鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

みなと食堂

2020-02-06 09:45:26 | おおすみの風景
鹿屋市のかっての海の玄関だった古江港は、今は漁港としてカンパチの養殖と細々とだが南グダエビという小エビの産地として知られている。

カンパチは市内ではどこのスーパーでも多く売られており、食卓を賑わすことが多いが小エビの方はなかなか手に入りにくい。

そこで古江港に6、7年前から開かれている「みなと食堂」に家内と食べに行った。

カンパチの「漬(ヅ)け丼」と「小エビのかき揚げ丼」を注文してみたが、小エビのかき揚げは手のひらの半分サイズの大きなのが三つも乗っており、ごはんにかけられた醤油ダレもほど良く、十分堪能できた。

漬け丼、かき揚げ丼の単品のほかに800円から1500円までの定食が用意されており、材料はほぼすべてが古江と鹿屋市内産の物ばかりで、その意味でも貴重な食堂である。

以前に訪れた時より客席が3倍ほども拡張され、メニューは5倍くらい豊富になった。店員の応対もテキパキして気持ち良かった。

みなと食堂からは西南に開聞岳が望まれるのだが、あいにく桜島の火山灰による煙霧現象で霞んでいて輪郭が見えるだけだった。

ここ古江は港からすぐのところに旧国鉄「大隅線」の古江駅舎が残されている。

大隅線が廃止になったのは33年前の昭和62(1987)年3月14日(大隅半島を走っていた国鉄では志布志線も同年3月28日)で、以来日南線(JR九州)の志布志駅を除いて大隅半島に鉄道の駅はない。

その後大隅半島ではあらゆる面で自動車交通が普通になって行くのだが、陸の孤島感は免れず、平成29年の12月に東九州道が鹿屋市串良町まで延伸されてようやく一本の動脈が中央とつながった。

この時の「つながり感」は大隅線がまだ古江を起点としていた故に古江線と呼ばれていて、古江から垂水を経て国分駅(霧島市)の日豊線と連結し、県都鹿児島市の鹿児島駅と一本でつながった時(昭和47年)に似ているかもしれない。

しかしその喜びも、昭和62年の国鉄民営化に伴う不採算路線の廃止を迎え、15年で儚くも潰え去った。

古江港はその後、鹿児島市内からの連絡船も途絶え、今は有数のカンパチの漁港としてそこそこに活躍はしている。連絡船の待合室だったみなと食堂が古江駅跡とともに往時の繁栄を偲ばせてくれているのはうれしい。