の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

社八幡社 / 社八幡神社

2015年07月22日 14時02分24秒 | 東北(岩手、宮城、福島)
■社號標■
(14th June 2008)

 

★社八幡社★ 福島県白河市表郷八幡字宮下

・舊社格は村社。

・祭は應天皇、仲哀天皇、功皇后。

・村社皇宮社を合祀。

・由等不詳。

・源義家が東征の途次、戰勝を祈願して八幡社と考えられる。


■鳥居、社號標■
(14th June 2008)
 


■參道■
(14th June 2008)
 


■拜殿■
(14th June 2008)
 


■本殿■
(14th June 2008)
 


((コメント))

2008年6月14日

 馬場古和氣社のあとは、白河城こと小峰城經由で會津の伊佐須美社を目指して走り出した。しばらく走り、白河市に入ったときに、社と文化財の說明板があったのでつい寄ってしまった。熊野講という無形文化財で見ることは出來ないがこれも、何かの緣ということで參拜した。

 おじいちゃんと二人の孫が登って行くのが見えたので、まあ、安全なところなのだろうな、と思い進んだ。熊の写眞はまったく撮れそうにない・・・

 この社に關する由等はなく、詳しくはわからない。名は社八幡神社。ここは、舊表村というところで、古關、金山、社の三村が合倂したところであり、元は社村といったらしい。さらにさかのぼると屋代(社)。八幡社は、この地の傳承で、源義家が東征の途次、戰勝を祈願して八幡社を建立したという八幡社であろう。この地域に他の八幡社がないので。それゆえに、社という地名となり、さらに社名に冠されるようになったんだろう。本殿の裏手には、皇宮社の名を書いた石碑も置かれていたので、合祀されたのかもしれない。

伊佐須美社

2011年06月30日 20時19分50秒 | 東北(岩手、宮城、福島)
■東參道■
(14th June 2008)

 

★伊佐須美社★ 福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377

・延喜式内社、陸奥國會津郡、伊佐須美社、名大。

・舊社格は國幣中社。

・祭は、伊弉諾尊、伊弉冉尊。大毘古命、建沼河別命を配祀。

・陸奥國二之宮。

・會津總鎭守。

・社傳では、崇天皇十年(紀元前88)、四道將軍大毘古命と建沼河別命の親子が蝦夷を平定するため北陸道と東海道に派遣された折、出會った土地を「會津」と名付け、奥越の境の天津嶽山頂に、國家鎭護のため奉齋したのが當社の始まりであり、のちに博士山、明嶽と移転を繰り返し、欽明天皇十三年(552)に天原と呼ばれる田南原に遷座、さらに、同二十一年(560)、現在地の東原に社殿造営の上、奉遷、大毘古命、建沼河別命を合祀し、今日に至る。

・舊社地のあった博士山、明嶽に発する宮川の作る扇状地に鎭座する田の地があり、この廣大な水田地帶のなかに形成された豐かな地であり、伊佐須美のは田を潤す水分のであり、また、同時に豐穰をもたらす「産靈」のでもあるとされる。

・『河沼社誌』で戸内康雄は「伊は接頭語、佐は早苗、須美は齋く」の意味であるという説を示している。

・『會津風土記』によると、體は諾册二を同體にきざんだ四寸八分の像であったと言う。

・會津地方には古くより、磐梯山を遙拜する信仰があり、磐梯山を祀る猪苗代の磐椅社のほうが當社より格上であったとされるが、律令制の整備に伴い代表的な中央である伊奘諾、伊弉册二が當社に勸請されたため、两社の地位が逆転したと言う説がある。

・當社の御田植祭は日本三大御田植祭の一つと知られる。

・「全国一の宮会」認定の岩代國一之宮(新一之宮)である。


■朱鳥居■
(14th June 2008)

 

■隨門■
(14th June 2008)
 

・御簾が下げられており、本當はこれより中に入らず、ここから參拜をしなければいけないという。西門も東門も同樣となっている。現在はそれを知らぬ外部のものたちのために入れるように脇の扉を開けているという。


■拜殿■
(14th June 2008)



■本殿■
(14th June 2008)
 


■薄墨櫻■
(14th June 2008)


 会津美里町天然記念物


■飛龍の藤■
(14th June 2008)
 

 福島縣天然記念物


■天海僧正手植檜■
(14th June 2008)

 
 福島縣天然記念物


■鉄燈籠■
(14th June 2008)

 


■境内社會津大國魂社■
(14th June 2008)

 

・祭は會津大國魂。


■末社■
(14th June 2008)


・交通安全の社。


■社叢■
(14th June 2008)

 

 会津美里町天然記念物


((コメント))

2008年6月14日

 伊佐須美社であるが、元元、陸奥國二之宮で、今は「全国一の宮会」において岩代國で新一の宮として扱われているところである。本來は、門に御簾が下がり、そこから内には入らず、その場所で參拜すべきであるそうだが、知らぬものがほとんどのため、脇の門を開け、中に入れるようにしているとか。

 建物はいい感じであるが、御氣はあまりしない。とはいえ、私を呼んでくださったので、何かあるのかもしれない。そもそも、この日、會津に來ずに一氣に北上する予定だったので、岩手宮城大地震の震源地に近い方面に向かうはだったのだが、、ふと、やはり、蝦夷に行く前に會津に行こうとふとよぎり、地震の影響がないところに行くこととなったわけである。私は守られているのかもしれない。産田と同じ伊奘冉尊が呼んでくれたのだろう。と、いうことにしておく。

 しかし、天海僧正手植檜って、天海さん、本当に會津に來たのだろうか。

大沼社

2010年05月23日 20時56分12秒 | 東北(岩手、宮城、福島)
■鳥居■
(14th June 2008)



★大沼社★ 福島県大沼郡会津美里町大字勝原字竹原

・舊社格は村社。

・祭は、水波能女命。

・かつてこの社一帶は大きな沼であったといわれ、それが大沼郡の地名の由来となっているともいう。

・社の草創は大同元年(806)。

・現在は沼の水も枯れ、社叢の西にある小さな池にそのわずかな名殘を殘すのみとなっている。

・現社殿は明治三十二年(1899)に修築。


■社號標■
(14th June 2008)



■本殿■
(14th June 2008)

 

■大沼跡■
(14th June 2008)


 会津美里町史跡


((コメント))

2008年6月14日

 会津美里町に入り伊佐須美社も近づいてきたときに、通り道で車が停めやすいところに社があったので行ってみた。ささやかな水の社である。確かに、水のの雰囲氣が少し漂ってはいた。

陸奥國一之宮八槻都都古別社

2010年05月03日 22時59分13秒 | 東北(岩手、宮城、福島)
■本殿■
(14th June 2008)
 


★陸奥國一之宮八槻都都古別社★ 福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224

・延喜式内社、陸奥國白河郡、都都古和氣社、名大、論社。

・舊社格は國幣中社。

・祭は味耜高彦根命、日本武尊を配祀。

・明治四年(1871)の太政官府によって、馬場の近津明が延喜式名大社の都都古和氣社とされ國幣中社に列せられた時に、八槻の近津明が抗議し論争の結果、明治十八年(1885)、両社並立という異例の処置により八槻の近津明も國幣中社に列せられた。

・社傳によると、日本武尊が東征のおり、八溝山の夷族の大將と戰い、勝敗がつかず、そこに、面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命の三が出現し、味耜高彦根命の鉾を授けたという。日本武尊は、その鉾を今の鉾立山に立てかけ、東に向かって矢を放ち、矢の到達した場所に社殿を建て味耜高彦根命を祀り、その加護により勝利をおさめたという。

・日本武尊は東征のおり、千回戰い千回勝ったといわれ、八幡太郎義家は、社号を千勝明と改め、現在は「ちかつさん」と呼ばれている。

・久慈川に沿って、近津と呼ばれる社が三社存在し、その鎭座地から、馬場の都都古和氣神社を上之宮、八槻の都都古別社を中之宮、茨城県の近津社を下之宮とし、近津三宮ともいうらしい。

・紋は、丸に引両。

・足利時代に白河結城氏並びに水戸佐竹氏より数度寄進あった。また、川光圀の尊崇厚く御寶の奉納あり社殿修復の際には白銀二百枚を寄進されたという。


■境内遠景■
(14th June 2008)


 
■鳥居、社號標■
(14th June 2008)
 


■隨門■
(14th June 2008)



■拜殿■
(14th June 2008)



■本殿■
(14th June 2008)
 


■末社皇朝工祖社■
(14th June 2008)



■末社熊野社■
(14th June 2008)



■社務所■
(14th June 2008)



■夫婦杉■
(14th June 2008)



■鳥居近くの豪華な民家■
(14th June 2008)



((コメント))

2008年6月14日

 午前六時半に着。なかなかいいところであった。初めての東北であったので、そこらじゅうに熊が居るのを期待していたが、居そうではなく殘念だったのが、第一印象。近くに、ものすごく格好いい屋根の建物。宮司宅なのかも知れないが不明。静かで、ひんやりとしてなかなか心地よい境内であった。

陸奥國一之宮馬場都都古和氣社

2010年05月01日 22時57分16秒 | 東北(岩手、宮城、福島)
■拜殿■
(14th June 2008)



★陸奥國一之宮馬場都都古和氣社★ 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39

・延喜式内社、陸奥國白河郡、都都古和氣社、名大、論社。

・舊社格は國幣中社。

・祭は味耜高彦根命。日本武尊を配祀。本来、都都古和氣は面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命、大己貴命,味耜高彦根命、少彦名命、事代主命を合祭したのことという。

・社傳によると、立鉾山に日本武尊が鉾を建て、三森に都都古和氣を祀ったのが創祀という。

・大同二年(807)に坂上田村麿が伊野荘(現棚倉城跡)に奉遷し、寛永元年(1624)、棚倉城築城のため、当社へ遷座。

・紋は、珍しい鳳凰紋で、大鳥大社と同じため、個人的には、日本武尊伝説を八槻都都古別社の由緒に結び付けた別の社が前身ではないかとも考える。

・近世まで近津明と呼ばれていた。


■參道石段、鳥居■
(14th June 2008)



■隨門■
(14th June 2008)



■拜殿■
(14th June 2008)



■本殿■
(14th June 2008)



■末社東照宮■
(14th June 2008)



■末社熊野社■
(14th June 2008)



■舊社地棚倉城跡、木■ 福島県東白川郡棚倉町
(14th June 2008)
 


((コメント))

2008年6月14日

 棚倉城跡に本来鎭座していたが、丹羽長重により築城のために遷宮させられた馬場都都古和氣社。八槻都都古別社とは、なんやらもめて、結局並立して陸奥國一之宮となったところらしいが、どちらがどういった関係なのか、というのも不明。由緒も似ているのに、共通の祭りはない。つまり、そういう社なのである。近くまではすぐにいけたのであるが、そこから少し迷ってしまった。

 八槻と同様に隨門がある。ただ、社の規模から思うに、八槻よりも馬場のほうが大きい。丹羽が金を出したのであろう。こちらのほうが、立派であることは否定できない。まあ、個人的には、八槻も馬場もいい感じであるのが本心。參道から社殿の眺めもよい。城跡のような境内であるように感じる。本殿後方の少し高いところに東照宮があった。丹羽の意向だろう。しかし、城郭のためとはいえ、舊鎭座地を退去させられたということは悲しい限りである。