の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

大名持社 / 大名持神社

2014年10月03日 07時19分03秒 | 近畿(奈良)
■鳥居■
(1st January 2013)



★大名持社★
 奈良県吉野郡吉野町河原屋
 
・延喜式内社、大和國吉野郡、大名持御魂社、名大、月次相嘗新嘗。

・舊社格は社。

・祭は大名持命、須勢理比命、少彥名命。一說に、少彥名命は、『萬葉集』卷七の「大穴道少御のつくらしし 妹背の山を見らくしよしも」にちなんだ後世の合祀といわれ、また、背山のという說もある。

・創建由等不詳。

・背後の妹山を體山と仰いだ民族的原始信仰に由來することは、この山が「忌山」とも呼ばれ、樹叢へ斧を入れない禁忌的信仰が現代にも生き續けることからも推測され、また、土地の古老は妹山の土は生きているから木も毎日樣子が變わるとさえ信じている。

・『日本三代實錄』の貞觀元年(859)正月二十七日條に「大和國從一位大己貴に正一位を奉授する」とあるが、この段階で正一位の極位を受けているのは、大和國では他に春日大社だけであったが、當社の階が早かった理由は明らかでないという。

・信仰は妹山だけでなく、社前の吉野川とも深くかかわっており、今もなお續く磯城櫻井地方の「大汝詣で」がある。奈良盆地のこの地方では、宮座當屋が氏祭に先立って當社に參詣、社前の潮ヶ淵で六根淨の禊をして身心をめ、酒に吉野川の水を汲み、親指大の細長い石を左座は三個、右座は四個拾って歸り、深夜に米川で禊をして靈を遷し、祭祀を行うといい、吉野川のこの付近を聖視していたことを示している。

・『大和志』には、境内に大海寺、社前に潮生淵があり、毎年六月三十日に鹽水が湧き出ると記されている。現社務所の位置が元宮寺の大海寺蹟という。

・舊龍門二十一カ村が氏子地區。


■鳥居■
(9th April 2009)



■拜殿、本殿■
(9th April 2009)
 
(1st June 2011)
 


■拜殿■
(9th April 2009)


(1st June 2011)
 
(1st January 2013)



■本殿■
(9th April 2009)

(1st June 2011)

 


■木■



((コメント))

2009年4月9日

 多分、三度目の訪問。だが、定かではない。滿足の行く寫眞が殘っていなかったので、再び來た。吉野の風の香りが漂うほのぼのとしつつも、物寂しい社である。いつものことながら・・・

2011年6月1日

 東吉野村への道中に立ち寄る。相變わらず靜かでひんやりとしたところである。ここの本殿が割りと好きだったりするのである。

2013年1月1日

 この元旦は三社參りをすることにした。個人的な理由で三社を選択。元旦に日付が變わってからの出陣である。個人的に好きな大名持社にまず訪問。『延喜式』名帳に記される古社で名大社というすごい格でありながら、非常に質素で美しい社である。殘念ながら訪問者が多いわけではなく、境内は提燈と焚火だけであり非常に暗いが、それも仕方がない。社の雰圍氣はさほど日中とも變わることなく、落ち着いた感じである。


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