モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

Ⅰ‐2 近松門左衛門「曽根崎心中」(下)●心中事件の歴史的な意味

2021年02月11日 | 日本的りべらりずむ
(前回からのつづき)

心中もののヒロインはいわゆる遊郭という悪場所に生きていた女性が多かったようです。

遊郭はまた“苦界”とも言われて、男にお金と引き換えに身請けをしてもらう幸運に恵まれなければ、
死ぬまでそこを抜け出していくことはできないと言われた場所でした。

“苦界”という言葉は江戸期から使われるようになったとのことです。

徳川氏が江戸に幕府を開いて世の中が落ち着いてくると、商業活動が盛んになり、
市中の整備も進んでいって、遊郭や芝居小屋などの遊興のエリアが特定の場所に囲われていきました。

身分制も定着していって、遊興のエリアで生存活動を営む人たちは士農工商からもはずれた、
世間の最底辺あたりに位置づけられるような存在と見なされるようになります。

「理が立たなければ死ぬしかない」という元禄時代頃の女性たちの追い詰められた意識は、この時代の社会状況により余儀なくされていたということでしょう。



“苦界”という言葉は中世の“公界(くかい)”が江戸期に入って変化したものと言われているようですが、
民衆史家の網野善彦の『無縁・公界・楽』によりますと、公界は世俗的な縁から切り離された“無縁”の人々が寄り集まってくる場所の呼び名で、
「(戦国時代には)俗権力も介入できず、諸役は免許、自由な通行が保証され、私的隷属や貸借関係から、自由、世俗の争い・戦争に関わりなく、平和で相互に平等な場」
として「寺院だけでなく、社会のいたるところに存在し、活動していた」とされています。

しかし
「こうした積極性は、織豊期から江戸期に入るとともに、これらの言葉自体から急速に失われていく。(中略)「公界」は「苦界」に転化し、「無縁」は「無縁仏」のように淋しく暗い世界にふさわしい言葉になっていく。」

 『無縁・公界・楽』ではさらに女性の“無縁”性に考察を及ぼして、「女性の「性」そのものの「無縁性」「聖」的な特質」を指摘しています。

そしてこの女性の“無縁”性が、
「時代とともに並行して衰弱していく。それは、まさしく「女性の世界史的敗北」の過程の一環にほかならない。」
そのような認識を、網野氏は導き出しています。

してみれば、おはつ・徳兵衛が心中へと到るプロセスは、「女性の世界史的敗北」の過程という、
近世から近代にかけての家父長制度下の差別のまなざしの中で、
女性が追い込まれていった境遇の一つの点景として捉えられるということになります。

 これはまさに、徳川幕府樹立後100年ほどして上方の苦界を中心に心中事件が頻発したことの歴史的な意味と言えるでしょう。


おはつ・徳兵衛の心中場面の描写はとてもリアルで、筆者などは正視するのがちょっと辛いようなところがあります。

そのリアルな描写は近松のほとんどの心中ものに共通していますが、
人間の死にゆく姿を冷徹に描いていくことによって、成仏の契機を、魂の救済を見い出していこうとするかのようです。

場面は夜の(あるいは明け方の)暗い陰惨な空気感の立ち込める中で、
時代が強制してくる宿命に抗う術を知らぬ若い男女二人の至純の愛の炎が、そこで一挙に立ち昇っていくのです。

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Ⅰ‐2 近松門左衛門「曽根崎心中」(上)●理が立たねば、死なねばならぬ

2021年02月11日 | 日本的りべらりずむ
『曽根崎心中』を初めて読んだときに筆者が受けた印象は、何よりも出だしの異様さです。

舞台となる大坂市中の西国三十三所の観音巡りが語られるのですが,
この出だしについて諸解説は、近松の精神的バックボーンをなす仏教的なイメージによる魂の救済のテーマを提示するもの、などと書かれています。

しかしどちらかというと、延々と続く語りに抹香臭さが立ち込めてきて異様な感じをぬぐいきれないでいました。


そういう中で、近世芸能文化の研究者である広末保が、『曽根崎心中』は主人公の二人の霊をこの世に呼び戻して、
もう一度生き直す(心中へと至る出来事をもう一度なぞる)という形で構想した、
(実際、冒頭は「げにや安楽世界より、今この娑婆に示現して」と書き出されています。)
そして二人の若者の死の意味、心中の意味を劇的想像力の中で造形することによって魂の成仏をくわだてたのだという解釈に出会って、なるほどなと得心しました。

広末の解釈をさらに煮詰めていきますと、二人の死のシーンをどう描くかというところまで見通した上で、
ということは、心中の意味を近松なりに完璧につかみきった上で書き始めたと筆者は考えたいと思います。

それはつまり人間の死の意味を見出すことであり、同時にそのことを通して作劇の新しい世界が開けてきたということを意味していたに違いありません。

そのような万感の思いの炸裂するような勢いがこの出だしから感じられます。



話の流れは、おはつと徳兵衛が再会するところから心中に至るまで一直線に進んでいきます。

もちろん、死へと追い込まれていく経緯がドラマの進行とともに語られていて、
そこに登場する脇役たちもそれなりの意味が託されていることは言うまでもありませんが、
究極の目的はやはり心中の場面を描くところにあったことには違いありません。

再会から心中までの時間経過がすこぶる早く、徳兵衛が金を貸した相手の九平次から辱めを受け、
その九平次が茶屋で徳兵衛の悪口を言うのを、徳兵衛がおはつにかくまわれた状態で聞きながら、死を決意する、
それがその日のうちのことで、1日と経っていません。

しかも最初に死を決意するのはおはつの方で、徳兵衛の側の「理が立たぬ」と判断して、
縁の下で聞いている徳兵衛に、次のように伝えます、
「徳様も死なねばならぬ、死ぬる覚悟が聞きたい…。」

おはつ自身が「理が立たない」わけではないにもかかわらず、徳兵衛と一緒に死のうと誘いかけ、その覚悟を問うのです。


同じ近松による他の心中ものでも、大抵は覚悟を決めるのがあっという間のことで、
しかも先に女性が決断して、男に同意を求める形が多いようです。

このことは、追いつめられれば死しか選択肢がないということを意味している、
近松が生きた時代(1700年前後)は、特に女性たちはそういう境遇に置かれていたと想像されます。

                                (つづく)

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