路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

本郷やあじさいの坂夢二坂

2005年06月19日 | Weblog

 週末きっぷ7時のぶんはいっぱいだったので、6時20分の特急で上京。
結局ゼミ出席を決断したわけであります。

 今回は試験明けのツグミ同道。

 9時半頃には茗荷谷着。
 さてどうしようか。
 で、まずは近くのO女子大入構を企図。新入生が田舎の父を案内する、という設定で正門前まで行ってはみたものの、正面に警備員のオニイサンが仁王立ち。構内に入る際にはいちいち学生証を提示しなければならないらしい。かくて我が生涯最初の女子大突入はあえなく頓挫。

 そのまま引き返し、二人で歩いて小石川植物園へ。

 入場料330円は正門前のタバコ屋で買うッてのがナンカいいですね。
 都会の真ん中にこれだけ広い森があるというのは不思議な気がする。
 巨樹が茂り、鬱蒼とした木下闇や、開けた植栽や、水際の日本庭園をのぼりおりしながら一周する。遠足には最適でしょうね。
 小石川植物園といえば、赤ひげがいた所ですよね。それから帰国した大黒屋光太夫もここに幽閉されていたのではなかったかしらん。けれども、小生にとっては、植物園といえば、『団栗』だな、寺田寅彦の。
 初めて読んだ岩波文庫、初めて呼んだオトナの本。
 そういえば、あれも父と娘(幼児だけど)が植物園を訪れるお話だった。
 
 「おとうさん、大きな団栗、こいも~~~~みんな大きな団栗」

 中学の頃、その少なからざる部分が寺田寅彦だった。
 始まりは『団栗』
 将来は随筆の書ける科学者になろうか、などと夢のようなことを考えていたけれど、まさに夢でしたね。

 ゼミに関しては割愛。

 ほぼ2時間、小石川図書館に待たしていたツグミとファミレスで昼食。
 東京ガイドマップを広げて、どこに行きたいか聞くと、「竹久夢二美術館」がいいと言う。(シ、シブイ)
 で、地下鉄(東京メトロですか)南北線で、「東大前」へ。
 農学部の前を通って(途中の交番で道を聞いて)東大の外壁に沿って弥生坂をくだる。
 「立原道造記念館」(この名にもすくなからぬ思い入れが)近くの小さな美術館へ。
 「竹久夢二美術館」は「弥生美術館」と併設されていて、まずは弥生を通って夢二へ抜ける。
 それで、この「弥生美術館」が凄かったデス。
 現在特別展示が『大正 昭和 女学生らいふ』
 高畠華宵、中原淳一、吉屋信子といったタダシイ「少女之世界」のオンパレード。せまい会場には少女たちの後身や後々身、後々々身たちがいっぱい。小生カンペキ浮きまくり。気のせいか、彼女たちもみなどこか楚々として、そのかみの由緒ただしき女学生といった印象。
 展示のなかには、当時の女学生雑誌の身の上相談コーナーなどの笑っちゃう文献(ああメモしてくればよかったなあ)もあって結構楽しめました。
 出口付近に掲示されてあった「今年御着物で御来場された方々」の写真数十枚も凄かったゼ。

 美術館を出て、弥生門から東大へ入る。
 東大へ入る、といっても、物理的に足を踏み入れる、ということで、入学する、ということではない。前者の場合は多分誰でもできるけれど、後者の場合は誰でも、というわけにはいかない。少なくともいっぱいオベンキョウしなければいけない。当然ながら、後者該当の人々が歩いている。でも前者該当らしき人(子供とか年寄り夫婦とか)も歩いていて、一応後者該当者を装った前者該当として散策。でも実際はカンペキな前者該当だから、広い構内迷子状態。ともかく三四郎池を経て、銀杏並木を見ながら正門から、東大を出る。
 東大を出る、といっても、物理的に校外へ出る、ということで、卒業する、ということでは(もうシツコイですか、そうですよね)

 ともかく、赤門前を通って本郷通りをくだり、「本郷三丁目」から東京駅へ。
 ブリジストン美術館でも見ようという心積もりであったが、このへんから小生少々バテ気味。ツグミに頼んで、「銀の鈴」近くでお茶休憩。
 結局、美術館は断念して、八重洲ブックセンターへ。
 久しぶりです。
 さっそく5階文庫コーナーへ。中公文庫は相変わらずの充実だけれど、棚を見上げていると軽く眩暈が。ちょっと老体に体力の限界。
 それでも文庫二冊に選書一冊、ハードカバーも一冊買ってしまった。

 東京駅に戻って、弁当とお土産。
 帰宅は夜九時半。車中では、ガーガー寝る。
 歩きに歩いた一日。
 疲れたけれど、なかなかに充実。
 今度はツバメも冬眠鼠さんも行こうね。


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