(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

汚染水漏れ

2013年09月05日 | 震災
政府・与党、東電任せを反省 強い危機感 福島第1汚染水漏洩
あれ?2年前からこの対策のために復興予算を組んだのではなかったっけ?

この問題が浮上してから対策として何度もテレビでアピールされている「凍土の壁」も、実は「3年後にできますよ、でも大規模に試したことがないので効果は分かりません。」という代物のようです。あれだけ宣伝していたのですからもう今月にはできるのかと思っていましたが・・・とりあえず予算を組み来年度に前倒しして作るようですが、漏れた水の処理もできない横でまだ同じ構造のタンクを作り続けているわけですし、素人目から見ても後手に回っているとしか思えません。

五輪開催地決定の直前になって発覚したのは幸か不幸か・・・日曜にはどう判断されるのでしょうね。
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電力量微増の謎

2013年08月17日 | 震災
7月の発受電電力量は2カ月連続プラス 猛暑で冷房需要増える
そりゃ今年は「節電しよう」なんて一切言われていませんから、増えるのは当然ですな。

東日本大震災があってから、節電が夏の風物詩になっていました。2011年は15%の節電目標が課せられていましたし、2012年はそれほど暑さも制限も厳しくなかった気がしますが、それでも5%ぐらいはあったように思います。暑い・寒いといった体感は時が経つと忘れてしまうので、今年は特に猛暑という印象が強いですが、一応自分のブログを「節電」で検索してみたら、どうやら渦中の2年前も6月に過去最高の39.8度という気温を叩き出したくらいで、実は猛暑だったようです。よく乗り切ったよな・・・ちなみにその際に熱中症が多発したようで、去年はやたら熱中症報道が加熱した模様です。まあこの傾向は今年もですが、テレビの人達から「私達が、2年前に一番効果のある“テレビを消す”ことを報道せず、やたら節電節電言い過ぎたために熱中症が増えてしまいました。」という謝罪は、まだ聞いていませんねぇ。

ところで、少なくとも去年はほどほど冷夏であり、電力予報もほぼ毎日逼迫率90%の「安定供給」で事なきを得たようですが、連日40度を越すような異常に暑い今年が、高々「昨年比1.7%増」の発電量にとどまっているのは少々ミステリーです。少なくとも昨年は「5%節電しよう」と言われていた数値のはずであり、一昨年の記憶もまだ生々しく、それなりにがんばっていた頃の数値なわけで、今年のように青天井で使っている状態でもそれだけしか増えない理由は、2つくらいしか考えられません。即ち、電力消費の少ない商品の買い替えによる節電対策が浸透したか、または家庭・企業の努力による無理のない程度の節電対策が浸透したかです。いずれにしても、震災から3年目の夏を迎え、この国は「節電」というモデルをある程度確立したといえるのではないでしょうか。これは非常に喜ばしいことです。

つまり「やっぱ原発オワコンじゃね?」ということなのですけど・・・安部さん聞いてます?
安倍内閣:原発輸出外交を再開、岸田外相が東欧訪問へ

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救援物資論

2013年04月03日 | 震災
1箱1品目・直接送らず…救援物資発送にルール
確かにルールがあったほうがいいですね。つか、何で今までなかったのだろう?

震災直後、自分も含めて多くの方が「何とか助けになりたい」という気持ちになったと思いますが、どういう風に何をすれば良いのか皆目見当がつかなかったと言うのが正直な所なのではないでしょうか。現地の人にとって見ても、「今はこれが欲しい」というニーズはそれこそ日々変わるものですし、「適当に送って適当に欲しいものを持っていく」という風にすると、おそらく収拾がつかなくなってしまうでしょう。特に食料品など、消費期限のあるものは時期を過ぎるとタダのゴミとなってしまい、余計な手間を取らせてしまうわけです。個人的に知っている1家族への支援なら1つのダンボール箱にあれもこれもつめて・・・ということも考えられますが、地区や自治体などへ全体的に支援するには、やはりそれなりのルールに乗っ取って動くべきだと思います。

震災から2年経ち、ビッグデータなどの検証も少しずつ進んでいるように思います。効果的な支援物資の送り方・活かし方についても是非検証し、次につなげて欲しいですね。
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冷却停止

2013年03月19日 | 震災
福島第一原発で停電、燃料プールの冷却装置停止
2年経っても、まだ何も終わっていないことが改めてはっきりしましたね。

停電自体は復旧したので、震災直後ほどの危機感はないものの、続報がないところを見ると依然として冷却装置は作動していない模様。あの時は僅か1日で次々と爆発が起きましたが、今回は「4日の猶予」があるとか・・・って、もう1日経ったのであと3日後にまた爆発の可能性があるってことですよね。東北関東地方の方はそろそろ避難の準備を始めた方がよいのではないでしょうか。

原発事故の恐ろしさはこの2年で何度も再認識させられたわけですが、1度の事故で日本の国土のそれなりの面積が使い物にならなくなり、帰還困難区域では何の生産活動も行えないまま、今後も何十年と放置というか、税金を投入させられ続くのでしょう。これがどれほどの損失かは計り知れません。
東南海地震の被害総額の試算も発表され、「目に見える損害だけで220兆」という数値らしいですが、この結果には原発事故は含まれていません。もし浜岡原発で同様の事故が起きたら、今度こそ日本は壊滅的被害を被るわけです。プルトニウムの半減期は2万年ですし、最早100年に1度だからとか1000年に1度だからとかのレベルで高をくくっている場合ではないのです。

昔から日本には「水に流す」という恨みつらみを忘れる文化があるわけですが、それもひょっとしたらこういう地震大国ならではの風習なのかもしれません。しかし、最早失ってもまた1からやり直せることばかりでないほどに人類は進化しすぎてしまっています。可能な限りの予防策を講じ、「減災」に努めたいものです。
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一本松中止

2013年03月09日 | 震災
奇跡の一本松復元、震災2年に間に合わず
サイボーグ化し、22日には戻ってくるはずだった奇跡の一本松ですが、組み立てを間違えて中止になった模様です。

折角本物を切り倒してまで精巧なレプリカ作りに励んでいたのに、取り付け失敗のせいで震災から2年になる11日には、また“工事中”に逆戻りする模様です。しかも特殊な接着剤を使用しているらしく、失敗した部分は付け直すのではなくもう一回作り直すとか。確か総工費1億5千万円で、寄付金はまだ1億も集まっていなかったはずですが、その予算はどこから出てくるのでしょうか。まさか予算不足で頓挫したりしませんかね。

しかしコレ、仮につけ方があっていたとしても、何となく枝葉がさっぱりとして以前より寂しい感じがします。この際だからもう少し盛っても良かったのでは?
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手抜き除染

2013年01月07日 | 震災
「除染適正化本部」を設置 環境省、手抜き横行を受け
朝日がかなり前から温めていたスクープ記事のようですが、こういう人達って何で写真撮ってないでその場で注意しないのですかね。

今更ですけど、そもそも放出された放射性物質はもとの鞘に戻すことは不可能であり、「除染」と言う言葉自体、ありえないわけです。通常の掃除のように、ゴミを集めて捨てるわけにはいきません。落ち葉を拾ったり土を削ったりすればその捨て場所を考えないといけないですし、水で流せばその水が染み込む前にその水全て回収しないといけません。燃やせば灰になってもっと広範囲に飛び散っていきますし、現状では1箇所に集めて保管するしかないのですが、その場所が汚染されるわけですし、場所にも限りがあるでしょう。むしろ人体に影響のない程度に水に流したり、散らばらせたりした方が得策であるようにすら感じます。

関係者でなくとも、「穴を掘って埋める罰」のような切りのない感覚に陥ってしまう気持ちが良くわかります。まあ、そこに賃金が発生すれば諸手を挙げて飛びつく輩もいるのでしょうけど、今後2万年以上にわたって税金が投入され続けることを考えるとやりきれませんね。
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震災想起

2012年12月07日 | 震災
三陸沖M7.3、津波1メートル 東北・関東で震度5弱
報道に「東日本大震災を思い出してください。」という強い口調が初めて使われましたね。

文字通り東日本が震度表示で埋め尽くされた地震でしたが、幸い被害はソコまででもなかったようです。避難は過剰すぎるくらいで丁度良いという感覚が今の我々にはありますが、これが今後繰り返されることになると、オオカミ少年の原理でやはり動きが鈍ってしまうのでしょうね・・・
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盛り土調査

2012年11月04日 | 震災
盛り土造成地、進まぬ分布調査 114自治体未着手
ほとんどの県で未調査、または調査しても公表していない状態のようです。

東日本大震災の被害を伝えるテレビの中で、ある一本の道路から上は無事で、その下が大きく地すべりして全半壊という場所が映っており、その原因として「盛り土」の話が出ていたと思います。山を削った部分と、谷を埋めた部分では、同じ平らな土地でも地盤の強さに相当の違いがあるわけで、ある地点から下の「盛り土」だった所が滑り落ちたというわけのようです。まあ人工的に埋め立てられた土地がヤワイのは関東一円の埋め立て地の被害を見ても明らかですし、これでは今後町全体を高台にするという構想があっても、あまり震災対策にならないかもしれない、ということです。

基本的に、日本の地形はほとんどが平坦でない土地なので、切り崩すか盛り土をするかしないと家を建てられませんから、相当の面積が人工的に埋め立てられているのではないかと思います。つまり、調査するしないというよりも、ほとんどがそうなのであまり調査しても意味がないというのが本音なのではないでしょうか。この辺りも、長良川だった部分を埋め立てて宅地化している場所が相当ありますから、おそらく調査されたとしても公表できないだろうなぁ・・・
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復興予算

2012年10月16日 | 震災
復興予算「必要事業に厳しく絞る」 首相が明言
復興予算なので復興に使う・・・至極当たり前なことが何故できないのでしょうかね。

たまに石巻陸前高田がテレビに映っても、半年前に自分が旅行したときの様子となんら変わっていない現状は異常を通り越して不気味に映ります。まあ更地に建物が建ったから復興といえるものでもないかもしれませんが、少なくとも沖縄の道路を直しても復興とは全く関係ないですよね。どうしてもっと集中して取り組めないのか・・・一部に予算を集中させると何か危険なのでしょうか?

そもそも、この復興予算は半年前の4月に可決したものですが、なぜ9月にNHKスペシャルが着手するまで誰も何も言わなかったのでしょうか。内訳を見ることのできる人であれば、予算が通る前に精査できたはず・・・財源は増税と国債で賄うわけですが、増税法案が通って国債法案が通っていないこの時期に動き出したことに、何か大きな陰謀を感じますね。

募金も寄付も、本当の所は何に使われているのか分かりません。パフォーマンスと言われてもいいので、せめてこういうお金は目に見える使い方をしてほしいですね。
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最新防波堤

2012年08月30日 | 震災
津波が来たら防波堤出現 三菱重工など、和歌山に建設へ
新聞にも図解で載っていましたが・・・軽く突っ込ませていただきます。

①せり上がる前に津波が来たら?
②7.5m以上の津波が来たら?
③地震で地盤が動いて出てこなかったら?
④地震で堤防が曲がって出てこなかったら?
⑤フジツボが引っかかって出てこなかったら?
⑥空気を送り込むパイプが地震で壊れたら?
⑦全電源喪失したら?
⑧何度も押し寄せる津波に耐えられなかったら?
⑨完成前に津波が来たら?
⑩委託した下請けが○国の業者だったら?

・・・大丈夫かな?
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復興債低迷

2012年05月28日 | 震災
復興国債、PR作戦 個人向け販売低迷…AKB・沢選手・白鵬関起用
つか、グラフを見る限り、みんな23年12月につぎ込み過ぎたからでは?

かく言う自分も、もう金貨がもらえると勘違いして去年の冬につぎ込んでしまい、余裕資金が1000万を切ってしまったため、金貨がもらえる3月には手が出ませんでした。まあ、何か今年の4回分は毎回デザインの違う金貨を出すらしいので、ぜひ24年12月にはリベンジしたいところです。
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原発0

2012年05月05日 | 震災
原発きょう稼働ゼロ 泊3号機停止で42年ぶり
本日、ついに日本で原発0が達成される模様です。

既に作ってしまった原発は、運転させようがさせまいが膨大な維持費と長久の冷却期間が必要ですので、稼動が0になっても、今津波が来たらどこでも福島第一の二の舞になりかねません。廃炉作業も、今後の技術革新を頼りにしないとできない始末。まるで未来からドラえもんが来るのを待っているようなものですね。

さしあたり、福島の立ち入り禁止区域を国が買い取って、メガソーラーなり風車なりで埋め尽くせば相当の電力が得られると思うのですが・・・
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アナログ完全終了

2012年04月28日 | 震災
被災地を回りながら、期せずしてアナログ放送の完全終了に立ち会うことになりました。

岐阜に住んでいると既に過去の話ですが、20011年7月24日に終了したアナログ放送が、ここ被災地では2012年3月31日まで続いていたわけです。朝のニュースで正午終了を聞いて、「まだやっていたのだなあ」と思いました。

実際はカーナビもホテルや飲食店のテレビもデジタル化されていたので、正午を境に劇的な変化があったわけではありませんでした。地震などで壊れてしまったなら買い替える理由にもなりますし、むしろこの8ヶ月遅らせた意味があったのかは疑問です。

・・・というわけで、一ヶ月にも渡った東北慰問記もコレにてネタ切れです(笑)
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一ノ蔵

2012年04月26日 | 震災
この東北旅行では、「一ノ蔵」というお酒を飲んでいました。

上記リンクを見る限り、こちらの酒蔵も震災で相当の被害が出た模様です。電気もつかない中、皆の力で片付けて僅か1ヶ月で復興を成し遂げたそうです。1年経って、町並みに変化がない地区は不覚にも「それほど被害がなかった地区だったのだ」という印象をもって旅していましたが、建物自体は無事でも当然震度5以上のクラスの地震は建物の内部はぐちゃぐちゃになりますから、津波が来なかった地区でも、地震により大きな危害が出たところは非常に広範囲にわたって存在したわけです。やっときれいに片付いたところでまた余震でビンが割れて・・・の繰り返しの中、よくぞ立ち直ったものだと思います。初日にコンビニで買って車に置き、4日間宿でちびちびと飲んでいました。非常に美味しかったです。

さらに仙台空港で限定酒らしきものを見つけたので、最後にお土産にも買って行きました。「復興応援ボトル」ということで、売上金は全額寄付されるとのこと。でも、これ自分は1550円払って相応の対価を得ていますから、寄付するのは売り手側ですよね。喜んで買ったけど、本当に応援したことになるのかな?
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2012年04月25日 | 震災

昨年の漢字騒動で一気に安い言葉に成り下がってしまいましたね。ちなみにこれは松島で買った絆Tシャツです(笑)絆は最早商売道具?

岐阜県の教員の中?では、県外交流といって、宮城と鹿児島の教員と、毎年一定数の人事交流があるそうです。鹿児島は昔、岐阜県南西部の木曽三川分流工事の際に、私財を投じて尽力した薩摩義士という存在がありますから、岐阜にしてみれば多大なる恩のある県であり、鹿児島にとっても恐らく忘れ得ぬ特別な県なわけです。しかし、宮城はというと、実は良くわかりません。可能性として、岐阜市のシンボルに織田信長が治めた金華山という山がありますが、その山にまつわる伝説に、あるドラ息子が家を追い出され、放浪した末に宮城県の金華山にたどり着き、そこの石を無断で持って帰った所、父親に怒鳴られてその石を裏に投げたところ、翌日そこに山ができていたという伝説があり、そういう縁なのかな?と思っています。ちなみにこれは金華山が火山でなく、土地が隆起してできた山であることから、ある日突然出現したみたいな言い伝えからできた伝説ではないかと考えられます。あと、金華山の別名を一石山と言い、山の神様の怒りを感じたその息子は、その後はマジメな青年になったとさ・・・というオチですが、それはまあどうでもいいか(笑)宮城側にメリットがないのでこの説は微妙ですが、まあとにかく交流があるのは事実です。

そんなわけで、7年前に岐阜に交流でみえていた宮城の先生と、幸運にも飲む機会を得ることができました。そういう人事のお約束か、戻られてからは教頭先生になったそうですが、震災に遭い、1ヶ月ぐらい何の情報もない中、電気も水道もガソリンもない生活を強いられていたそうです。幸い先生の勤務校は内陸地で津波の被害を受けず、また家族親族も全員無事で避難生活の必要まではなかったそうですが、岐阜に来る前にみえた名取市の小学校と連絡を取り、一時的に校舎を貸して一緒に勉強をしていたそうです。震災後の1ヶ月間は、自分の生活で精一杯で、とてもじゃないけど回りに気を配れる状況じゃない中、前任校にまで救いの手を差し伸べていたとは・・・毎日報道漬けになり、呑気に安否確認サイトで何回か名前をググっていた程度だった自分はなんて幸せだったのだろうと思いました。当事者の話を聞いて感じたのは、何とか自分達で立ち直ろうという「地元」のエネルギーです。逆に、「外側」の人間である自分に何ができるのか・・・恐る恐る尋ねてみた所、「7年も経っているのに、こうして俺を忘れないでいてくれたことが一番嬉しい。」という答えでした。一緒の学校だったときの先生からも何人か電話があったらしく、嬉しそうに話してくれました。家族を失い、悲しい思いをされている方も、こうした遠方からの励ましの声や支えなどが力になっているのでしょう。また、こちらの方でも同規模の地震が想定されているわけで、そのときには是非この震災を教訓に、1人でも多く生き延びて欲しいと、逆に言われました。

逆に困ることは、1にマスコミ、2にお金だということでした。お金はまあ納得ですが、大川小などは、しばらく誰も取材に来なかったくせに、1周年を前にマスコミがどどっと押し寄せてきて、学校近辺は満員。遺族が撮影されないよう一時的に避難していたという話も聞きました。静かに弔うことすらさせてもらえないなんて・・・ヤツラは何か楽しい記念日と勘違いしている様子だったそうです。多分これから毎年そうなのでしょう。そこまでひどいとは・・・思っていたけど(笑)やはり、相手の気持ちになって考えるという常識が、今のメディアには圧倒的に欠けていますね。

今回の旅で、安っぽい言葉だけの絆でなく、本当の絆を結べたような気がしました。
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