鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

民間軍事会社と正規軍

2023-06-30 18:37:46 | 専守防衛力を有する永世中立国
ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の創設者プリゴジンが、自分の軍隊を率いてロシア正規軍(政府軍)の最高幹部である国防相と総参謀長に楯突こうとモスクワに向かっていたが、プーチンの呼びかけが功を奏したのか、「反乱軍」は一日にして撤収した。

プリゴジンによれば、国防相も総参謀長もプリゴジンの部隊に対して十分な弾薬を供給しなかったがために、相当な損失を蒙ったことと、プリゴジン率いる部隊を正規の政府軍の軍人として登録するというメッセージがあったことに腹を立てたらしい。

プリゴジンからすれば自分の子飼いの軍人を引き抜かれようとしていると、まるでワグネルの活躍に泥を塗られたように感じたのだろう。

要するにプリゴジンの部隊は「捨て石」に過ぎなかったのだ。何しろ5万とも言われたプリゴジン部隊の半数以上は刑務所帰りか刑務所に入っていた連中で、プーチンにしてみればならず者に高額の手当てを支給したうえで、ウクライナ戦線で投入したわけである。

しかしプリゴジンの部隊は百戦錬磨というわけにはいかず、ウクライナの政府軍にさんざんやられてしまった。

「やられまくったのは武器弾薬が十分に供給されなかったからだ」というのがプリゴジンに言い分で、いくら国防相や総参謀長に求めても受け入れられず、あまつさえ率いる民間部隊をロシアの正規軍に組み入れようとしたロシア指導部のやり方に業を煮やしたプリゴジンは、モスクワまで自分の部隊を向けて圧力をかけようとした。

しかしプーチンの「祖国への裏切者は厳罰に処する。だが民間軍事部隊員に罪はない」という呼びかけで、辛うじて踏みとどまったプリゴジンは、仲介に入ったロシアの友好国ベラルーシのルカシェンコ大統領のとりなしでベラルーシへ亡命したようだ。

今後のプリゴジンの処遇はひとえにプーチンに掛っていると言ってよい。

ロシアのは他にもいくつかあるようだが、民間軍事会社とはいったい何だろうか。この組織に雇われた兵は昔からの言葉で言えば「傭兵」がこれに相当し、とある政府に雇われるのが前提である。

かつてはとある政府に直接雇われたのだが、今は民間会社だから、まずはその会社に雇われる。そして戦地に「派遣」されるわけだ。要するに民間軍事会社とは兵士に関する「派遣会社」に他ならない。

もし政府軍の一員として作戦が上首尾であれば良いが、さんざん負けてしまった場合、その責任は国防の責任者に及び、かつ国内への印象が最低となる。もしかしたら支配者への悪評になり権力の座から下ろされる可能性もある。

そこへ行くと民間軍事会社なら戦争に負けようが政府側の責任は取らなくてよいことになる。もっとも正規軍によろうが、派遣兵によろうが、負けは負けなのですんなりとそうは行くまいが・・・。プーチンはそこを見越してプリゴジンの罪を盛んに吹聴しているようで見苦しい。

実は民間軍事会社という純民間の組織だったものではないが、似たようなものが日本の幕末に登場している。それは「新選組」だ。

幕末にかなり発生した「浪士」は、民間というには語弊があるが、とにかく各藩に属さないゆえ士農工商の最も高い身分である「士」から外れた「半公半民」というべき存在であった。

幕末の京都守護職であった会津藩の松平容保の肝いりで、京都市中に徘徊する尊王方浪士の取り締まりを担当したのが最初で、初めは「浪士隊」だったが、文久3年(1863)には正式に「新選組」を名乗っている。

翌年の池田屋騒動で尊攘派の浪士を多数討ち取り、名を挙げたのちは資金を潤沢に提供され、最盛期の隊員数は230名を数えたという。

慶応3年(1867)になると幕府から臣下扱いを受けるようになり、組織は正式な軍隊のようになり、隊長(局長)に近藤勇、副長に土方歳三が就任した。当時の報酬は近藤が月に50両、土方が40両、そして一般隊員が10両だったという。当時の1両は4万円ほどに値していたから近藤の月収は200万円ということになる。

この新選組も戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)以降は銃火器という近代兵器による戦争に移ったため活躍は衰え、近藤は政府軍に捕えられて斬首され、北海道の箱館五稜郭まで逃れて蝦夷共和国を立ち上げようとした土方は戦死し、新撰組は完全に消えてしまった。(※最後まで五稜郭に籠城した旧幕臣榎本武揚の降伏で戊辰戦争は終わった。)