鴨着く島

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長崎平和祈念式典(2024)

2024-08-09 20:22:58 | 専守防衛力を有する永世中立国
今年の式典にイスラエルが招待されなかったことをめぐり、平和祈念式典に水が差された。

長崎の鈴木市長は戦争を継続しているイスラエルを招待すると不測の事態が起きかねない――という理由で招待を見送った。

これに対してアメリカ始め世界の主要国である先進七か国(G7)のうち日本を除く6か国が、長崎市長あてに書簡で大使級の要人の不参加を言って来たという。

その理由は「イスラエルをロシアとベラルーシと同列に置いているのは、純粋な平和祈念を政治化するものであり、容認できない」ということらしい。

つまりイスラエルが行っている戦争と、ロシアの対ウクライナ戦争とは質的に全く違うのだというのである。

しかし長崎市としては原爆による惨禍もだが、そもそもいかなる戦争にも反対する立場だから、たとえイスラエルの戦争が「正義の戦争」であったとしても、パレスチナの一般市民を多数巻き添えにしている状況は絶対に容認できないのだ。

日本政府は主催者である長崎市の意向には逆らえないようで、欧米の主張には耳を貸さないでいる。珍しく欧米なかんずくアメリカの言い分に忖度しない姿勢をとった。溜飲が下がる。

アメリカは広島にウラン型原爆リトルボーイを落としたあと、今度はプルトニウム型原爆ファットマンを落とすべく北九州を標的に向かったのだが、あいにく視界不良のため次の候補地であった長崎に落とした。


爆心地に近い場所に慰霊のための「原爆殉難者之霊」という御霊柱を立ててある。

長崎での爆死者は7万余りで広島の半分ほどだが、当時の人口比からして殉難率ほぼ変わりない。

この時の殉難者の中にはかの有名な浦上天主堂というカトリック教会でミサの最中だった人々が含まれている。終戦後に占領軍の中心だったアメリカ政府が天主堂の再建を申し出たのだが、長崎市から断られるというエピソードがあったことはあまり知られていない。

戦時中に米軍側では「良い日本人は死んだ日本人である」という言い分で日本人なら誰かれの区別なく殺害して構わないことを「正当化」していた。

その最大の惨劇が原爆による無辜の日本人の殺害であった。

しかしその中に教会でミサを上げていた日本人のキリスト教徒が多数いたのに気付いた。彼らからすれば日本人でもクリスチャンならば「人(白人)並みの人間」であるから、さすがに良心が疼いたのだろう。

それでこの「戦時国際法違反」に該当する所行を隠蔽あるいは無視したいがために、広島には長らく参列していたのだが、長崎には行っていなかったのだ。

だが、オバマ大統領の時代に駐日大使として日本に赴任したケネディ元大統領の娘キャロライン・ケネディは赴任早々に長崎を訪れた。

それまでの政権では政府要人の誰もが長崎を訪問したことはなく、そこにアメリカ側の「トラウマ」の片鱗が見られたのだが、親日家でもあったキャロライン・7ケネディの足跡により、以後、大使級の長崎訪問がされるようになった。

今回のアメリカの駐日大使が長崎平和祈念式典を見送ったのは、彼らの主張とは逆に彼らこそ長崎市長および市民の純粋な平和を願う気持ちを政治的な問題に引っ張り出しているのではないだろうか。

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