■社號標■
(18th June 2008)
★石狩國一之宮岩見澤社★ 北海道岩見沢市12条西1丁目3番地
・舊社格は縣社。
・祭は天照大、大己貴。
・石狩國一之宮。
・元元の令制國ではないために本州、四國、九州とは少し異なるが、石狩國一之宮の一つとされ、また、空知郡であることから、空知一宮とも稱される。
・明治十七年(1884)、山口、鳥取ほか十二縣下の士族二百七十七戸が當地に移住し、翌明治十八年(1885)八月、村民が集まって祭を行ったのが當社の始まりという。
・明治十九年(1886)には小祠が建てられた。
・明治二十九年(1896)の大火で社殿を燒失、翌明治三十年(1897)、現在地に社地の寄進を受けて二代目の社殿を造營し、遷座となる。
・石長平氏および和平氏より大きく社地寄進を受けた。
■鳥居■
(18th June 2008)
■參道■
(18th June 2008)
■拜殿■
(18th June 2008)
■拜殿、本殿■
(18th June 2008)
((コメント))
2008年6月18日
思いっきり街の中にあり、社の風情はなく、東京の社などに近い雰圍氣もある。葛城に鎭座する古えの社などとは大きな違いであるが、歴史や文化が異なるので仕方がない。
もしこれが、元元より日本であった本州、九州、四國のものであれば、かなりいけてない社殿であるが、北海道という土壤、あたらしい歷史、イメージ、色色なことを考えると、そこの土壤に合う社殿と思われ、そういう意味では、合格點かな、と。
(18th June 2008)
★石狩國一之宮岩見澤社★ 北海道岩見沢市12条西1丁目3番地
・舊社格は縣社。
・祭は天照大、大己貴。
・石狩國一之宮。
・元元の令制國ではないために本州、四國、九州とは少し異なるが、石狩國一之宮の一つとされ、また、空知郡であることから、空知一宮とも稱される。
・明治十七年(1884)、山口、鳥取ほか十二縣下の士族二百七十七戸が當地に移住し、翌明治十八年(1885)八月、村民が集まって祭を行ったのが當社の始まりという。
・明治十九年(1886)には小祠が建てられた。
・明治二十九年(1896)の大火で社殿を燒失、翌明治三十年(1897)、現在地に社地の寄進を受けて二代目の社殿を造營し、遷座となる。
・石長平氏および和平氏より大きく社地寄進を受けた。
■鳥居■
(18th June 2008)
■參道■
(18th June 2008)
■拜殿■
(18th June 2008)
■拜殿、本殿■
(18th June 2008)
((コメント))
2008年6月18日
思いっきり街の中にあり、社の風情はなく、東京の社などに近い雰圍氣もある。葛城に鎭座する古えの社などとは大きな違いであるが、歴史や文化が異なるので仕方がない。
もしこれが、元元より日本であった本州、九州、四國のものであれば、かなりいけてない社殿であるが、北海道という土壤、あたらしい歷史、イメージ、色色なことを考えると、そこの土壤に合う社殿と思われ、そういう意味では、合格點かな、と。
『北海道立志編』によれば、石黒長平氏は、越後の出身とありますが、詳細が判りません。
その辺りのことが判る資料などありませんでしょうか。
不躾とは存じますが、ご教授頂ければ幸いです。
尚、現在、『柏崎通信』というブログで、「北海道の拓殖に係る人物像」を連載公表しています。 これは、非公開のメルマガの内、公表しも差し支えないと判断した記事のみを掲載したものです。 一読して頂ければ他意のないことをご理解していただけると存じます。
ご検討のほど、宜しくお願いします。
Best regards
梶谷恭巨
そのようなおうちにお問い合わせなされば資料などは残っているようですね。