古本市、結局また行ってしまった。欲しかった本3冊くらいあって、一冊は早々にゲットして、あとは値段見て逡巡してそのまま置いてきた。置いてくるとまた気になって、また行くんじゃないかなあ。バカである。
物理学のブの字もわからんし、素粒子論の素の字にも興味ないが、朝永振一郎という人物にはなんとなく惹かれて、『回想の朝永振一郎』(みすず書房 1980)が古本市初日に300円でころがってたから拾ってきた。400ページで定価2200円だったものが300円でころがってるんだから(物理的にころがってたわけじゃなくて、喩としてですがねモチロン)古本市はやめられん。(ということにしておくか。)
えーと、なんの話だ。
ともかく、物理学のブノ字も、ということだけれど、酒豪で落語好きで、酒飲んで風呂場で転んで肋骨折ってノーベル賞授賞式欠席した、とかそういった挿話がまず思い浮かぶわけだけれど、本書を読んで益々その「ひとがらが懐かしく」思われる気がする。
というか、唐木順三『「科学者の社会的責任」についての覚え書』の影響もあるかもしらん、と今思いついたが。
昭和24年、朝永は小平邦彦とともにプリンストンの高等研究所に赴いて同じ下宿に入るが、(ノーベル賞とフィールズ賞だ。)ふたりとも英語ができない。で、朝永の方はすぐにホームシックになったらしい。曰く、「食物に飽きた」「靴を脱いではだしになりたい」等々。「便所だけは臭くなくていい」と感心していたらしいが、「夏になっても縁日がない」「窓に網戸が張ってあって蚊が入ってこない。蚊が入ってこなければ夏とはいえない」等々となり遂には「臭くなければ便所ではない」となったらしい。
そういえば、「立小便よくぞ男に生まれたる」というのは朝永の句だと本書にあるが、本当か。
というようなことはどうでもいいのだけれど、朝永は四十代で東京教育大学(現筑波大)の学長になり、その後学術会議の議長にもなって、教育行政家として実社会のアレコレをしのいできてもいるわけだけれど、桑原武夫は彼を政治的能力をもった人間と評している。政治が好きな人物と言うことではなく、「人の、あるいは人びとの気心がわかっていて、ある目的に対して、A,B,C、の道があるとき、Aをとればどういうエフェクトがあり、Bならということがよくわかって」いるひと、だという。
古本市へ行く前、鶴見太郎『柳田国男入門』(角川学芸出版 平成二十年)を再読していて、これは「入門」といいながら入門というより柳田とその影響が及ぼす人びとと時代とを俯瞰的に広く的確に捉えた好著だけれど、その中に、思想への態度としての倫理観をあらわす言葉として「ずく」がとりあげられている。
例えば車の心棒のようなジク(軸)が転訛して、人間としてのジクである背骨がしゃんとした人。殊に労働に伴う倫理として、「意地」「根気」を示す言葉となった。それがない者を「ずくなし」として今でも用いられるものだが、『回想の朝永振一郎』を読みながら、ずっとそれを想起していた。
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