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「出島の千の秋」 デイヴィッド・ミッチェル

2018-01-16 21:53:14 | 読書
 
辻邦生の「安土往還記」を読んだので同じ雰囲気のような気がするこれを選択。戦国~江戸時代の西洋人が登場する日本を舞台にした話というだけの類似だが。一年前に読み始めたが、取っつきにくいのと、どんなジャンルの話なのか見えてこない。登場人物も男女の区別さえつかず、日本名だがあまり聞いたことの無い命名のため、途中で挫折。しかし安土往還記の後なら、雰囲気を残った状態なので読めるのではないか。とは言え、全く雰囲気の違う小説であった。
上巻
第1章。出産シーンから始まる。難産であり、しかも胎児は既に死んでいると思われ、母体を守るため当時日本では見られない、鉗子などの医療器具を使い、取り出そうとする。これが緊迫感のあるシーンで、描写も生々しくハラハラする。
翻訳は土屋政雄だ。カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」「日の名残り」「忘れられた巨人」の翻訳者である。当然と言えば当然なのだが、全く雰囲気が異なる。あの(抒情的な物語の翻訳の)土屋政雄を想像して恐らく買ったのだろう。こちらは奇想天外な話だけに訳の雰囲気もはじけている。いや品格のようなものはちゃんとある。原作がもともと奇抜な内容なのだから当然だ。
第5章まで読んだが、何を言いたい物語なのか全くわからない。本の帯にはポスト・カズオ・イシグロとあるのだが、そもそもカズオ・イシグロらしさとは何なのか?帯に騙されているが、ただ単に土屋政雄が翻訳しているだけ翻訳しているだけなのではないかと思う。
ヤコブと言うのが主人公だろう。ヤコブは故郷にアンナという恋人を置いてきているが、日本へ来て、助産婦兼女医学生である藍場川が気になる存在だ。他の東インド会社の社員である外国人は下品で横柄だ。それに対する長崎の士たちは気弱で頼りない。外人たちの悪辣な振る舞いばかりで話が見えてこない。どう展開するのか。これは当事者である日本人がそう思うくらいなので、本国ではどんな風に読まれているのだろうか?
ここで気づいた。冒頭の織斗どのとは藍場川織斗のことだったか。しかも女性。
チェンバロを趣味にするマリヌス医師に楽譜を見せることと引き換えに、織斗と二人きりになる時間を作るよう取引するヤコブ。この場面が微笑ましい。
第七章から第八章あたりから、少し話が始まりそうな雰囲気になる。ヤコブは榎本僧正という怪しい人物と取引(商売)をする。水銀を高く買ってくれるというのだ。それで結構な儲けを得る。後で知ったところによると、榎本僧正は闇の大御所のようであり、あまり関わらないほうがいいと緒川宇佐衛門からくぎを刺される。まだピンとこないヤコブであるが。
その後も孔雀扇の数をちょろまかしようとする小林に恥をかかせたり、それとなく怪しい空気が漂ってくる。
商館長のフォルステンボースに気に入られたかに見えるヤコブ。任期満了のためシェナンドー号に乗って帰るフォルステンボースから栄転を言い渡されるか期待していたが思わせ振りに何の辞令も言い渡されない。などと諦めてたときに、商館長次席というサプライズ人事を言い渡され喜んだ。しかしそれもつかの間、何やらフォルステンボースは不正をして、会社の金を着服しようとしているようだ。いよいよ出発の際、決算報告書に前商館長、新商館長、新商館長次席の三者でサインをしようというとき、流れのままサインをすればいいものを、ご丁寧にもチェックをしてしまい不正を見つけてしまう。見つけた以上は指摘せずに入られないヤコブ。こうして次席のポストはいとも簡単に剥奪される。それどころか恨みをかって、今後数年不遇な立場で出島で過ごさなければならない。大転落だ。唯一の心の拠り所であった藍場川織斗も今や親の借金のカタに榎本僧正の運営する尼寺に入れられてしまってもういない。かえって思いは募る。
第二部が始まる。新しい人物登場。隠れキリシタンで薬草採りのおタネのところに瀕死の状態で而立という僧が迷い混んでくる。どうやら榎本僧正の所から逃げてきたようで、織斗の消息も知っているようだ。
織斗が新参比丘尼という立場で、拉致軟禁状態にある。そこで安心という怪しい薬を飲ませ続けられる。言ってみれば依存性のある麻薬のようなものだろう。そこで子供を身籠らせられ、後継者だか、新人類だかをつくらされる雰囲気だ。思うようにさせまいと抵抗する織斗。
第二部ではデズートの出番は少なく、緒川宇佐衛門の方が多い。この出島のシーンと織斗が拉致された峡河藩の寺のシーンが交互に出てくる。寺のシーンが退屈だ。ここは原作が外人らしい。教団の大奥のようなもので、榎本の後継者を作るために女たちが閉じ込められているのだが、変な薬とマインドコントロールによって、女たちは僧正のために身を捧げることに喜びを感じている。その女たちも美しい訳でなく、どこかクセのあるものたちだ。そこに強い意志を持って抵抗する強いヒロイン。あまり日本の時代小説にはないキャラクターだ。そもそも1つの藩、これは聞いたことのない峡河藩というが、これはフィクションなのでいいとして、藩主が侍ではなく、僧というのが特徴的だ。しかも藩全体が怪しい宗教に支配されている。当時の日本らしくない。この辺りは外国人作家らしさだろうか。織斗のキャラクターはAGリドルの「アトランティスジーン」シリーズのケイトや、ヒュー・ハウイーの「ウール」3部作のジュリエットのような活発なキャラクター。またマリヌス医師は山田風太郎の時代小説に出てくる医師とキャラクターが似ている。特に「地の果ての獄」の独休庵とかぶる。
 
下巻
下巻に入って少しずつモヤモヤしていたものが判明してくる。まず修道院に拉致された織斗の場面から始まる。上巻で、しゃべる鼠がいたりして何かと思っていたが、その時にも示唆されていたが、幻覚性の薬を飲まされていたからだった。織斗は学習して、飲む振りをして袖に吐き出していて薬を抜いていたが、当初禁断症状があったものの、しゃべるネズミの幻覚は見なくなった。次の章は宇佐衛門の場面で、毎年恒例の踏み絵にいく場面。ここで宇佐衛門には妻ができていたことがわかる。しかも、もともと養子だった(前にどこかで記述があったかもしれない)。ついでにいうと土佐出身。ここでは宇佐衛門の妻だけでなく両親(つまり義理の)や、鍋島家、そして道場の先生で同郷の朱在が出てくる。ここでのやり取りが日本っぽくない。素振りが西洋風なのが面白い。外国人が描く日本だ。だが悪くはない。
宇佐衛門は朱在(有明のパロディか?読み方もわからないが原文を見てみたい)に織斗救出の助けを請う。すると洋風だが、自らしばらく旅に出て下調べをしてくると言い出し、数日後作戦まで練って帰ってくる。危険も省みずいい奴ではないか。仲間10人も用意するという。一方宇佐衛門はもう長崎には帰ってこられないだろうということで胸の中で家族に別れを告げる。しかし感傷的でなく、やり取りがコミカルだ。デズートには教団の悪事の証拠となり得る教義の巻物を預ける。もしもの時は悪事をばらすよう託した。その時デズートは宇佐衛門の織斗への思いを知り、自分の道化ぶりにショックを受けるが、宇佐衛門と織斗の幸せを祈って快く承諾する。
決行のとき宇佐衛門は朱在に、初めて人を殺したときの気持ちを尋ねた。状況が如何であれ最初の殺人が一番重い。自分はこの世にいるがこの世の者でない。この世への帰属感の無い奴は目を見ればわかる。時々自分を殺めようとした気配を感じて夜中に目を覚ます。この箇所は日本の武士とは感覚が違うような気がし、西洋人の感覚に近いのかと思った。
読書スピードが上がる。なかなか面白い。そして第二部が終了。第三部がはじまるが、ここでまさかの新展開で、今度は大英帝国の船が日本に向かってやってくる。話に関係するものしないものが多く登場し、またオランダ人たちと同様、悪そうなやつらばかり。中にはオランダ人の失墜したスニトケルがいつの間にか合流している。スピード感のある描写が繰り出されるが、読者の読書スピードは激減する。デイヴィッド・ミッチェルの特徴なのだろうか、序盤、あるいはそれに該当する部の始めごろは話の内容に入り込めず、読書スピードが加速しない。ここで挫折するともったいない。耐えて読むべきだ。
またファンクレーフ館長の前半生を自分で語り出す場面が登場する。これが長い。しかし面白い。これだけで1つの小説が仕上がるくらい。しかも自分でしゃべっているので、聞いているデズートに突っ込んだりして飽きさせない。
大英帝国軍に拉致されたファンクレーフとフィッシャーだが、ファンクレーフは牢に入れられフィッシャーだけが返された。日英で条約を締結する交渉人としてだ。しかし、東インド会社は潰れ、オランダはイギリスに乗っ取られた。オランダ国王もバタビアに逃げたという、大嘘でもって交渉するという。
その頃デズートは代理商館長となっており、フィッシャーを疑う。出島側の教義の結果、英国からの侵略と見なし、断固抵抗することが決定される。大英帝国軍のペンハリガン親展でフィッシャーに書簡を託す。交渉成功と思っていたフィッシャーだが、書簡の中身は宣戦布告であった。この場面はまさに直江状だ。
そう宣戦布告し断固抵抗することを決めたデズートだが、実際のところは、会社はなくなり、国もなくなり死んでもいいと投げやりになっていた(ついでにマリヌス医師も)。序盤に出てきた、先祖代々危機から身を守ってくれた詩編を身につけ、自分も試してみた。
一方、城山奉行は上記の不始末の責任を取り、切腹することになった。その介錯人として榎本僧正を指定した。城山は実は、ある秘密の作戦を考えていた。切腹すると見せかけ僧正と刺し違えようというのだ。これで榎本の悪事を潰そうと考える。これはつまり、而立→おタネ→緒川宇佐衛門→ヤコブ・ダズートと託された告発状が城山に渡ったためである。正義を守ろうと思ったからだ。刺し違えると言っても刀で成敗するわけではなく、実際には毒を盛る。しかも作戦がばれないように自分も一緒に毒入りの杯を干す。この辺りは日本的ではなくエキゾチックだ。
第四部。それから何年か経ち、マリヌス医師も死去する。その埋葬時にデズートは織斗と再開する。織斗は京都で産院を開業しており、デズートは別の日本人女性と結婚し10歳になる男の子ができている。織斗との別れ、そして、故郷へは一緒に連れて帰れない息子との別れ。どちらも現代とは違い、ほぼ永遠の別れになる。それを思うと一際悲しいものだ。
第五部は短い。最終章だけ。ここでは一気に時が進んでいく。この最後の章を読み、感動するために今までの話があったようなものだ。日本的なワビサビではないが、心に染み入る。
原題をみると、ヤコブ・デズートの千の秋とあり、確かにデズートの伝記のような、回顧録と言うのか、ニュアンス的には、「大変なこともあったけど、いい思い出だった」話だ。
 
20160201読み始め
20160207中断
上巻
20171126読み始め
20171229読了
下巻
20180107読み始め
20180116読了