二人で昨日今日と町歩き。ゴールデンウイークだな。
やや寒いが晴天。聖五月。
それでやっぱり古本市に入ってしまう。
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レジのところで、今回の主宰者のかたに「毎日来ていただいて・・・」と声をかけられる。
昔、「忍者部隊月光」というのがあって、まあ今の戦隊モノの原型みたいなやつかな。その隊員の中にいたんじゃないかな、という名前の古書店さんが今回の主宰者のオジサンらしいのだけれど、ワシはその方がかつて、高くて遠い村でお店を出されていたときに二回ほど行ったことがある。なかなかシブい品揃えのお店だったけれど。
で今回、いくつか出店されている棚の中で、その方の棚がどうも圧倒的にシブい。というか求心力抜群の並び。ウウ、吸い込まれるゥ、みたいな並び。実のところ毎日眺めてシブすぎて手が出ない。なんというか、ちょっとこちらが試されているというか、そこに手を入れると魔界の結界が崩れますぜ、みたいな。(あいかわらずよくワカランな、われながら。)
というわけで、その結界に手を入れられるか、明日も行くのではあるまいか。
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昔、「安曇野」は本来「安曇平」で、安曇野とフツウに言われるようになったのは、臼井吉見「安曇野」以降だという話を聞いたか読んだかした記憶があって、はたしてホントかウソか知らないが、ともかく、岡茂雄『炉辺山話』(実業之日本社 昭和五十年)では専ら「安曇平」であった。
岡茂雄については以前このブログで書いたな。
松本駅を降りて正面にまっすぐ続く道の突き当りが県の森で、その背後に地元では東山とも呼ばれる魁偉な山が聳えている。その山は戦前は「王ヶ鼻」と呼ばれていた、と『炉辺山話』にある。確かに松本で戦前を過ごしたワシの親父も王ヶ鼻(オウガァナ)と言っていた。それがいつのまにか戦後の地理院の地図からは「王ヶ頭」(オウガトウ)になってしまっている、と岡茂雄は書いている。
へえ、そうなんだ。
でもそんなのはまだいいほうで、今や「王ヶ鼻」でも「王ヶ頭」でもなく、「美ヶ原」だもんなあ。おそらく高度経済成長期に誰かがシャレたつもりでこんな薄っぺらな書割みたいな名前をつけたんだろう。同じ頃農業用人造溜池に白樺湖とか女神湖とか名づけたみたいに。
とワシはずっと思っていた。
ところが、前述に続いて岡茂雄の「詮索」によれば、すでに元禄期から「美ヶ原」の呼称はあり、むしろ幕末以降「美ヶ原」がすたれて「王ヶ鼻」になり、大正中期に再度「美ヶ原」が復活してくるのだという。
ね、世の中知らないことがいっぱいだね。
というような話を謙虚な文章で惜しむように読んだ。
ゴールデンウイークに岡茂雄の文徳。
で、ついでにもう一冊、古本市で買ってきた池内紀『街が消えた!』(新潮社 1992)こちらも街歩き小説の連作。
だけどなあ。
スンマセン。ウンチクがカチすぎて、どうも・・・。
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