきり書いてないので,僕には何を言っているのかさっぱりわからなかった。
どうやら権威におぼれることなく,自由に批判精神を発揮して研究しませんか,という提唱のように思えるので,そうとることにしようと思う。


ユークリッド『原論』の研究はまだまだ新しい発見がありそうで興味があるが,当時のギリシャの文化についてもよく研究する必要もあるので,かなり大変そうである。
なにしろ,プラトンなどの著作を読んで当時の文化を学ぶ必要があるので,大変な労力が必要になりそうだからである。

ただ,時折「語られた数学」とは何だったのかについて思いを馳せるのは密かな楽しみとして試みてみようと思う。
コメント
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十八きんサイト。

2011-05-17 10:44:15 | Weblog
というと語弊があるけど。

広告で初めて知った。結婚相談所は十八さい未満は登録禁止だそうな。
べつにサイトがえつらん禁止ってわけではないのだろうけど。
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