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「パール判決を問い直す」を読む

2008-10-09 02:07:25 | 読書
 『パール判決を問い直す「日本無罪論」の真相』中島岳志+西部邁(講談社現代新書)

 2007年夏、中島岳志氏は『パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)を出版した。この著作に対しては、小林よしのり氏ら、「大東亜戦争肯定・日本無罪論」を主張する右翼からの批判がなされた。また、保守主義者の西部進氏と小林よしのり氏との間でも論争が起こった。
 本書は、「保守主義」の立場から、パール判事の思想・政治性を紐解いて、「日本無罪論」を展開する「保守主義者」への批判を展開している。※左翼陣営に対しても、自分たちに都合の良い選択的解釈をしているとの批判がなされているが、本書の主題は「保守主義」からの論理矛盾を起こしている「保守主義」に対する批判が念頭に置かれている。

 パール判事は、東京裁判で、唯一人、被告人の全員無罪を主張した。被告人に対する「平和に対する罪」「人道に対する罪」を事後法を理由に否定している。刑法的には罪刑法定主義からの逸脱だと解釈した。その一方、日本軍による「南京事件」「バターン死の行進」をはじめとする「残虐行為」の事実は認めている。また、日中戦争へといたるプロセスを批判的に論じ、道義的責任は在ると主張している。
 東京裁判は、戦勝国の責任(アメリカによる空襲や原爆投下)を不問にする、一方的なものであるとの立場をとっていた。インドが長い間、イギリスの植民地だったという理由からも、個人的な反西洋主義も働いているようだ。パール判決書も、かなりの分量が氏の文明批評、政治論、歴史認識で占められ、肝心の法律論の記述が少ない。氏の著作『平和の宣言』とを併せ読んだとき、パール判事が非武装主義・ガンディー主義・絶対的平和主義といったヒューマニズムの立場に立っていたことが判明する。日本に対して、再軍備をすることがないようにとの講演も行っていた。彼は、世界連邦を夢見ていた。当時の国際法は、まだ成熟していない発展過程の不十分なものであるとの立場も、A級戦犯を人道及び平和に対する罪で裁くことが出来ないとした理由となっている。

 だから、一部の「保守主義者」が主張するような「日本無罪論」はパール判事によって主張されたことはないのである。「A級戦犯無罪論」も、あくまでも刑法上の無罪を意味していたに過ぎない。※パール判事が、日本に武力協力したチャンドラ・ボースの存在を完全無視したことも考慮しなくてはならない。

 「日本無罪論」を展開する「保守主義者」はパール判事の法実証主義を受け入れる反面、国内の憲法擁護派に対しては、反対の立場をとっている。本来は、彼らの立場と対立するパール判事の思想・政治論を捻じ曲げて、自分の都合のいい所を抜き出してるに過ぎないのである。安倍元首相が、インド訪問の際に、パール判事の親族を訪問したのも、その文脈で理解しなくてはならないだろう。

 おいらは、本書の著者とは立場を異にするが、本書の記述は、ケルゼンの法実証主義の解釈等、有意義な所が多くあった。

 最後に、著者も指摘しているように、本来は「通例の戦争犯罪」でA級戦犯を裁ける可能性は大いにあった。今年、テレビで放送された「日本軍と阿片」に関しても、東條英機らの関与を示す証拠文書は存在したのだから。あえて、この適用を否定したパール判事には、西洋植民地主義が不問にされた事に対する意思が働いているのだろう。本来は、日本人自身が戦争犯罪者を裁くべきだったのである。今からでも、日本人の手による戦争責任の総括がなされるべきだ。著者の主張でもある。外国から指摘されると、変に国民の間にナショナリズムの感情が台頭してしまう。