3人の少年たちが、人が死ぬところに興味を持って、近所のおじいさんが、近々死ぬらしいという噂を聞き、観察しようとする話。
4章の、僕、木山がおじいさんの目を自分の家で飼っていた犬の眼とそっくりだと感じる場面。老いた犬で、僕には全然相手にしてくれない。ある日医者がやってきて犬に注射をする。母から明日の朝には死ぬのだと告げられる。その夜僕は犬のそばで過ごす。その時の犬の不安そうな目にそっくりなのだった。
観察しているうち、おじいさんの家のゴミ出しを手伝ったり、洗濯物干しを手伝ううち、おじいさんから信頼を得てくる。スイカを一緒に食べたりする。元気そうで、とても死にそうとは思えない。
僕のお母さんは酒をよく飲んでいるようだ、依存症であることを暗に意味している。子供目線なので依存症というものがよくわかっていないということなのだろう。
プールの授業中に山下が溺れ死にかける。死にそうだというおじいさんを観察していた方が、死にかけてしまうのだ。少年たちが思ったのは、死ぬために生まれてくるのではないか。生と死では、死の確率のほうが高いのではないか、存在率が高いのではないかという疑問。
台風の日、おじいさんの家に植えた花が心配で、家に行ったときに聞いたおじいさんの戦争体験話ジャングルで必死で逃走していたとき、村を発見した。村人に通報される前に皆殺しにした。一人逃げた女を追って行き射殺する。その女の腹には子供がいた。
復員したが、元妻とは会っていない。帰ってきた(生きて帰ったこと)ことさえ知らせていない。多分妻は他の男と再婚しただろう。元妻の名前、古香弥生。
その元妻を探そうとする少年たち。
老人ホームに会いにいく。それらしい人だが、しかし認知症らしく全く噛み合わない。
少年たちは種屋のおばあさんと似ているのをいいことに弥生さんのフリをさせようと画策する。
これはいい作戦だと思ったが、あっけなく失敗。
サッカーの合宿でコーチのおばあさんから怪談を聞いてビビったり、連れションしたら同級生と殴り合いのケンカをしたり。自分たちの小学生時代と少し違った感じはするが、ほろ苦い小学校の夏の思い出だ。
共感しきれないこの感覚というのは、小学生ではあるが、精神年齢が結構高いようなキャラクター設定だからか。また少年を女性である著者が、なかなか頑張って少年の心理をイメージして表現しているが、少しギャップがあるからだろうか。この小説を小学生に勧められるかというと、小学生には理解しきれないと思う。だからやはり大人になった我々が、少年時代をそんな気持ちだったかもしれないと懐かしむという読み方になろうか。
合宿から帰ってきてその体験談をおじいさんに話したいと思っておじいさんの家を訪れた少年たちだが、そこでおじいさんが亡くなっているのを目撃する。
ただ死に対してオカルトな興味を持っていただけの少年たちだが、親しくなった人の死と向き合い、寂しさを感じるように心境が変わった。主人公は私立中学に進学、山下は公立中学、〇〇は母親の再婚相手の仕事の都合でチェコに引っ越すことに。少年たちもまたそれぞれ別れることになるのだ。また会おうと言って分かれるが、一方ではもう会うことはないかもしれないとも考えている。確かにこの年頃の3年などは友達関係も目まぐるしく変わり、あれだけ仲良かったのに疎遠になりがちだ。それは大人になってから郷愁感とともに感じるものだ。
20210429読み始め
20210711読了
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