感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
備前藩旧閑谷学校(1)
庶民(武士以外)を対象とした学校の建物として、現存する世界最古
のものと言われる、備前藩校、閑谷(しずたに)学校は、岡山県の東、
和気(現備前市)閑谷の緑に囲まれた山中にあります。
備前藩主、池田光政が建設を命じたのは、1670年。現代の建築家に
も信奉者が多いといわれる講堂(現国宝)が建立されたのは、元禄14
年(1701年)のこと。
学校に近づくと、まず梅林越しに見える壮大な校門に圧倒されます。
校地を囲む石塀は、上部が丸くなった「切り込み剥ぎ式」と呼ばれる
精巧な石工技術の賜物。これも目を見張らせます。そして、講堂。
堂々とした柱組みの入母屋造り。こけら葺きの上に備前焼瓦をのせた
壮麗な屋根が、一際見事です。周り一面の緑のなかで、輝いていました。
(旧閑谷学校は、山陽本線吉永駅の南、約3kにあります。
車で行けば、5分の距離だが、出来れば歩いて行きたい・・、と思わせ
ます。歩行道の短いトンネルを潜ると、そこは別世界。
緑の山に囲まれた、閑谷の小世界にとっぷりとしたることができます。)
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石塀は凄いですね。
こんなのは見たことありません。
瓦がまたすごい!
備前焼の瓦なのですね。
ちょっと普通の瓦とは違いますね。
今の技術では難しいかもしれませんね。
屋根の流れるような線、塀の曲線
線の美しさを感じます、
当時のままで残っているのですね、
備前瓦ですか?屋根の模様も立派ですね。
庶民の学校だったのですね、
石塀もすごいし、講堂も壮麗で見事です。
これで、300年を経ているのです。
現代の建築家にも、熱烈な信奉者が多い
というのも、頷けますね。
ほんとに、曲線の美しさでしょうね。
300年を経て、ますます美しさを
増している感じですね。備前焼瓦の
色が、周りの緑樹に映えていました。
こんな丸い塀は見たことがありません。
それに瓦、みごとですね。
芝生もきれい。
説明を読む前に感心しましたが、読んでまた感心しました。
地震が来ないことを祈りたいですね。
庶民といっても、ある限られた人でしょうけど。
江戸時代は、意外に、殿様のご意向によって、
思い切ったことができた時代なのかもしれません
ね。
ほんとに、石塀には、圧倒されますね。
また、備前焼の瓦の美しさ、緑の中で
輝いていました。300年の間、地震
も幾度もあったでしょうが、びくとも
していないようですよ。すごい技術です。
学校ですか。
このようなところで受けた教育はどんなものだったのでしょう。
建築技術はもちろん素晴らしいものでしょうけれど 建てた方の教育イデアがあってのことなのでしょうね。
これは学校ですか?
学校というよりも完全にお寺ですよね~。(笑)
江戸時代の学校というと、すぐ寺小屋が思い
浮かびます。それよりさらに高度な教育の場
として、理想の施設を造るという藩主の強い
意思があったのだと思います。教育の成果は
必ずしも、施設や環境の良さに伴うものでは
ないのでしょうけどね。
今から見るとお寺に見えるかなー。
でも、これ江戸時代ですよ。
その時代、どんな建物あったかな。
お寺も寺子屋などに使われていたし、
学校として違和感なかったと思いますよ。(笑)
当時のままの建築物なんでしょうね。素晴らしい建築様式には驚きです。
関東には足利学校がありますが、これはやはり武士を対象としたのでしょうね。
駅からの3kmの道にあるトンネルとどのようなトンネルなのでしょう。
平成から江戸へつなぐトンネルにも興味があります。
備前藩校、世界最古なんですか?
凄い建築物ですね!
備前焼瓦のを眺めてるだけで遠い古へと思いが馳せますね。 校門や石塀にも当時の思い入れが伝わってきます。 備前焼の素晴らしさを改めて感じ入ります。
素敵な画像を有難うございます!
武士以外も対象とした、上級教育の学校は
江戸時代では、珍しいことなのでしょう。
まさに、備前藩の意気込みが感じられる
学校ですね。学校の役目を終わった今も、
当時の文化を現代に伝え続けているのですね。
いやー、枯雑草流ですか。ワシは大体ワンパターン
で何でもこうなるんです。許してツカーサイ。
昔は唯一の道でしたが、最近、新道ができて、
旧いトンネルのある道は、歩行専用、それも
殆ど通行のない・・、ほんとに平成から江戸への
タイムトンネルのようでした。
庶民を対象とした学校の建物で現在残っているもの
としては、世界最古ということのようです。ちょっと
前提が多すぎますね。
備前焼の花瓶などもいいですが、この瓦の質感と
微妙な色のバラエティ、ほんとに、素晴らしいもの
でした。周りの緑がそれを引き立てています。
2枚目の写真が気になりますねぇ。
かなり頑丈な物なのでしょうね。
学校には見えませんが、1枚目の写真は芝生でできた運動場??
どの写真からも歴史が伝わってきます。
2枚目、石塀ですね。石がピッタリと組み
合わされている、すごい技術ですね。極めて
強そうです。今の常識からすると、やっぱり
学校には見えないでしょうね。でも江戸時代
では、学校中の学校だったのでしょう。