辛夷が咲き出した。
梅もいくつか蕾を開いた。
白木蓮ももっさりと掌を開きかけている。
ようやく春が来ただろうか。
辛夷咲き出したって書き出しで、いきなり黒猫のアップもないもんだが。
本棚探っていたら、吉田健一『東京の昔』(昭和51年 中公文庫)出てきたので読んでみた。
買った記憶はあるけれど読んだ記憶はないので読んでみた。
なんか初めっからクネクネとくねりながら進むような文章で、オハナシ自体も進んでるんだかいないんだかよくワカランままに読み終えた。
昭和40年代くらいから戦前期、昭和一ケタくらいを回想しながら、文明批評というか社会批評というか、少ない登場人物にプルーストだとかヴァレリーだとか語らせながら、それにかつての東京、銀座だの本郷だのがからんでくる。
ところどころなつかしげな文章もまじるんだけどなあ、アリテイにいうとツマンナカッタす。
この人には、今でも、大好きだという読者がかなりいるらしいことは存じ上げておりまして、その人たちに言わせれば、ぜんぜんワカッチャいない、ということでしょうが、いいです、それで。
裏カバーに数行の惹句があって、曰く。
都会に住むにふさわしい人間がいて
人間が住むにふさわしい都会があって
時空を超えて暮らしを思わせる東京の昔
まあ、このとおりナンザンショ。ワシにわかるわけがない。
というわけで、辛夷咲き出した話だけど。
辛夷ってのは、早春先ず咲き出す花で、これが咲き出すと農事の始まり、ってことになってる地方がけっこうあるらしい。
同じような花で、東北あたりではマンサク(まんず咲く)の花というのがあって、ワシは次の詩をずうっと辛夷の花だと勘違いしていた。
当然ながら、辛夷の白い花ではどうしようもない。
「春」という題で
私は子供たちに自由画を書かせる
子供達はてんでに絵具を溶くが
塗る色がなくて途方に暮れる
ただ真っ白な山の幾重なりと
ただ真っ白な野の起伏と
うっすらした墨色の陰影の所々に
突刺したような疎林の枝先だけだ
私はその一枚の空を
淡いコバルト色に彩ってやる
そして誤ってまだ濡れている枝間に
ぽとり!と黄色のひと雫を滲ませる
私はすぐに後悔するが
子供達は却ってよろこぶのだ
「ああ まんさくの花が咲いた」と
子供達はよろこぶのだ
丸山薫「白い自由画」
丸山薫は戦時中山形県に疎開して、小学校の先生してたのだ。
ワシは「東京の昔」より、こっちの方がやっぱりなつかしい。