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空母いぶき

2019年06月02日 | 時事
空母いぶきを観てきました(ネタバレあり)

国防モノということで、これまでになかなかなかったジャンルですね。ただ、原作も読んでいたのですけど、結論から言うとこの映画はどちらかと言えば原作を知らずに初見で観た方が楽しめる作品かなと思いました。自衛隊に初の空母が導入されたところに外国の侵略を受け、命をかけて防衛するという大きなストーリは一緒でも、その背景や相手国、侵略された場所が全く異なるからです。当然結末や着地点(原作は一応未完)も異なり、これは原作ファンからすると「どこが変更されたか」を楽しむというレベルではなく、「原作に触発されて新しく作られた話」のなかに散りばめられた原作の要素を楽しむというスタンスで観るべきだったかもしれません。

具体的にいうと、原作では侵略してきた国は中国と明記され、占領されるのは尖閣諸島、及び与那国島となり、「与那国は返すから尖閣の領有権を認めろ」と日本政府に迫るところがスタートラインになります。そこで戦闘(陸・海・空)と政府間交渉を同時に進めていくわけですが、本作品は架空の国が架空の島を占領し、いぶきがその島を奪還しに行くという陸を抜いた非常に簡素な話に変わっているのです。中国として公開しまうとやはり政治的に問題があるからなのかもしれませんが、フィクションの世界なのでそこは変えなくてもよかったと思うのですがね・・・ゴジラもそうですけど、戦闘モノは架空の敵を想定したほうが問題が起こりにくいという配慮があるのかもしれません。それこそ表現の自由に反していると思うのですが。また原作にはなかったコンビニ店員(平和ボケ要因)と乗り合わせたマスコミ(炎上要因)の存在も、どことなく左翼方向に作品を薄める働きを担っていますが、左側の人は自衛隊がミサイルを打つだけで発狂しそうなものなので(笑)右側、左側双方とも不満の出る薄味の作品になってしまっている気がします。まあ、製作者の「これまで日常では話題に上りづらい国防について論じる機会になれば」という意図を汲めば、日本の現状はまずこのレベルから考えなくてはいけないということなのかもしれません。

架空の国家である東亜連邦とは当然国交もないので、交渉と呼べる交渉もできず防衛出動はしたものの相手の動きに合わせて終始出たら打つ、出たら打つの不毛な防衛戦をしている感じでした。ミサイルや魚雷を撃たれるのを待って、そのミサイルを迎撃するというのが主な戦闘になるわけですが、これ普通に考えて相手は打ち放題なのに対し、こちらは1発でも失敗すると大損害を被るわけで、全く割に合っていませんよね。実際は100%ということはないでしょうから、映画でも何発か迎撃に失敗し、いぶきや護衛艦が被弾してしまいました。極力人的被害を出さないようにという方針はわかりますけど、やらなければやられるという現場では、それこそ敵機を撃墜したり武器庫や砲台を積極的に破壊していかなければ、向こうはミサイル代(そもそも消耗品)だけの出費でいくらでも攻撃できてしまうでしょう。防衛戦は防衛する側が絶望的なまでに不利なのです。少しはやり返さないとということで、一応劇中でも少し損害を与えてはいるのですが、おそらく相手の主力は無傷のはずなので、物語も終盤にさしかかり明らかにジリ貧。一体どうやって決着をつけるのか・・・と思っていたところ、政府が裏で国連に手を回し、5大国の軍隊が合同で仲裁するという「圧倒的抑止力」により東亜連邦が手を引くというあっけない幕切れでした。なるほどこの展開をオチにもってくるつもりなら、敵国が中国であっては成り立ちませんね。なにせ国連を動かすのに中国には拒否権がありますし(笑)というわけで、逆算していけばこの相手国の大幅改変も一周回って納得、といった感じでした。無能の塊だった首相も最後に面目躍如といったところでしょうか。まあこの印籠を出すような決着は日本では通用しても世界の目線では役に立たないような気がしますけどねえ。「あれで敵はなぜ侵攻をやめたのだ?」と疑問符がつきそうです。この後国連が責任をもって日本の正当性を認め東亜連邦を断罪したかどうかは不明ですが、日本側にも魚雷を向けたところを見ると戦闘自体を止めただけであり、根本解決になってないようなモヤット感が漂いました。日本人としては日常に戻れて万万歳なのかもしれませんけど、今後敵機を撃墜したことや防衛出動に関して責任を問われる政争で退陣に追い込まれるでしょうね。いつの時代も、やはり防衛戦はジリ貧なのだよなあ。

そしてもうひとつ、挿入された日常シーンが果たした役割について一考してみます。コンビニのシーンは、平和ボケした日常の姿と、戦争になるかもという不安で買い物に殺到するという有事の混乱を表現しており、防衛力とはこのような当たり前の日常を守るためにあるのだというテーマに結びついています。なので自分はあのシーンを不必要だとは言いませんが、有効に活用しきれてなかった気がするのですよね。その店で売っているクリスマス用のお菓子の詰め合わせを乗り合わせたマスコミが空母に持ち込んでおり、中に入っていたカードには「世界はひとつ、みんな友達」など、店長の手書きメッセージが入っていました。ただ、それを見たのがマスコミの2人(民間人)に留まっていたのが残念でなりません。館長なり敵国の捕虜なりが見ればまた一つメッセージ性が生まれたでしょうに、もったいなかったなと思います。例えば最後のハプニングシーンで甲板に出た女性が風にあおられそのカードを飛ばしてしまい、それを館長なり敵国の捕虜が受け取ってメッセージを読む(翻訳して聞かせる)というようなエピソードが加わっていれば、コンビニの日常シーンと戦闘の最前線がリンクして平和の大切さを際立たせることができたように思うのですがね。それを聞いて捕虜が改心して本国に停戦を求めるとか、平和ボケ路線でまとめるならそれくらいふりきってほしかったですな。