トッペイのみんなちがってみんないい

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宗教者と戦争「竹中彰元師」①

2008-10-23 02:13:35 | 戦争と平和
 日中戦争時に「戦争は罪悪である、侵略である」と言及した僧侶がいた。真宗大谷派の僧、竹中彰元師だった。当局に逮捕され、2ヶ月半にも及ぶ取り調べにも自説を変えることが無かった。陸軍刑法違反で刑が確定してから、本山により僧侶籍も最下位に落とされた。去年、70年ぶりに本山から名誉回復された。それまでは、忘れられた存在であった。この師の業績と事件の経過が、NHK教育「EYV特集・戦争は犯罪である ある仏教者の名誉回復」で放送された。それまでに、竹中師の名誉回復を求める運動があった。こうした歴史が、多くの人にテレビを通じて知られること出来て良かったというのが実感である。岐阜県旧岩手村の師が住職を務めた明泉寺(みょうせんじ)に、当時の取り調べ調書の写しが残されていることが発見された。番組では、この記録を基に竹中師の当時の行動を再現していく。また、歴史的背景も丁寧に描いていった。

 竹中師が生まれたのは、1869年、明治維新の前年であった。1904年の日露戦争では、仏教各派は国の戦争に協力した。この時、竹中師は37歳、宗派の布教師を務めていた。当時は、竹中彰元は日本の勝利を喜ぶなど国家の戦争には反対の立場はとっていなかった。この戦争に反対する僧侶がいた。高木顕明(けんみょう)であった。もともと、仏教には「不殺生」の教えがあったはずだ。高木は逮捕、投獄され、大谷派から追放された。
 大谷派は、戦争に対してその後も積極的に協力をしていく。いち早く、従軍布教師を派遣した。宣撫工作の役割を担っていた。大陸への武装移民に伴って、中国での布教活動も他派に先駆けて行っている、法主自らが大陸に渡り、軍隊の慰問、中国の僧侶との日中双方の戦死者の法要を行うなど、宣撫活動を積極的に行った。終戦まで、戦争に協力したことになる。

       注: 敬称を省略しています。


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