鴨着く島

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文化庁の京都への移転

2022-05-22 09:12:07 | 日本の時事風景
昨日岸田首相は京都に出張し、文化庁の京都新庁舎の竣工を祝っていた。

6,7年前の安倍首相時代に、首都機能分散の目玉政策として省庁の地方移転が推し進められようとした。

しかし徳島県に消費者庁が移転する話が進み、徳島市にパイロット事業所が設けられのだが、結局5年経っても本庁の移転にはつながらず、尻切れトンボで終わってしまったという経緯がある。

だが文化庁の移転は本格的なもので、竣工後は文化庁長官が京都に常駐するそうである。

多種多様な省庁の内で、必ずしも東京に本庁を置かなくてもよい筆頭が文化庁ということなのだろう。歴史的に見ても。文化的要素の濃い京都は文化行政にとってはむしろやりやすいのではなかろうか。

またインバウンド(観光客)もだが、世界から訪れる文化芸術のプロにとってやはり1200年を超える文化の集積を持つ京都の魅力は格別なのに違いない。

あの終戦の年に日本中の大都市に戦時国際法違反の一般市民への無差別爆撃を行ったアメリカ軍でさえも、さすがに古都である京都や奈良への爆撃はためらっている。「鬼の目にも涙」と言うべきか。いや「鬼の目にも雀の涙」か。一般市民100万からを焼き殺したのだから。

首都分散論から見ると、「成果はたった一つかよ――」となるが、まずは隗より始めよ、で、移転しやすいものから始めて実績を作ればよい。

もう何年前になるのか、おそらく50年前のことだが、茨城県のつくば市に東京にある官公庁の研究機関の移設が進められたことがあった。国土庁の国土地理院とか文部省の核融合研究施設などが移った。

目玉は筑波大学の設立であった。筑波大学の前身は東京教育大学で、東京の文京区にあったが、つくば市に移転されると筑波大学と改称された。「教育」の名辞が取れ、完全な総合大学になった。

谷田部町・豊里町・大穂町・桜村という純農村地帯が合併して新都市「つくば市」となり、今や学術研究都市として名高い。

学術を含むこのような文化的な施設の移転は、省庁の縦割り行政からは比較的自由なので移設はスムースに事が運ぶが、中央官庁の基軸である省庁の移転は難しいだろう。特に立法府の国会議員とのつながりの強い省庁はなおさらだ。

今度のコロナ禍によって「リモートワーク」が採用され始め、勤務するにあたっては必ずしも東京のオフィスに居なくてもよいというタイムリーな条件が生まれたのだが、民間はいざ知らず、公官庁で採り入れたところがあっただろうか?

コロナ禍では多くの民間人が「在宅ワーク」を強いられたのだが、公務員は「エッセンシャルワーカー」ということで、通常の勤務に近い形で電車やバス通勤をしていたが、こりゃダメだ――と思ったのは私だけではないだろう。

東京のこの公務員天国からの脱却がなければ、首都移転・分散の実行は難しかろう。

私が首都分散に関して期待しているのは「皇居の京都移転」つまり「還都(かんと)」である。今年上皇様のお住まいが新装なったので、ちょっと還都の期待が削がれたが、皇居及び付属する宮内庁が京都に移れば、京都は名実ともに「千年の古都」(実際には1200年だが…)になる。

世界で最も古いながら現代にまで続く皇室があり、歴史的文物・建造物が残る京都の魅力となると、ちょっとやそっとで語り尽くせるものではない。

この還都には歴史的に見るほかにもう一つ大きな役割がある。それは首都分散に大きくつながるということである。皇居の土地は旧千代田城跡で、言わずと知れた徳川幕藩体制の中心居城であった。そこを皇居にしたのは明治新政府の徳川つぶしの象徴でもあった。

しかしその象徴的役割はもう疾くに終わっている。皇居は京都がふさわしい。京都は、地震もそれによる大震災も、台風や大雨といった風水害も至って少ない土地柄であることからも、皇居の移転すなわち「還都」を願いたい。

都市伝説に近い話だが、2035年前後には首都直下型および南海トラフ型地震による大震災が首都圏はじめ太平洋沿岸地方を襲うという。

そんな阿鼻叫喚の中に皇居を置いて欲しくないし、東京はじめ首都圏の住民にも味わって欲しくない。今後10年の内に、移転できる施設はどんどん地方に移転すべきだし、移住可能な人は安全な地方に移住したらよい。

ロシアのウクライナ侵攻で我が国の防衛論議が盛り上がっているが、それより世界に名だたる天災国家日本が肝に銘ずべきは「震災は忘れぬうちにやって来る」ということだ。