カナ文字文庫(漢字廃止論)

日本文学の名作などをカナ書きに改めて掲載。

ダラクロン

2012-11-07 | サカグチ アンゴ
 ダラクロン

 サカグチ アンゴ

 ハントシ の うち に セソウ は かわった。 シコ の ミタテ と いでたつ ワレ は。 オホキミ の ヘ に こそ しなめ カヘリミ は せじ。 ワカモノ たち は ハナ と ちった が、 おなじ カレラ が いきのこって ヤミヤ と なる。 モモトセ の イノチ ねがはじ いつ の ヒ か ミタテ と ゆかん キミ と ちぎりて。 けなげ な シンジョウ で オトコ を おくった オンナ たち も ハントシ の ツキヒ の うち に フクン の イハイ に ぬかずく こと も ジムテキ に なる ばかり で あろう し、 やがて あらた な オモカゲ を ムネ に やどす の も とおい ヒ の こと では ない。 ニンゲン が かわった の では ない。 ニンゲン は がんらい そういう もの で あり、 かわった の は セソウ の ウワカワ だけ の こと だ。
 ムカシ、 シジュウシチシ の ジョメイ を はいして ショケイ を ダンコウ した リユウ の ヒトツ は、 カレラ が いきながらえて イキハジ を さらし せっかく の ナ を けがす モノ が あらわれて は いけない と いう ロウバシン で あった そう な。 ゲンダイ の ホウリツ に こんな ニンジョウ は ソンザイ しない。 けれども ヒト の シンジョウ には タブン に この ケイコウ が のこって おり、 うつくしい もの を うつくしい まま で おわらせたい と いう こと は イッパンテキ な シンジョウ の ヒトツ の よう だ。 10 スウネン マエ だ か に ドウテイ ショジョ の まま アイ の イッショウ を おわらせよう と オオイソ の どこ か で シンジュウ した ガクセイ と ムスメ が あった が セジン の ドウジョウ は おおきかった し、 ワタシ ジシン も、 スウネン マエ に ワタシ と きわめて したしかった メイ の ヒトリ が 21 の トシ に ジサツ した とき、 うつくしい うち に しんで くれて よかった よう な キ が した。 イッケン セイソ な ムスメ で あった が、 こわれそう な アブナサ が あり マッサカサマ に ジゴク へ おちる フアン を かんじさせる ところ が あって、 その イッショウ を セイシ する に たえない よう な キ が して いた から で あった。
 この センソウチュウ、 ブンシ は ミボウジン の レンアイ を かく こと を きんじられて いた。 センソウ ミボウジン を チョウハツ ダラク させて は いけない と いう グンジン セイジカ の コンタン で カノジョ たち に シト の ヨセイ を おくらせよう と ほっして いた の で あろう。 グンジン たち の アクトク に たいする リカイリョク は ビンカン で あって、 カレラ は オンナゴコロ の カワリヤスサ を しらなかった わけ では なく、 しりすぎて いた ので、 こういう キンシ コウモク を アンシュツ に およんだ まで で あった。
 イッタイ が ニホン の ブジン は コライ フジョシ の シンジョウ を しらない と いわれて いる が、 これ は ヒソウ の ケンカイ で、 カレラ の アンシュツ した ブシドウ と いう ブコツ センバン な ホウソク は ニンゲン の ジャクテン に たいする ボウヘキ が その サイダイ の イミ で あった。
 ブシ は アダウチ の ため に クサ の ネ を わけ コジキ と なって も アシアト を おいまくらねば ならない と いう の で ある が、 しんに フクシュウ の ジョウネツ を もって キュウテキ の アシアト を おいつめた チュウシン コウシ が あった で あろう か。 カレラ の しって いた の は アダウチ の ホウソク と ホウソク に キテイ された メイヨ だけ で、 がんらい ニホンジン は もっとも ゾウオシン の すくない また エイゾク しない コクミン で あり、 キノウ の テキ は キョウ の トモ と いう ラクテンセイ が ジッサイ の いつわらぬ シンジョウ で あろう。 キノウ の テキ と ダキョウ いな カンタン あいてらす の は ニチジョウ サハンジ で あり、 キュウテキ なる が ゆえ に いっそう カンタン あいてらし、 たちまち ニクン に つかえたがる し、 キノウ の テキ にも つかえたがる。 いきて ホリョ の ハジ を うける べからず、 と いう が、 こういう キテイ が ない と ニホンジン を セントウ に かりたてる の は フカノウ なの で、 ワレワレ は キヤク に ジュウジュン で ある が、 ワレワレ の いつわらぬ シンジョウ は キヤク と ギャク な もの で ある。 ニホン センシ は ブシドウ の センシ より も ケンボウ ジュッスウ の センシ で あり、 レキシ の ショウメイ に まつ より も ジガ の ホンシン を みつめる こと に よって レキシ の カラクリ を しりうる で あろう。 コンニチ の グンジン セイジカ が ミボウジン の レンアイ に ついて シッピツ を きんじた ごとく、 イニシエ の ブジン は ブシドウ に よって ミズカラ の また ブカ たち の ジャクテン を おさえる ヒツヨウ が あった。
 コバヤシ ヒデオ は セイジカ の タイプ を、 ドクソウ を もたず ただ カンリ し シハイ する ジンシュ と しょうして いる が、 かならずしも そう では ない よう だ。 セイジカ の ダイタスウ は つねに そう で ある けれども、 ショウスウ の テンサイ は カンリ や シハイ の ホウホウ に ドクソウ を もち、 それ が ボンヨウ な セイジカ の キハン と なって ココ の ジダイ、 ココ の セイジ を つらぬく ヒトツ の レキシ の カタチ で キョダイ な イキモノ の イシ を しめして いる。 セイジ の バアイ に おいて、 レキシ は コ を つなぎあわせた もの で なく、 コ を ボツニュウ せしめた ベッコ の キョダイ な セイブツ と なって タンジョウ し、 レキシ の スガタ に おいて セイジ も また キョダイ な ドクソウ を おこなって いる の で ある。 この センソウ を やった モノ は ダレ で ある か、 トウジョウ で あり グンブ で ある か。 そう でも ある が、 しかし また、 ニホン を つらぬく キョダイ な セイブツ、 レキシ の ヌキサシ ならぬ イシ で あった に ソウイ ない。 ニホンジン は レキシ の マエ では ただ ウンメイ に ジュウジュン な コドモ で あった に すぎない。 セイジカ に よし ドクソウ は なく とも、 セイジ は レキシ の スガタ に おいて ドクソウ を もち、 イヨク を もち、 やむ べからざる ホチョウ を もって タイカイ の ナミ の ごとく に あるいて いく。 ナンピト が ブシドウ を アンシュツ した か。 これ も また レキシ の ドクソウ、 または キュウカク で あった で あろう。 レキシ は つねに ニンゲン を かぎだして いる。 そして ブシドウ は ジンセイ や ホンノウ に たいする キンシ ジョウコウ で ある ため に ヒ-ニンゲンテキ、 ハン-ジンセイテキ な もの で ある が、 その ジンセイ や ホンノウ に たいする ドウサツ の ケッカ で ある テン に おいて は まったく ニンゲンテキ な もの で ある。
 ワタシ は テンノウセイ に ついて も、 きわめて ニホンテキ な (したがって あるいは ドクソウテキ な) セイジテキ サクヒン を みる の で ある。 テンノウセイ は テンノウ に よって うみだされた もの では ない。 テンノウ は ときに みずから インボウ を おこした こと も ある けれども、 がいして なにも して おらず、 その インボウ は つねに セイコウ の ためし が なく、 シマナガシ と なったり、 ヤマオク へ にげたり、 そして けっきょく つねに セイジテキ リユウ に よって その ソンリツ を みとめられて きた。 シャカイテキ に わすれられた とき に すら セイジテキ に かつぎだされて くる の で あって、 その ソンリツ の セイジテキ リユウ は いわば セイジカ たち の キュウカク に よる もの で、 カレラ は ニホンジン の セイヘキ を ドウサツ し、 その セイヘキ の ナカ に テンノウセイ を ハッケン して いた。 それ は テンノウケ に かぎる もの では ない。 かわりうる もの ならば、 コウシ-ケ でも シャカ-ケ でも レーニン-ケ でも かまわなかった。 ただ かわりえなかった だけ で ある。
 すくなくとも ニホン の セイジカ たち (キゾク や ブシ) は ジコ の エイエン の リュウセイ (それ は エイエン では なかった が、 カレラ は エイエン を ゆめみた で あろう) を ヤクソク する シュダン と して ゼッタイ クンシュ の ヒツヨウ を かぎつけて いた。 ヘイアン ジダイ の フジワラ シ は テンノウ の ヨウリツ を ジブン カッテ に やりながら、 ジブン が テンノウ の カイ で ある の を うたぐり も しなかった し、 メイワク にも おもって いなかった。 テンノウ の ソンザイ に よって オイエ ソウドウ の ショリ を やり、 オトウト は アニ を やりこめ、 アニ は チチ を やっつける。 カレラ は ホンノウテキ な ジッシツ シュギシャ で あり、 ジブン の イッショウ が たのしければ よかった し、 そのくせ チョウギ を セイダイ に して テンノウ を ハイガ する キミョウ な ケイシキ が だいすき で、 マンゾク して いた。 テンノウ を おがむ こと が、 ジブン ジシン の イゲン を しめし、 また、 みずから イゲン を かんじる シュダン でも あった の で ある。
 ワレワレ に とって は じっさい ばかげた こと だ。 ワレワレ は ヤスクニ ジンジャ の シタ を デンシャ が まがる たび に アタマ を さげさせられる バカラシサ には ヘイコウ した が、 ある シュ の ヒトビト に とって は、 そう する こと に よって しか ジブン を かんじる こと が できない ので、 ワレワレ は ヤスクニ ジンジャ に ついて は その バカラシサ を わらう けれども、 ホカ の コトガラ に ついて、 おなじ よう な ばかげた こと を ジブン ジシン で やって いる。 そして ジブン の バカラシサ には きづかない だけ の こと だ。 ミヤモト ムサシ は イチジョウジ サガリマツ の ハタシバ へ いそぐ トチュウ、 ハチマンサマ の マエ を とおりかかって おもわず おがみかけて おもいとどまった と いう が、 ワレ シンブツ を たのまず と いう カレ の キョウクン は、 この ミズカラ の セイヘキ に はっし、 また むけられた カイコン-ぶかい コトバ で あり、 ワレワレ は ジハツテキ には ずいぶん ばかげた もの を おがみ、 ただ それ を イシキ しない と いう だけ の こと だ。 ドウガク センセイ は キョウダン で まず ショモツ を おしいただく が、 カレ は その こと に ジブン の イゲン と ジブン ジシン の ソンザイ すら も かんじて いる の で あろう。 そして ワレワレ も ナニカ に つけて にた こと を やって いる。
 ニホンジン の ごとく ケンボウ ジュッスウ を コト と する コクミン には ケンボウ ジュッスウ の ため にも タイギ メイブン の ため にも テンノウ が ヒツヨウ で、 ココ の セイジカ は かならずしも その ヒツヨウ を かんじて いなく とも、 レキシテキ な キュウカク に おいて カレラ は その ヒツヨウ を かんじる より も ミズカラ の いる ゲンジツ を うたぐる こと が なかった の だ。 ヒデヨシ は ジュラク に ギョウコウ を あおいで みずから セイギ に ないて いた が、 ジブン の イゲン を それ に よって かんじる と ドウジ に、 ウチュウ の カミ を そこ に みて いた。 これ は ヒデヨシ の バアイ で あって、 タ の セイジカ の バアイ では ない が、 ケンボウ ジュッスウ が たとえば アクマ の シュダン に して も、 アクマ が オサナゴ の ごとく に カミ を おがむ こと も かならずしも フシギ では ない。 どのよう な ムジュン も ありうる の で ある。
 ようするに テンノウセイ と いう もの も ブシドウ と ドウシュ の もの で、 オンナゴコロ は かわりやすい から 「セップ は ニフ に まみえず」 と いう、 キンシ ジタイ は ヒ-ニンゲンテキ、 ハン-ジンセイテキ で ある けれども、 ドウサツ の シンリ に おいて ニンゲンテキ で ある こと と ドウヨウ に、 テンノウセイ ジタイ は シンリ では なく、 また シゼン でも ない が、 そこ に いたる レキシテキ な ハッケン や ドウサツ に おいて かるがるしく ヒテイ しがたい シンコク な イミ を ふくんで おり、 ただ ヒョウメンテキ な シンリ や シゼン ホウソク だけ では わりきれない。
 まったく うつくしい もの を うつくしい まま で おわらせたい など と ねがう こと は ちいさな ニンジョウ で、 ワタシ の メイ の バアイ に した ところ で、 ジサツ など せず いきぬき そして ジゴク に おちて アンコク の コウヤ を さまよう こと を ねがう べき で ある かも しれぬ。 げんに ワタシ ジシン が ジブン に かした ブンガク の ミチ とは かかる コウヤ の ルロウ で ある が、 それ にも かかわらず うつくしい もの を うつくしい まま で おわらせたい と いう ちいさな ネガイ を けしさる わけ にも いかぬ。 ミカン の ビ は ビ では ない。 その とうぜん おちる べき ジゴク での ヘンレキ に リンラク ジタイ が ビ で ありうる とき に はじめて ビ と よびうる の かも しれない が、 ハタチ の ショジョ を わざわざ 60 の ロウシュウ の スガタ の ウエ で つねに みつめなければ ならぬ の か。 これ は ワタシ には わからない。 ワタシ は ハタチ の ビジョ を このむ。
 しんで しまえば ミ も フタ も ない と いう が、 はたして どういう もの で あろう か。 ハイセン して、 けっきょく キノドク なの は センボツ した エイレイ たち だ、 と いう カンガエカタ も ワタシ は すなお に コウテイ する こと が できない。 けれども、 60 すぎた ショウグン たち が なお セイ に れんれん と して ホウテイ に ひかれる こと を おもう と、 ナニ が ジンセイ の ミリョク で ある か、 ワタシ には かいもく わからず、 しかし おそらく ワタシ ジシン も、 もしも ワタシ が 60 の ショウグン で あった なら やはり セイ に れんれん と して ホウテイ に ひかれる で あろう と ソウゾウ せざる を えない ので、 ワタシ は セイ と いう キカイ な チカラ に ただ ぼうぜん たる ばかり で ある。 ワタシ は ハタチ の ビジョ を このむ が、 ロウショウグン も また ハタチ の ビジョ を このんで いる の か。 そして センボツ の エイレイ が キノドク なの も ハタチ の ビジョ を このむ イミ に おいて で ある か。 そのよう に スガタ の メイカク な もの なら、 ワタシ は アンシン する こと も できる し、 そこ から イチズ に ハタチ の ビジョ を おっかける シンネン すら も もちうる の だ が、 いきる こと は、 もっと ワケ の わからぬ もの だ。
 ワタシ は チ を みる こと が ヒジョウ に きらい で、 いつか ワタシ の ガンゼン で ジドウシャ が ショウトツ した とき、 ワタシ は くるり と ふりむいて にげだして いた。 けれども、 ワタシ は イダイ な ハカイ が すき で あった。 ワタシ は バクダン や ショウイダン に おののきながら、 キョウボウ な ハカイ に はげしく コウフン して いた が、 それ にも かかわらず、 この とき ほど ニンゲン を あいし なつかしんで いた とき は ない よう な オモイ が する。
 ワタシ は ソカイ を すすめ また すすんで イナカ の ジュウタク を テイキョウ しよう と もうしでて くれた スウニン の シンセツ を しりぞけて トウキョウ に ふみとどまって いた。 オオイ ヒロスケ の ヤケアト の ボウクウゴウ を、 サイゴ の キョテン に する つもり で、 そして キュウシュウ へ ソカイ する オオイ ヒロスケ と わかれた とき は トウキョウ から あらゆる トモダチ を うしなった とき でも あった が、 やがて テキ が ジョウリク し シヘン に ジュウホウダン の サクレツ する サナカ に その ボウクウゴウ に イキ を ひそめて いる ワタシ ジシン を ソウゾウ して、 ワタシ は その ウンメイ を カンジュ し まちかまえる キモチ に なって いた の で ある。 ワタシ は しぬ かも しれぬ と おもって いた が、 より おおく いきる こと を カクシン して いた に ソウイ ない。 しかし ハイキョ に いきのこり、 ナニ か ホウフ を もって いた か と いえば、 ワタシ は ただ いきのこる こと イガイ の なんの モクサン も なかった の だ。 ヨソウ しえぬ シンセカイ への フシギ な サイセイ。 その コウキシン は ワタシ の イッショウ の もっとも シンセン な もの で あり、 その キカイ な センド に たいする ダイショウ と して も トウキョウ に とどまる こと を かける ヒツヨウ が ある と いう キミョウ な ジュモン に つかれて いた と いう だけ で あった。 そのくせ ワタシ は オクビョウ で、 ショウワ 20 ネン の 4 ガツ ヨッカ と いう ヒ、 ワタシ は はじめて シシュウ に 2 ジカン に わたる バクゲキ を ケイケン した の だ が、 ズジョウ の ショウメイダン で ヒル の よう に あかるく なった、 その とき ちょうど ジョウキョウ して いた ジケイ が ボウクウゴウ の ナカ から ショウイダン か と きいた、 いや ショウメイダン が おちて くる の だ と こたえよう と した ワタシ は いちおう ハラ に チカラ を いれた うえ で ない と コエ が ぜんぜん でない と いう ジョウタイ を しった。 また、 トウジ ニッポン エイガシャ の ショクタク だった ワタシ は ギンザ が バクゲキ された チョクゴ、 ヘンタイ の ライシュウ を ギンザ の ニチエイ の オクジョウ で むかえた が、 5 カイ の タテモノ の ウエ に トウ が あり、 この ウエ に 3 ダイ の カメラ が すえて ある。 クウシュウ ケイホウ に なる と ロジョウ、 マド、 オクジョウ、 ギンザ から あらゆる ヒト の スガタ が きえ、 オクジョウ の コウシャホウ ジンチ すら も エンゴウ に かくれて ヒトカゲ は なく、 ただ テンチ に ロシュツ する ヒト の スガタ は ニチエイ オクジョウ の 10 メイ ほど の イチダン のみ で あった。 まず イシカワジマ に ショウイダン の アメ が ふり、 ツギ の ヘンタイ が マウエ へ くる。 ワタシ は アシ の チカラ が ぬけさる こと を イシキ した。 タバコ を くわえて カメラ を ヘンタイ に むけて いる にくにくしい ほど おちついた カメラマン の スガタ に キョウタン した の で あった。
 けれども ワタシ は イダイ な ハカイ を あいして いた。 ウンメイ に ジュウジュン な ニンゲン の スガタ は キミョウ に うつくしい もの で ある。 コウジマチ の あらゆる ダイテイタク が ウソ の よう に きえうせて ヨジン を たてて おり、 ジョウヒン な チチ と ムスメ が たった ヒトツ の アカガワ の トランク を はさんで ホリバタ の リョクソウ の ウエ に すわって いる。 カタガワ に ヨジン を あげる ぼうぼう たる ハイキョ が なければ、 ヘイワ な ピクニック と まったく かわる ところ が ない。 ここ も きえうせて ぼうぼう ただ ヨジン を たてて いる ドウゲンザカ では、 サカ の チュウト に どうやら バクゲキ の もの では なく ジドウシャ に ひきころされた と おもわれる シタイ が たおれて おり、 1 マイ の トタン が かぶせて ある。 カタワラ に ジュウケン の ヘイタイ が たって いた。 いく モノ、 かえる モノ、 リサイシャ たち の えんえん たる ナガレ が まことに ただ ムシン の ナガレ の ごとく に シタイ を すりぬけて ゆきかい、 ロジョウ の センケツ にも きづく モノ すら おらず、 たまさか きづく モノ が あって も、 すてられた カミクズ を みる ほど の カンシン しか しめさない。 ベイジン たち は シュウセン チョクゴ の ニホンジン は キョダツ し ホウシン して いる と いった が、 バクゲキ チョクゴ の リサイシャ たち の コウシン は キョダツ や ホウシン と シュルイ の ちがった おどろく べき ジュウマン と ジュウリョウ を もつ ムシン で あり、 すなお な ウンメイ の コドモ で あった。 わらって いる の は つねに 15~16、 16~17 の ムスメ たち で あった。 カノジョ ら の エガオ は さわやか だった。 ヤケアト を ほじくりかえして やけた バケツ へ ほりだした セトモノ を いれて いたり、 わずか ばかり の ニモツ の ハリバン を して ロジョウ に ヒナタボッコ を して いたり、 この トシゴロ の ムスメ たち は ミライ の ユメ で いっぱい で ゲンジツ など は ク に ならない の で あろう か、 それとも たかい キョエイシン の ため で あろう か。 ワタシ は ヤケノハラ に ムスメ たち の エガオ を さがす の が タノシミ で あった。
 あの イダイ な ハカイ の モト では、 ウンメイ は あった が、 ダラク は なかった。 ムシン で あった が、 ジュウマン して いた。 モウカ を くぐって にげのびて きた ヒトタチ は、 もえかけて いる イエ の ソバ に むらがって サムサ の ダン を とって おり、 おなじ ヒ に ヒッシ に ショウカ に つとめて いる ヒトビト から 1 シャク はなれて いる だけ で ぜんぜん ベツ の セカイ に いる の で あった。 イダイ な ハカイ、 その おどろく べき アイジョウ。 イダイ な ウンメイ、 その おどろく べき アイジョウ。 それ に くらべれば、 ハイセン の ヒョウジョウ は タダ の ダラク に すぎない。
 だが、 ダラク と いう こと の おどろく べき ヘイボンサ や ヘイボン な トウゼンサ に くらべる と、 あの すさまじい イダイ な ハカイ の アイジョウ や ウンメイ に ジュウジュン な ニンゲン たち の ウツクシサ も、 ホウマツ の よう な むなしい ゲンエイ に すぎない と いう キモチ が する。
 トクガワ バクフ の シソウ は シジュウシチシ を ころす こと に よって エイエン の ギシ たらしめよう と した の だ が、 47 メイ の ダラク のみ は ふせぎえた に した ところ で、 ニンゲン ジタイ が つねに ギシ から ボンゾク へ また ジゴク へ テンラク しつづけて いる こと を ふせぎうる ヨシ も ない。 セップ は ニフ に まみえず、 チュウシン は ニクン に つかえず、 と キヤク を セイテイ して みて も ニンゲン の テンラク は ふせぎえず、 よしんば ショジョ を さしころして その ジュンケツ を たもたしめる こと に セイコウ して も、 ダラク の ヘイボン な アシオト、 ただ うちよせる ナミ の よう な その トウゼン な アシオト に きづく とき、 ジンイ の ヒショウサ、 ジンイ に よって たもちえた ショジョ の ジュンケツ の ヒショウサ など は ホウマツ の ごとき むなしい ゲンゾウ に すぎない こと を みいださず に いられない。
 トッコウタイ の ユウシ は ただ ゲンエイ で ある に すぎず、 ニンゲン の レキシ は ヤミヤ と なる ところ から はじまる の では ない の か。 ミボウジン が シト たる こと も ゲンエイ に すぎず、 あらた な オモカゲ を やどす ところ から ニンゲン の レキシ が はじまる の では ない の か。 そして あるいは テンノウ も ただ ゲンエイ で ある に すぎず、 タダ の ニンゲン に なる ところ から シンジツ の テンノウ の レキシ が はじまる の かも しれない。
 レキシ と いう イキモノ の キョダイサ と ドウヨウ に ニンゲン ジタイ も おどろく ほど キョダイ だ。 いきる と いう こと は じつに ユイイツ の フシギ で ある。 60、 70 の ショウグン たち が セップク も せず クツワ を ならべて ホウテイ に ひかれる など とは シュウセン に よって ハッケン された ソウカン な ニンゲンズ で あり、 ニホン は まけ、 そして ブシドウ は ほろびた が、 ダラク と いう シンジツ の ボタイ に よって はじめて ニンゲン が タンジョウ した の だ。 いきよ おちよ、 その セイトウ な テジュン の ホカ に、 しんに ニンゲン を すくいうる ベンリ な チカミチ が ありうる だろう か。 ワタシ は ハラキリ を このまない。 ムカシ、 マツナガ ダンジョウ と いう ロウカイ インウツ な インボウカ は ノブナガ に おいつめられて しかたなく シロ を マクラ に ウチジニ した が、 しぬ チョクゼン に マイニチ の シュウカン-どおり エンメイ の キュウ を すえ、 それから テッポウ を カオ に おしあて カオ を うちくだいて しんだ。 その とき は 70 を すぎて いた が、 ヒトマエ で ヘイキ で オンナ と たわむれる あくどい オトコ で あった。 この オトコ の シニカタ には ドウカン する が、 ワタシ は ハラキリ は すき では ない。
 ワタシ は おののきながら、 しかし、 ほれぼれ と その ウツクシサ に みとれて いた の だ。 ワタシ は かんがえる ヒツヨウ が なかった。 そこ には うつくしい もの が ある ばかり で、 ニンゲン が なかった から だ。 じっさい、 ドロボウ すら も いなかった。 チカゴロ の トウキョウ は くらい と いう が、 センソウチュウ は シン の ヤミ で、 そのくせ どんな シンヤ でも オイハギ など の シンパイ は なく、 クラヤミ の シンヤ を あるき、 トジマリ なし で ねむって いた の だ。 センソウチュウ の ニホン は ウソ の よう な リソウキョウ で、 ただ むなしい ウツクシサ が さきあふれて いた。 それ は ニンゲン の シンジツ の ウツクシサ では ない。 そして もし ワレワレ が かんがえる こと を わすれる なら、 これほど キラク な そして ソウカン な ミセモノ は ない だろう。 たとえ バクダン の たえざる キョウフ が ある に して も、 かんがえる こと が ない かぎり、 ヒト は つねに キラク で あり、 ただ ほれぼれ と みとれて おれば よかった の だ。 ワタシ は ヒトリ の バカ で あった。 もっとも ムジャキ に センソウ と あそびたわむれて いた。
 シュウセンゴ、 ワレワレ は あらゆる ジユウ を ゆるされた が、 ヒト は あらゆる ジユウ を ゆるされた とき、 ミズカラ の フカカイ な ゲンテイ と その フジユウサ に きづく で あろう。 ニンゲン は エイエン に ジユウ では ありえない。 なぜなら ニンゲン は いきて おり、 また しなねば ならず、 そして ニンゲン は かんがえる から だ。 セイジジョウ の カイカク は 1 ニチ に して おこなわれる が、 ニンゲン の ヘンカ は そう は いかない。 とおく ギリシャ に ハッケン され カクリツ の イッポ を ふみだした ジンセイ が、 コンニチ、 どれほど の ヘンカ を しめして いる で あろう か。
 ニンゲン。 センソウ が どんな すさまじい ハカイ と ウンメイ を もって むかう に して も ニンゲン ジタイ を どう なしうる もの でも ない。 センソウ は おわった。 トッコウタイ の ユウシ は すでに ヤミヤ と なり、 ミボウジン は すでに あらた な オモカゲ に よって ムネ を ふくらませて いる では ない か。 ニンゲン は かわり は しない。 ただ ニンゲン へ もどって きた の だ。 ニンゲン は ダラク する。 ギシ も セイジョ も ダラク する。 それ を ふせぐ こと は できない し、 ふせぐ こと に よって ヒト を すくう こと は できない。 ニンゲン は いき、 ニンゲン は おちる。 その こと イガイ の ナカ に ニンゲン を すくう ベンリ な チカミチ は ない。
 センソウ に まけた から おちる の では ない の だ。 ニンゲン だ から おちる の で あり、 いきて いる から おちる だけ だ。 だが ニンゲン は エイエン に おちぬく こと は できない だろう。 なぜなら ニンゲン の ココロ は クナン に たいして コウテツ の ごとく では ありえない。 ニンゲン は カレン で あり ゼイジャク で あり、 それゆえ おろか な もの で ある が、 おちぬく ため には よわすぎる。 ニンゲン は けっきょく ショジョ を シサツ せず には いられず、 ブシドウ を あみださず には いられず、 テンノウ を かつぎださず には いられなく なる で あろう。 だが タニン の ショジョ で なし に ジブン ジシン の ショジョ を シサツ し、 ジブン ジシン の ブシドウ、 ジブン ジシン の テンノウ を あみだす ため には、 ヒト は ただしく おちる ミチ を おちきる こと が ヒツヨウ なの だ。 そして ヒト の ごとく に ニホン も また おちる こと が ヒツヨウ で あろう。 おちる ミチ を おちきる こと に よって、 ジブン ジシン を ハッケン し、 すくわなければ ならない。 セイジ に よる スクイ など は ウワカワ だけ の グ にも つかない もの で ある。

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