鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

『巻頭言―歴史認識について』

2019-03-06 12:48:58 | 日本の時事風景

※この巻頭言は2007年3月発行の大隅史談会誌「大隅」(第50号)に掲載されたものである(執筆者は当時の会長・松下高明)。

 

平成18年秋に退陣した小泉純一郎首相の靖国神社参拝に対して、中国共産党政府は「歴史認識上の問題があり、すぐにやめるべきだ」と譴責するのがつねであった。

彼らの歴史認識は、A級戦犯という中国を侵略し人民を蹂躙した日本軍の首謀者を祭ってある施設を、日本を代表する者が参拝するのは中国に対して非礼である、というものだ。

ところが、戦前・戦中を通して日本軍が戦った相手は蒋介石率いる国民党であって、各地の軍閥や当時は赤匪(せきひ)と呼ばれた共産党ではなかった。現在の共産党政府は戦後の国民党との内戦で勝利を収めた毛沢東政権の後裔であって、その当時の日本とは全く関係のない凄惨な権力闘争の果てに呱呱の声を上げている。

戦時中の日本軍との関わりにさかのぼって言えば、むしろ毛沢東の共産党は日本軍と国民党軍とを戦わせて消耗させ、自らは勢力を温存すべく地方に「疎開」し、虎視眈々と漁夫の利を狙うことさえできたのである。

その一方でアメリカは国民党に肩入れしていた。蒋介石が共産勢力ではないことと、これ以上日本が中国に関わり、万が一にでも日中が手を携えるようなことがあってはならぬ、との思惑からである。

この思惑の根底に〈黄禍論〉があることはあまり知られていない。黄色人種が白色人種の地球規模の植民地分割支配に割って入る、あるいはその支配から独立しようとすることを彼らの白人優位という人種差別観がそれらをかたくなに拒んでいたからだ。

これに果然として挑んだのが日本で、その証拠が(第一次世界大戦後の)パリ講和会議における日本の主張であった。

全権大使は西園寺公望、副使は英語の堪能な牧野伸顕(大久保利通の二男)で、本会議で堂々と「人種差別はもう撤廃しようではないか」と訴えて会議の採決にかけた。すると、何と賛成が反対を大幅に上回った。

驚いたのが議長をしていたアメリカ大統領ウィルソンで、彼は他の議案についてはほとんどを賛成多数で採択しながら、日本のこの議案については「全会一致でなければならぬ」と強弁し、採択から外してしまったのだ。しかもその後の抗議には耳を貸さずに議場から去り、早々に帰国してしまったのである。

何という傲慢さであろうか。この講和会議の後、アメリカは日本を完全に敵国とみなし始めた。この後、ワシントン軍縮会議、ロンドン軍縮会議などが開かれるが、明らかに日本の脅威の封じ込めを図っている。

パリ講和会議から21年後、日米(英仏蘭)は戦い、日本は敗れた。しかし人種差別的な植民地支配の桎梏は音を立てて崩れていった。

極東においてひとり日本のみが独立を維持し、欧米の白人優位の植民地支配に拮抗して立ち上がることができた。その結果、アジア・アフリカの解放を促したことは世界史的にいや人類史的に見て明らかなことである。

日本軍の残虐ということが戦後はよく言われるが、千人の兵士の中には一人か二人の乱暴者もいただろう。だがそれは実は日常生活における割合と変わらないのだ。

戦勝国側のプロパガンダに乗ってはなるまい。歴史を学ぶ者として先入主の色眼鏡を外し、勝ち負けを超えて冷静に過去を振り返る姿勢が必要だ。

ところで中国共産党政府はいつまで南京大虐殺30万人などと見え透いた嘘をついているのだろうか。許しがたいことである。

 

以上が私の執筆した「巻頭言」で、同誌発刊の2007年3月25日より2週間くらい前には書き終えていたと思う。

上の赤い部分はヘンリー・ストークスの「日本人は欧米の植民地支配を打破するという仕事をした。大いに誇りに思うべきだ」(要旨)に呼応する部分である。

ストークスが最も言いたいことは、このことともう一つ極東軍事法廷(東京裁判)という名の「戦勝国史観」に囚われてはならないということで、この裁判を象徴とした「戦勝国(アメリカ)はすべて正しく、戦敗国(日本)はすべて間違っていた」とする考え方は誤りだということである。

 


慰安婦・南京大虐殺はプロパガンダ

2019-03-06 09:25:12 | 日本の時事風景

韓国のいつ果てるとも知れない「慰安婦問題」。

これに関してさらに最近になって韓国国会議長が「戦犯だった天皇(昭和天皇)の息子(現天皇)が、慰安婦の手を取って謝罪すれば済む」とアメリカで言ったということで、ますます日韓の亀裂が大きくなっている。

慰安婦について、「性奴隷だった」という喧伝が誤りであり、当時は公認されていた売春婦の高給な(ただし危険な)類だったことは多くの識者が認識してはいるが、国連人権委員会でも「性奴隷」という表現がされており、実はこの「奴隷」という言葉を最初に使ったのは日本人の弁護士だったらしい。

今やその言葉がブーメランのように太平洋を渡って飛んできて「それ見たことか」とねつ造の上塗りをし、反日のプロパガンダに使っているのが韓国である。

以上のことは2015年に発刊された『反日中国韓国の詐偽を暴いた』(著者:ヘンリー・ストークス 出版社:悟空出版)で完膚なきまでに論じられている。

ヘンリー・ストークスという人は英国人で、オックスフォード大学卒業後にフィナンシャルタイムズ紙の東京支局長となって来日し、その後、ロンドンタイムズ、ニューヨークタイムズの支局長も歴任し、在日50年を越している人だ。(日本人妻との間に生まれた長男は「ハリー杉山」名でテレビタレントになっている。)

この本では序章と終章を入れて全7章からなり、「慰安婦は性奴隷ではなかった」は第二章で、また「南京大虐殺はなかった」は第三章で当時の中国側の極秘資料や欧米の報道資料を導入して論じている。

慰安婦問題に関しては、韓国はこれ以上に深入りすると自身の朝鮮戦争時の対米「慰安所」問題に言及され、収拾がつかなる。その当時の「対米軍・韓国慰安婦」は韓国社会では今や見捨てられた存在で訴訟を起こされており、中にはハーフの孤児問題も横たわっているとのこと。

どうやら、その国内問題をすり替える形で日本統治時代に起きた慰安婦の問題のみを喧伝しているようだ。もう慰安婦問題は日本として相手にしないのが一番だろう。1965年の日韓合意で賠償金を支払い、もう過去に訴求しないことでも一致したのだから(徴用工問題も)。

また「南京大虐殺問題」について、こちらは当時の南京にいた宣教師の証言、中国政府(蒋介石の国民党政府)に雇われたティンパーリという英国生まれの新聞記者を使って誇大に吹聴させたーーなど生々しく論じられている。

この南京大虐殺が本当にあったかのように仕組まれたのが「極東軍事法廷」すなわち「東京裁判」だという。アメリカは自らの日本主要都市への無差別大空襲と沖縄市民虐殺さらに広島長崎への原爆投下による民間人大虐殺(これは国際法違反)を糊塗したいがために、日本軍の南京での敵捕虜に対する処刑(これは戦時国際法違反ではない)をことさらに民間人を巻き添えにして総数30万というような数をでっち上げた。

この南京大虐殺は著者ストークスでさえも、当初は日本国内や欧米の論調から「大虐殺30万人説」を信じて疑っていなかったというから驚きだ。そのくらい東京裁判史観(戦勝国史観)によって騙されていたことを吐露している。

南京大虐殺について最近の中国政府はさほど喧伝しなくなったが、これは中国が日本を抜いて世界第二の経済大国になったことと無縁ではあるまい。日本に追いつけ・追い越せの時代は、日本なにくそとばかり「日本は我が南京を攻めて30万もの市民を虐殺した国だ。そんな国の後塵を浴びてたまるか」と「他山の悪者」扱いしていたのだろう。ようやく中国も「衣食足りて礼節を知る」ようになってきたのだ。

もっともあの当時の南京政府は蒋介石の国民党政府だったから、共産党とは無縁だったので、そうムキになる必要はあるまいと余裕が出てきたのだろう。まして共産党の敵だった国民党政府を南京から追い払ってくれたのだから、むしろ感謝したいくらいなのではないか。

東京軍事裁判についても詳しいが、何よりも、そもそもなぜアメリカ(英米仏蘭)と戦争を始めたのかーーの考察が非常にためになる。

結論的にひと言で言えば「白人による植民地支配を打ち破り、人種の平等を推進するため」であり、結果として日本は負けたが、欧米に搾取されていた有色人種の住む植民地は戦後次々に解放されて独立を果たした。

このことを日本人は忘れてはならないし、誇りに思うべきだーーとストークスは言っている。まったく同感である。

(日本も台湾・朝鮮半島を植民地化したではないか、という疑問についてもストークスは「あれは植民地と言うべきではない。日本は巨大な資金を投下して産業(水田の開発・水利事業・鉱工業)及び教育事業を起こしたが、すべて現地住民を日本国民並みにしていくという理念で行っており、欧米の植民地では全く考えられないことを成し遂げた」(要旨)と述べている。)

このことについて私は2007年(12年前)の3月に発行した大隅史談会会誌『大隅五〇号』の巻頭言で次のように書いた(私は大隅史談会の会長を2006年から2017年まで務めていた)。※巻頭言はかなり長いので次回に掲載したい。


スギ花粉飛散第一のピーク

2019-03-03 14:01:33 | おおすみの風景

大隅地方では2月の10日過ぎから少しづつスギ花粉が飛び始めたが、4日前の27日ころから急激に増え、28日、3月1日、2日と3日間は「極端に多い」飛散状況だった。

花粉症を持つ身にとっては悲惨な数日だった。

ちょうど今頃は春の野菜や花などの種を蒔く時期で、このところ多くなった降雨の合間に菜園を耕したり、畝立てをしたりする。

少し晴れ間が広がり、風も吹いてくると花粉が凄まじく飛んでくる(目には見えないが)ので、そういう時はほんの数分庭に出る時でも、マスクの着用は欠かせない。

面倒と言えば面倒だが、それでも花粉が飛ぶ前から耳鼻咽喉科に行ってアレルギーを抑える薬(朝夕2錠)を処方してもらっているので、相乗効果は非常に大きい。

自分の花粉症は、目にはまったく支障がないのでマスクだけで済むから、庭仕事もほぼ普通にできる。

野菜としてはホウレンソウ・小松菜・ターサイ・サニーレタス・地ばいキュウリ・ニガウリなどで、花は今年はマリーゴールド・鳳仙花をメインにあとは自然に生えてくる(去年のこぼれ種の)セロシアと西洋マツバボタンに期待している。

今日は昨日からのぐづついた天気で、小雨が降ったりやんだりしており、花粉の飛散はかなり少ないようだ。

菜園で残しておいたチンゲンサイの花が満開になった。また、珍しい桜島大根の花も咲いた。やや紫がかった白い花で、直径が25センチにもなる桜島大根にしては可憐な風情。

春はもうそこまで来ている。

そろそろ山桜も咲き出す。そして、あと2週間もすればスギ花粉飛散の第二のピークとなり、そのあといよいよソメイヨシノのお出ましとなる。

 


ハノイ会談は物別れ

2019-03-01 14:18:36 | 日本の時事風景

去年6月の初の米朝首脳会談から9か月、待ちに待った二回目の会談は、結局、物別れに終わった。

期待では「朝鮮戦争終戦宣言」「北朝鮮の非核化」だったが、どちらも双方の合意に至らなかった。

アメリカはあくまでも「検証可能な完全な非核化」及び「弾道ミサイル基地の撤去」を主張し、それの見返りは、国連決議による対北朝鮮制裁の大幅な解除と金委員長を首班とする現体制を保証しながらの経済開発への関与だったようだが、

金正恩は非核化には前向きだが、完全かと言われると躊躇があり、また地下式弾道ミサイル基地等は温存しておきたいのだろう。

かくて合意文書への署名には至らなかった。

中国は一党独裁の社会主義体制をとりながら、欧米・日本・韓国・台湾等の自由主義諸国からの大量の資本の流入で、世界第二の経済大国になったが、これは一党独裁とは言いながら合議制の党組織を中心に曲がりなりにも「代表者を選出する」という手続きがあるので、富が不完全ながらもいわゆる「トリクルダウン」ですそ野まで広がって行った。

ところが北朝鮮は「社会主義人民共和国」という看板はあっても、実質的には世襲の「金王朝」体制で、何もかも「金正恩指導者様への忠誠」だから、全く合議制の体をなしていないわけで、これではいくら経済開発を発展をと協力しようにも金王朝が肥え太るばかりだ。

だから「体制の保証」というのはすなわち「金正恩個人崇拝体制の保証」に他ならず、ここが最大のネックになっている。北朝鮮をどのように本来あるべき「人民(市民)共和国」の普通の国にするかが一番の国際協力になろう。

その上で、南北の統一が平和裏になされればこれに越したことはない。それはすぐには無理にしても、とにかく最低でも朝鮮戦争の終戦宣言にまで持って行けるよう粘り強く交渉してもらいたいものだ。

その際に韓国から米軍が撤退し、代わりに終戦を保証する国連多国籍軍の駐留となれば、南北の融和は一気に進むだろう。