■本殿■
(10th October 2007)
★巨勢山口社★ 奈良県御所市古勢字高社303
・延喜式内社、大和國葛上郡、巨勢山口社、大、月次新嘗。
・祭は伊弉諾尊、伊弉冉尊。本來の祭は大山祇命であったといわれる。
・『延喜式』にある山口社十四社のうちの一つ。他は、飛鳥、石寸、忍坂、長谷、畝傍、耳成、夜支布、伊古麻、鴨、大坂、當麻、吉野、祁がある。
・古代豪族巨勢臣の本貫地として榮えたところであったという。ちなみに巨勢は御所市(ごせ・し)の由來となっている。
・本殿は春日造方七尺で檜皮葺である。
・正長元年(1428)、山上の小明原から現地へ遷座。永正九年(1512)に官巨勢吉範が山頂に巨勢山城築城。
■社號標■
(25th January 2010)
■參道■
(25th January 2010)
■鳥居■
(10th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/0a/403441378dfd68b9e15d700889f4b7d8.jpg)
(25th January 2010)
■手水鉢■
(10th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/f3/77983a607886e4d8fef9d2c85d98d08c.jpg)
■本殿■
(10th October 2007)
(25th January 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/38/ce347513a60b2929773b46ce063094ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/78/ab21c47a351d8fdd149aa4532f7aea68.jpg)
((コメント))
2007年10月10日
しばらく山道を登らなければいけない。本殿の裏の傾斜を登ったところには巨勢城蹟がある。昔は、說明板もなく、社の位置がわからなかった思い出がある。
拜殿はなく、本殿がドンと置かれている。本殿は木造で古くてはげているがこういうのがなかなか好みである。いい雰圍氣を釀し出している。
2010年1月25日
巨勢山口社に來るのは三度目。二、三年ぶりではなかろうか。現在の鎭座地は山口社とかろうじていえるところにあるが、元元、現在地よりももっと所にあったといい、山頂に巨勢山城があることも考慮に入れると、そこが舊社地であった可能性も强い。というのも、南北朝時代、南朝方の巨勢氏が山頂に城を築くとき、整地するよりも元元、建物などがある所を利用するほうが當然のことであるのだから。しかし、そうなると「何を持って『山』の『口』の社なのか」、と言いたくなる。そう考えると、吉野口驛近くの大倉姫社が山口社で、舊社が奧宮であったような氣がしないでもない。謎である。
(10th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/8d/9c0075a6038a75fa7fa996032bc2f65c.jpg)
★巨勢山口社★ 奈良県御所市古勢字高社303
・延喜式内社、大和國葛上郡、巨勢山口社、大、月次新嘗。
・祭は伊弉諾尊、伊弉冉尊。本來の祭は大山祇命であったといわれる。
・『延喜式』にある山口社十四社のうちの一つ。他は、飛鳥、石寸、忍坂、長谷、畝傍、耳成、夜支布、伊古麻、鴨、大坂、當麻、吉野、祁がある。
・古代豪族巨勢臣の本貫地として榮えたところであったという。ちなみに巨勢は御所市(ごせ・し)の由來となっている。
・本殿は春日造方七尺で檜皮葺である。
・正長元年(1428)、山上の小明原から現地へ遷座。永正九年(1512)に官巨勢吉範が山頂に巨勢山城築城。
■社號標■
(25th January 2010)
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■參道■
(25th January 2010)
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■鳥居■
(10th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/0a/403441378dfd68b9e15d700889f4b7d8.jpg)
(25th January 2010)
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■手水鉢■
(10th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/f3/77983a607886e4d8fef9d2c85d98d08c.jpg)
■本殿■
(10th October 2007)
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(25th January 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/38/ce347513a60b2929773b46ce063094ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/78/ab21c47a351d8fdd149aa4532f7aea68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9b/16582553db9fcf45e99143a521306da3.jpg)
((コメント))
2007年10月10日
しばらく山道を登らなければいけない。本殿の裏の傾斜を登ったところには巨勢城蹟がある。昔は、說明板もなく、社の位置がわからなかった思い出がある。
拜殿はなく、本殿がドンと置かれている。本殿は木造で古くてはげているがこういうのがなかなか好みである。いい雰圍氣を釀し出している。
2010年1月25日
巨勢山口社に來るのは三度目。二、三年ぶりではなかろうか。現在の鎭座地は山口社とかろうじていえるところにあるが、元元、現在地よりももっと所にあったといい、山頂に巨勢山城があることも考慮に入れると、そこが舊社地であった可能性も强い。というのも、南北朝時代、南朝方の巨勢氏が山頂に城を築くとき、整地するよりも元元、建物などがある所を利用するほうが當然のことであるのだから。しかし、そうなると「何を持って『山』の『口』の社なのか」、と言いたくなる。そう考えると、吉野口驛近くの大倉姫社が山口社で、舊社が奧宮であったような氣がしないでもない。謎である。