の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

岩見澤社 / 岩見沢神社

2013年10月21日 01時20分19秒 | 北海道、東北(青森、秋田、山形)
■社號標■
(18th June 2008)



★石狩國一之宮岩見澤社★ 北海道岩見沢市12条西1丁目3番地

・舊社格は縣社。

・祭は天照大、大己貴。

・石狩國一之宮。

・元元の令制國ではないために本州、四國、九州とは少し異なるが、石狩國一之宮の一つとされ、また、空知郡であることから、空知一宮とも稱される。

・明治十七年(1884)、山口、鳥取ほか十二縣下の士族二百七十七戸が當地に移住し、翌明治十八年(1885)八月、村民が集まって祭を行ったのが當社の始まりという。

・明治十九年(1886)には小祠が建てられた。

・明治二十九年(1896)の大火で社殿を燒失、翌明治三十年(1897)、現在地に社地の寄進を受けて二代目の社殿を造營し、遷座となる。

・石長平氏および和平氏より大きく社地寄進を受けた。


■鳥居■
(18th June 2008)



■參道■
(18th June 2008)



■拜殿■
(18th June 2008)



■拜殿、本殿■
(18th June 2008)



((コメント))

2008年6月18日

 思いっきり街の中にあり、社の風情はなく、東京の社などに近い雰圍氣もある。葛城に鎭座する古えの社などとは大きな違いであるが、歴史や文化が異なるので仕方がない。

 もしこれが、元元より日本であった本州、九州、四國のものであれば、かなりいけてない社殿であるが、北海道という土壤、あたらしい歷史、イメージ、色色なことを考えると、そこの土壤に合う社殿と思われ、そういう意味では、合格點かな、と。


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4 Comments

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石黒長平氏に付いての問合せ (梶谷恭巨)
2011-03-23 21:57:07
 北海道殖民史、特に、新潟県出身者の足跡を調べています。
 『北海道立志編』によれば、石黒長平氏は、越後の出身とありますが、詳細が判りません。

 その辺りのことが判る資料などありませんでしょうか。
 不躾とは存じますが、ご教授頂ければ幸いです。
 尚、現在、『柏崎通信』というブログで、「北海道の拓殖に係る人物像」を連載公表しています。 これは、非公開のメルマガの内、公表しも差し支えないと判断した記事のみを掲載したものです。 一読して頂ければ他意のないことをご理解していただけると存じます。
 ご検討のほど、宜しくお願いします。

Best regards
梶谷恭巨
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梶谷さん (丹敷戸畔の御子)
2011-03-27 15:28:03
まったく、縁もないために情報はありません。
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Unknown (マリア)
2011-09-02 09:20:36
岩見沢は氏族入植の方が多く、その中のお一族でしょう。同級生などに石黒さんがおり、先祖は武士だったといっておりましたので、そうなのでしょう。
そのようなおうちにお問い合わせなされば資料などは残っているようですね。
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Unknown (丹敷戸畔の御子)
2011-09-02 20:18:34
おそらく、岩見沢市役所に聞けばわかるのではないだろうか。
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