鴨着く島

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辺塚ダイダイの移植

2024-04-08 13:23:36 | 日記

4年前の冬、肝付町の知人から同町内之浦の辺塚で昔から栽培されている「辺塚ダイダイ」というみかんの一種を頂いたことがあった。

ポンカンよりは小ぶりで、温州ミカンよりは大きく、今や辺塚地方でも栽培が少なくなっているみかんである。

辺塚地方は内之浦でもっとも人口の少ない太平洋を望む海岸べりに展開する集落で、平家の落人の伝承がある所だ。壇ノ浦から九州の豊後・日向地方の海岸に沿って逃れて来た平家の一党が住み着いたと言われている。

平家の落人とこの辺塚ダイダイとの因果関係は明確ではないが、もともと辺塚にダイダイが自生していた可能性は高い。

魏志倭人伝で倭国の植生を列挙している部分があるが、それには薑(はじかみ=しょうがの一種)・椒(さんしょう)などと並んで「橘」(たちばな・ダイダイ)があるとしているからだ。

もっともその頃の自生の橘はごく小ぶりのすっぱいものだったろう。薑や椒と同列に挙げられているのは、橘の原種も「香辛料」的な役割だったからに違いない。ただし、倭人はそれらを「滋味と為すを知らず」、つまり活用していないと記している。

それを時代とともに品種改良とまでは行かなくても、甘いのを選抜したり、魚粕などの養分を施したりして今の食用の辺塚ダイダイに定着したのではないかと思われる。

4年前に貰ったのはもちろん食用に供したり、焼酎のお湯割りに絞り汁を入れたりして「滋味と為した」のであるが、その際に出た中の種を10個くらい乾燥させてから植木鉢に蒔いておいた。

芽が出てもう4年近くほったらかしにしてあったが、すくすくと育ち、30センチほどの苗が2本採れたので、今日の午前中、庭の一角に植えてみた。

スコップで植え付ける場所を30センチも掘ると、我が家の庭ではどこでも必ず淡い赤っぽい地層に遭遇する。おそらく俗に言う「アカホヤ層」で、これは約7500年前に薩摩半島の南50キロくらいの所にある「鬼界カルデラ大噴火」由来の火山灰層だ。

スコップの先に見えた「アカホヤ層」。

アカホヤ層というと、よく小高い丘辺で道路用に切り崩してちょっとした崖の断面が現れた時に観察される火山灰層で、そうした崖では層の厚さは1mくらいにもなり、色はかなり鮮やかなオレンジ色だが、黒土の下では鎮圧され、かつ水分にさらされて粘土っぽく、色はピンクに近い。

この層をさらに10センチ以上掘り進み、スコップで切り込みを入れ、そこに堆肥を落として混ぜておく。

さらに堆肥と掘り取った土を混ぜたものをその上に入れ、そこによく育った辺塚ダイダイの苗を2本植え付けた。

あとは支柱を建てて風に揺らがぬよう紐で幹の部分を支柱にくくり付けた。

この作業の最中だったが、2本目の苗を紐でくくっていると、地面がくらくらっと揺れるではないか。

「道路に大型のダンプカーでも通っているのか?」と、一瞬思ったが、それにしては5、6秒は続く揺れで、向こうに見える池の水面もゆらゆらと揺れている。

我が家から直線にして20mほどの所を県道が通っており、時折り大型のダンプカーが満載の土砂を積んで相当なスピードで走るような時、家にいるとゴトゴトっと振動を感じることがあるのだが、今のはゴトゴトではなくユッサユッサと振幅が大きい。

と、どこからか緊急地震速報の声が聴こえて来た。「居間のテレビは消して来たし、いったいどこから?」と思いつつ、急いで家に入り、居間のテレビを点けてみた。たしかに地震が発生していた。

(※外で聞こえた緊急地震速報のけたたましい音声は、近くのビニールハウスの中からのものだろう。ハウス内ではサツマイモ苗のツル取りの真っ最中で、ラジオを流していたようだ。)

震源は大隅半島東方沖で宮崎県日南市が震度5弱、大隅半島部では大崎町と錦江町が震度4であった。

少しすると地震の詳細が発表された。震源は大隅半島東方沖、深さは40キロ、マグニチュードは5.2と。

地図上の震源を示す赤い×点の位置は、限りなく日南地方に近く、大隅半島沖というよりは日向灘沿岸部であったが、気象庁の観点ではそこも大隅半島沖に属するようだ。

日向灘を震源とするとそこは例の南海トラフの一部らしいから、観測体制上は区割りをしているのかもしれない(日向灘沖だとトラフ由来の地震、大隅半島沖だと活断層由来というように)。

いずれにしても今度のはM5級の大きさで、津波の発生が無かったのは良かった。ただ、大地震の前触れでないことを願う。


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