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理工系大学院の危機・ノーベル賞の陰で①

2008-10-11 02:08:33 | 科学
 今年のノーベル賞の日本人の受賞は、先行きの見えない社会にとって明るい話題だった。しかし、小泉政権時にピークを迎えた「構造改革」路線は、今のカジノ経済破綻と共に、日本の学問の世界にも大きな打撃を与えている。国立大学・研究機関(美術館や博物館までも)が、独立行政法人化されてから、学問の世界に無用な競争原理や、経済原理が導入された。また、現在の我が国の文教予算のGDP(国内総生産)に対する、高等教育機関への支出は、OECD(経済協力開発機構)加盟国28カ国のうち下から2番目という低さだ。
 このために、科学研究、特に基礎科学の分野の落ち込みは激しく、将来の衰退が懸念されている。大学研究室では、検査機器も新しいものが使えなかったり、大幅な予算削減による影響が出ている。大学における地域格差も問題となっている。

 子供の理系離れも進んでいる。(話はそれるが、失言で大臣を辞任した中山氏が、全国学力テストを始めた理由を朝日新聞で報道していた。要は、日教組憎しの中山氏が、日教組の強い県の学力が低いことを明らかにしようと思いついたことだそうだ。だから、今、学テを行うことには消極的だという。「ゆとり教育」「週休2日制」を推し進めた文部行政も、生徒の学力低下と、出来る生徒とそうでない生徒との格差増大に「寄与」している。)資源の少ない日本が今後、「技術立国」として生き抜いて行くために、教育の重要性が痛感される。

 日本学術会議「若手・人材育成問題検討分科会」は、こうした危機的状況を受けて、8月28日に『新しい理工系大学院博士後期課程の構築に向けて ― 科学・技術を担うべき若い世代のために ―』という提言を発表した。大学・政府・産業界をはじめとする社会に向けて提示するのが目的だ。全文は、日本学術会議のホームページからアクセスできる。ここでは、我々国民に対して有用な所に触れてみる。

 現在、理工系での博士号取得者は年間5500名程度だが、大学等の教育職や研究職に就ける者の数は年間1500名程度に過ぎない。一方、産業界では、依然として修士課程修了者に採用の重点があって、博士号取得者の採用数は多くない。企業の採用部門で働いたことのある知人は、ドクターは使いにくいと言っていた。企業の求める人材とかけ離れているということらしい。また、博士号所得者自身も研究・教育職に執着する傾向が強い。しかし、大学や研究所のポストの数は近年ほとんど増加していない。むしろ、国の予算削減等により定員削減が行われて、助教(最近は准教)などの若手教員ポストは減少している。その一方で、政府の「大学院重点化」、「ポストドクター1万人計画」などによって博士号取得者数が大幅に増加した。その結果、現在では、ポスドク研究者が増加している。

 ポスドク研究者を支援する制度としては、日本学術振興会や研究所等の特別研究員(DC)制度があり、多くの研究者が、正規のポストに就くまでの期間をこの制度のもとで過ごしてきた。ここでは、ポスドク一人一人に研究内容や成果についての要求を課すことがなかったので、若い研究者の自由な研究を可能にした。しかし、急激な博士号取得者の増加は、これらの制度でカバーすることを困難にした。

 代ってプロジェクト型研究の資金で採用されるポスドク研究者の割合が増加してきた。この資金を獲得するために、大学間での競争が厳しくなり、国立大学と私立大学や地方の大学との格差も広がっていった。プロジェクト型研究では、当然、限られた期間での成果が求められる。資本の論理が入り込み、基礎研究の衰退、人材育成の観点の欠如、大きな課題の解決を目指しての独創的な研究の展開を妨げるなどの問題点が発生する。成果の出る(金になる?)研究以外は軽視される様になる。