鴨着く島

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パルショータという発酵食品(1)

2020-02-10 09:03:39 | 古日向の謎
先日のNHKの特番『人類とアルコール』で紹介されたエチオピア南部高原地帯に暮らす一部族は主食として一日当たり5リットルほどの「パルショータ」という液体を飲むだけだという。

パルショータは穀物のモロコシ(別名コーリャン・ソルゴー)を発行させた液体で、アルコール分はビール程度の5パーセントだそうである。

このパルショータを主食代わりに空腹を覚えたら随時飲むという生活をしている様子が映し出された。一食一汁二菜などという我々の食事感覚からすると全く驚くほかない光景だった。

ほかの作物や狩猟で獲れたものを食するか否かは番組では紹介されなかったが、とにかくパルショータだけでも、カロリーはもとよりたんぱく質や必須アミノ酸は十分な量含まれているとのことだった。

特番内容として人間とアルコールとの関わりを追求するのがテーマなので、いきおいパルショータに含まれるアルコール摂取が話題になったが、幼児のような子供たちにも飲ませている(ただし大人のよりは薄めているらしい)ので、どうやらかの部族はアルコール分解酵素は勿論だが悪酔いの原因となる毒素アセトアルデヒドを分解する酵素も誰もが十分に持っているようだ。

野生の猿やチンパンジーが例えばヤシの実の殻に溜まった水が発酵して「果実酒」になったのを飲むのは知られているが、数百年前に進化して原生人類になったあとも悪酔いしない分解酵素を伝承したということで、旧人から新人になってもアルコールには強かったということになる。

話はこのアルコールに強いか弱いかの分類に入り、一般的に言って西洋人はめっぽう強く、その反対に東洋人、中でも日中韓三か国は弱い部類に入るそうだ。中国人では50パーセント、日本人は40パーセント、そして韓国人は30パーセントがアセトアルデヒド分解酵素をほとんど持たないかごく少ないという。

中国人学者によると酒に弱いタイプの人々の分布と水田耕作の分布とがすっかり重なるそうで、米作りを開始した人たちの間でアセトアルデヒド分解酵素の分泌の少ないタイプが生まれて来たのだろうという。

しかしなぜ米作りとアセトアルデヒド分解酵素分泌量減少がリンクするのかの理由は示されていない。

特番の解釈では水田耕作地帯はそれまで主に従事していた狩猟(森林)や畑作(乾燥地)の環境とは全く違う湿地帯であり、そこに発生するさざまな菌やウイルス(これらも一種の毒)への抵抗力(免疫力)確保を優先せざるを得なくなったのでその分アセトアルデヒドを分解する酵素の分泌が減少したのではないかーーとしていた。

なるほどそれはうがった見方だ。アルコールにめっぽう強い西洋人の住むヨーロッパは乾燥地帯だから、湿地特有のカビや細菌やウイルスは確かに少ない。それゆえそのための免疫力は少なくて済み、その分、別の毒素であるアセトアルデヒドを分解する酵素の分泌に回せたという理解が成り立つ。

私は今でこそ結構いける口になったが、成人したての頃はかなり弱い方だった。しかし鹿児島に来てから焼酎を飲むようになり、よく言われるように「焼酎は二日酔いがしない」せいだろうか、次第に強くなり、今では(これまでも)毎晩「焼酎湯割りコップ二杯+ビール又はワイン一杯」を定番としている。

奄美大島出身の父親はかなり強い方で、そのためか東京で飲む清酒の多飲が糖尿病を誘発してしまった。晩年は糖分の最も少ないウイスキーを嗜むようになったが時すでに遅しだった。

その一方母方は全く弱い方で、母に言わせると父親(私の祖父)は「奈良漬屋の前を通っただけで酔ってしまう」そうである。奈良漬けの主材料の一つである酒粕の微量なアルコールを嗅いだだけで酔うというのはちょっとオーバーな表現だが、それほど酒に弱かったということだろう。

そういえばこれはどこの番組だったか忘れたが、日本人で一番アルコールに弱いのは三重県民だと言っていた(どうやって調べたのかは記憶にない)が、実は祖父の出身は三重県だったのでまさしく当たっていたことになる。

三重県といえば伊勢神宮。「お伊勢参り」は一年中途切れることがなく、いきおい「おもてなし宿」が多かったろう。宿泊する方は「やれやれもう少しでお伊勢さんだ」と一杯が二杯、二杯が三杯と盃を重ねたろうが、おもてなしする方は自分が酔っ払っては仕事にならないので次第に酒を控えるようになった。その結果「酒を避ける」ようになった、というのが――最後のオヤジギャグは無視するにしても――真相ではないか・・・。(続く)