トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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日記風に 「秋のアートムーチョ」

2008-10-23 23:18:04 | 日記
 今日は、一日眠かったです。食事の後は、血液が脳から消化器の方に動員されるので、特に眠くなります。もう、冬モードに備えて、夜更かしするのは限界のようです。就寝時に、睡眠導入剤代わりに、抗不安薬やむずむず脚症候群の薬を服用するのですが、寝る時間が3時近くになると、効果が翌朝以降も残ってしまうようです。また、年間を通して花粉症の薬を服用していますが、これも眠気を誘うようです。
 
 今朝は、朝食後、不覚にも10分位うとうととしてしまいました。気が付いたら、もう透析の時間に遅刻しそうな時間になっていました。なんとか、いつもと違い徒歩ではなくバスに乗って、少しタイムオーバーでクリニックに到着しました。直接、バスでクリニックの近くまで行けばよいのですが、途中で、昼食用の弁当を買わなくてはいけないので、今日は大慌てでした。

こういう時は、なるようになるんですね。透析スタートしたら、装置の具合が悪くて、ダイアライザーと回路をつけたまま、隣のベッド(たまたま開いていました)に移動。開始時間が結局15分ほど遅れました。

 早めに寝ること、薬も時間を考えて飲む必要ありでした。

 今秋も「アートムーチョ」が開催されます。若いアーティストをサポートしようとするイベントで今回で11回目になります。会場は、JR八王子駅北口・西放射線うーロード、11月1日㈯と2日㈰・11:00~18:00(雨天中止)。
 チラシでは、200組のアーティスト・手作り作家が大集結と書いてあります。ライブもあります。でも、おいらの希望は、もっとアートの香り高いマーケットにして欲しいということです。アクセサリーとかカルチャースクールで教えられているようなステンドグラスなどのクラフト作品のお店が多過ぎますね。お稽古事のレベルを突き破ったアート作品にたくさんお目にかかりたいです。焼き物も芸術作品であって欲しいですね。絵画も、せめて版画などの手作り作品で、ポストカードはいりません。気に入った作品との出会いを期待しています。

 以前、駅ビルのデパートで地元の美大の学生の作品の展示販売がありました。市民が、自分の気に入った作品を、申込用紙に自分が適当と思う値段を書き込んで入札するものでした。美術作品は、骨董屋で偽物を買うよりは、自分で気に入った作品を買うのは一番いいですね。もし、その作家が将来有望なアーティストになればなおさらいいですよね。有名にならなくても、好きな作品を自分の手元に置いておく、ささやかな幸せです。アートムーチョでも、そうした作品がたくさん売られる様になれば良いです。
 
 NPO法人「アーティスト・サポート・カウンシル」
  http://artmucho.net/

宗教者と戦争「竹中彰元師」①

2008-10-23 02:13:35 | 戦争と平和
 日中戦争時に「戦争は罪悪である、侵略である」と言及した僧侶がいた。真宗大谷派の僧、竹中彰元師だった。当局に逮捕され、2ヶ月半にも及ぶ取り調べにも自説を変えることが無かった。陸軍刑法違反で刑が確定してから、本山により僧侶籍も最下位に落とされた。去年、70年ぶりに本山から名誉回復された。それまでは、忘れられた存在であった。この師の業績と事件の経過が、NHK教育「EYV特集・戦争は犯罪である ある仏教者の名誉回復」で放送された。それまでに、竹中師の名誉回復を求める運動があった。こうした歴史が、多くの人にテレビを通じて知られること出来て良かったというのが実感である。岐阜県旧岩手村の師が住職を務めた明泉寺(みょうせんじ)に、当時の取り調べ調書の写しが残されていることが発見された。番組では、この記録を基に竹中師の当時の行動を再現していく。また、歴史的背景も丁寧に描いていった。

 竹中師が生まれたのは、1869年、明治維新の前年であった。1904年の日露戦争では、仏教各派は国の戦争に協力した。この時、竹中師は37歳、宗派の布教師を務めていた。当時は、竹中彰元は日本の勝利を喜ぶなど国家の戦争には反対の立場はとっていなかった。この戦争に反対する僧侶がいた。高木顕明(けんみょう)であった。もともと、仏教には「不殺生」の教えがあったはずだ。高木は逮捕、投獄され、大谷派から追放された。
 大谷派は、戦争に対してその後も積極的に協力をしていく。いち早く、従軍布教師を派遣した。宣撫工作の役割を担っていた。大陸への武装移民に伴って、中国での布教活動も他派に先駆けて行っている、法主自らが大陸に渡り、軍隊の慰問、中国の僧侶との日中双方の戦死者の法要を行うなど、宣撫活動を積極的に行った。終戦まで、戦争に協力したことになる。

       注: 敬称を省略しています。