今日6月23日は沖縄戦が終結し、沖縄の住民が戦闘に巻き込まれなくなった記念すべき日である。
1945年4月1日に米軍を主体とする連合軍が沖縄本島に上陸し、戦闘が始まってから、日本軍・軍属が13万人、連合国軍・軍属が2万数千人、そして沖縄県民が約4万数千人、敵味方双方の合計で約20万余の戦死者を出している。
沖縄の一般市民の戦死者には「ひめゆり部隊」、「鉄血勤王隊」のような若き学生招集隊の多数の死者が含まれているが、これが今日まで沖縄戦を世に知らしめている大きな犠牲であった。
沖縄人で日本軍兵士と軍属になり、命を落とした人は約4万ほどもいた。さらに一般住民でも日本軍に協力して亡くなった人もおり、かれこれ併せると、沖縄の一般市民では青壮年の6万から7万の人たちが戦死した勘定になる。
いわゆる「男手」の数多の喪失が、戦後の沖縄復興に影を落としたことは想像に難くなく、米軍の一方的な基地化を許してしまった感は否めない。
もちろんそれは沖縄県民の責めに帰す問題ではない。男手を失い、「地形が変わるほどの砲撃」を受けた沖縄県民になす術はなかった。
その後は米軍の統治が1972年まで27年も続き、朝鮮戦争やベトナム戦争への米軍出撃基地となることで「基地経済」が成立してしまった以上、もう戦前の沖縄に引き返すことは不可能となったいた。
しかし、1989年のベルリンの壁崩壊(東西ドイツ統一)、1991年のソ連邦瓦解によって世界は一気に緊張緩和へと舵を切り、冷戦は過去のものとなった。
アメリカもその頃は国連憲章に鑑み、二国間軍事同盟である「日米安保」の廃止を含む見直しを考えていたのだ。
だが、日米安保依存症に陥っていた日本政府も官民も誰も彼も「安保不要」などおくびにも出さず、結局ずるずると、「一年毎の更新」であることも忘れ果てて、「アメリカの軍事力に頼っていれば未来永劫日本は安泰」とし、今日に至っている(革新勢力も、米軍が駐屯していた方が、自前の防衛力は抑えられて都合がいいという考えだから、同じ穴のムジナだ)。
4年前に「泡沫候補」と目されていた共和党のドナルド・トランプが大統領に選ばれたが、トランプは「日米安保は片務的すぎる。アメリカが攻撃されても日本は助けに来ない。米軍撤退も視野に入れている」などと日米安保依存症者が聞いたら卒倒しそうな言葉を堂々と吐くようになった。
今がチャンスだ! ――何が?
もちろん日米安保の廃止だ! ――バカなことを言うな、中国が攻めてくるぞ。北朝鮮もだ。 何を根拠に攻めてくるのだ。名分はない! ――奴らは身勝手だからだ。
おいおい日本には何の外交力もないのかい。それほど自国を見捨ててどうする!
日米安保依存者の多くは、パワーゲームにも依存している。曰く「外交的努力も後ろ盾に軍事力(パワー)があってこそだ」そうである。
日本国内でのパワーゲームは「西南戦争」で終わった。逆に言うと1877年までの日本はまさに「権力間の話し合いも、結局のところ軍事力で決着をつけた」のだが、もうそういう考え方を捨てて140年余りが経つ。日本国内ではパワーゲームはその後一切ない。
日本は世界を相手にパワーを使い、敗れたが、その後は日本としてのパワーの行使はしていない。「米軍の駐留があるから」という見方は皮相的だ。無くても平和外交という得意分野がある。日米安保の陰に隠れて目立たないだけだ。
米軍の後ろ盾(駐留)があるために、真の平和国家として世界から正しく評価されていないのだ。
今回、河野防衛大臣はイージス・アショア装備停止を決めたが、留飲を下げたのは私だけではあるまい。二基で3000億円余りだが、ブースター部分の落下が一般人の居住区域に落ちる可能性があり、その改良にさらに数千億円の上積みを求められ、配置を断念したのだ。
3年前に安倍首相がトランプの商人外交に忖度し、「F35ステルス爆撃機」を100基も爆買いしているが、味をしめたトランプ流に今回も乗せられかかったのを見事に跳ね返したことになる。
日本がどんなに米国製兵器を「爆買い」しても、米軍の監視下にあるので「大量破壊兵器所持」についてははおとがめなしだ。こんなにうまい兵器商売はざらにないだろう。(※さらに米軍の駐留経費も8500億円と4倍増させられそうだが、トランプの再選がなければチャラになるかどうか・・・。)
日米安保が無くなれば、沖縄の米軍基地もなくなる。その代わりに自衛隊が主要部の基地を引き継ぐわけだが、おそらく規模的には米軍基地の3分の一になるだろう。それでも通常の都道府県より多めだが、対中国戦略としては仕方がないと思う。
「沖縄慰霊の日」の前後、沖縄の学校では次の歌がよく歌われるという。
『月桃の花』
作詞・作曲
海勢頭 豊
1 月桃揺れて 花咲けば
夏の便りは 南風
緑は萌える うりずんの
ふるさとの夏
2 月桃白い 花のかんざし
村の外れの 石垣に
手に取る人も 今はいない
ふるさとの夏
3 摩文仁の丘の 祈りの歌に
夏の真昼は 青い空
誓いの言葉 今も新たな
ふるさとの夏
4 海は眩しい 喜屋武の岬に
寄せ来る波は 変わらねど
変わる果てない 浮世の情け
ふるさとの夏
5 6月23日待たず
月桃の花 散りました
長い長い 煙たなびく
ふるさとの夏
6 香れよ香れ 月桃の花
永遠に咲く身の 花ごころ
変わらぬ命 変わらぬ心
ふるさとの夏
ふるさとの夏
「ふるさとの夏」が各コーラスの最後を占めるが、6月23日は沖縄ではまさに夏真に近い。その夏に多くの無辜の人々が命を落とした。日米安保が無くなって沖縄が真の「平和の礎」になり、再び無残な戦争の無いことを祈る。月桃の花(我が家の月桃はまだ咲かないので、akameebaさんのユーチューブ動画より転載させてもらった)
1945年4月1日に米軍を主体とする連合軍が沖縄本島に上陸し、戦闘が始まってから、日本軍・軍属が13万人、連合国軍・軍属が2万数千人、そして沖縄県民が約4万数千人、敵味方双方の合計で約20万余の戦死者を出している。
沖縄の一般市民の戦死者には「ひめゆり部隊」、「鉄血勤王隊」のような若き学生招集隊の多数の死者が含まれているが、これが今日まで沖縄戦を世に知らしめている大きな犠牲であった。
沖縄人で日本軍兵士と軍属になり、命を落とした人は約4万ほどもいた。さらに一般住民でも日本軍に協力して亡くなった人もおり、かれこれ併せると、沖縄の一般市民では青壮年の6万から7万の人たちが戦死した勘定になる。
いわゆる「男手」の数多の喪失が、戦後の沖縄復興に影を落としたことは想像に難くなく、米軍の一方的な基地化を許してしまった感は否めない。
もちろんそれは沖縄県民の責めに帰す問題ではない。男手を失い、「地形が変わるほどの砲撃」を受けた沖縄県民になす術はなかった。
その後は米軍の統治が1972年まで27年も続き、朝鮮戦争やベトナム戦争への米軍出撃基地となることで「基地経済」が成立してしまった以上、もう戦前の沖縄に引き返すことは不可能となったいた。
しかし、1989年のベルリンの壁崩壊(東西ドイツ統一)、1991年のソ連邦瓦解によって世界は一気に緊張緩和へと舵を切り、冷戦は過去のものとなった。
アメリカもその頃は国連憲章に鑑み、二国間軍事同盟である「日米安保」の廃止を含む見直しを考えていたのだ。
だが、日米安保依存症に陥っていた日本政府も官民も誰も彼も「安保不要」などおくびにも出さず、結局ずるずると、「一年毎の更新」であることも忘れ果てて、「アメリカの軍事力に頼っていれば未来永劫日本は安泰」とし、今日に至っている(革新勢力も、米軍が駐屯していた方が、自前の防衛力は抑えられて都合がいいという考えだから、同じ穴のムジナだ)。
4年前に「泡沫候補」と目されていた共和党のドナルド・トランプが大統領に選ばれたが、トランプは「日米安保は片務的すぎる。アメリカが攻撃されても日本は助けに来ない。米軍撤退も視野に入れている」などと日米安保依存症者が聞いたら卒倒しそうな言葉を堂々と吐くようになった。
今がチャンスだ! ――何が?
もちろん日米安保の廃止だ! ――バカなことを言うな、中国が攻めてくるぞ。北朝鮮もだ。 何を根拠に攻めてくるのだ。名分はない! ――奴らは身勝手だからだ。
おいおい日本には何の外交力もないのかい。それほど自国を見捨ててどうする!
日米安保依存者の多くは、パワーゲームにも依存している。曰く「外交的努力も後ろ盾に軍事力(パワー)があってこそだ」そうである。
日本国内でのパワーゲームは「西南戦争」で終わった。逆に言うと1877年までの日本はまさに「権力間の話し合いも、結局のところ軍事力で決着をつけた」のだが、もうそういう考え方を捨てて140年余りが経つ。日本国内ではパワーゲームはその後一切ない。
日本は世界を相手にパワーを使い、敗れたが、その後は日本としてのパワーの行使はしていない。「米軍の駐留があるから」という見方は皮相的だ。無くても平和外交という得意分野がある。日米安保の陰に隠れて目立たないだけだ。
米軍の後ろ盾(駐留)があるために、真の平和国家として世界から正しく評価されていないのだ。
今回、河野防衛大臣はイージス・アショア装備停止を決めたが、留飲を下げたのは私だけではあるまい。二基で3000億円余りだが、ブースター部分の落下が一般人の居住区域に落ちる可能性があり、その改良にさらに数千億円の上積みを求められ、配置を断念したのだ。
3年前に安倍首相がトランプの商人外交に忖度し、「F35ステルス爆撃機」を100基も爆買いしているが、味をしめたトランプ流に今回も乗せられかかったのを見事に跳ね返したことになる。
日本がどんなに米国製兵器を「爆買い」しても、米軍の監視下にあるので「大量破壊兵器所持」についてははおとがめなしだ。こんなにうまい兵器商売はざらにないだろう。(※さらに米軍の駐留経費も8500億円と4倍増させられそうだが、トランプの再選がなければチャラになるかどうか・・・。)
日米安保が無くなれば、沖縄の米軍基地もなくなる。その代わりに自衛隊が主要部の基地を引き継ぐわけだが、おそらく規模的には米軍基地の3分の一になるだろう。それでも通常の都道府県より多めだが、対中国戦略としては仕方がないと思う。
「沖縄慰霊の日」の前後、沖縄の学校では次の歌がよく歌われるという。
『月桃の花』
作詞・作曲
海勢頭 豊
1 月桃揺れて 花咲けば
夏の便りは 南風
緑は萌える うりずんの
ふるさとの夏
2 月桃白い 花のかんざし
村の外れの 石垣に
手に取る人も 今はいない
ふるさとの夏
3 摩文仁の丘の 祈りの歌に
夏の真昼は 青い空
誓いの言葉 今も新たな
ふるさとの夏
4 海は眩しい 喜屋武の岬に
寄せ来る波は 変わらねど
変わる果てない 浮世の情け
ふるさとの夏
5 6月23日待たず
月桃の花 散りました
長い長い 煙たなびく
ふるさとの夏
6 香れよ香れ 月桃の花
永遠に咲く身の 花ごころ
変わらぬ命 変わらぬ心
ふるさとの夏
ふるさとの夏
「ふるさとの夏」が各コーラスの最後を占めるが、6月23日は沖縄ではまさに夏真に近い。その夏に多くの無辜の人々が命を落とした。日米安保が無くなって沖縄が真の「平和の礎」になり、再び無残な戦争の無いことを祈る。月桃の花(我が家の月桃はまだ咲かないので、akameebaさんのユーチューブ動画より転載させてもらった)