の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

安天皇社 / 安徳天皇社

2013年11月21日 13時56分07秒 | 四国(徳島、香川、愛媛、高知)
■本殿■
(21st July 2008)
 


★安天皇社★ 香川県高松市屋島東町557-1

・祭は安天皇。

・平宗盛の建てた屋島の安天皇内裏蹟に建てられたという。


■鳥居■
(21st July 2008)



■鳥居、拜殿■
(21st July 2008)



■本殿■
(21st July 2008)
 


■大場光親墓■
(21st July 2008)

 
・詳細不明。


■源平の合戰で亡くなった將兵たちの供養塔■
(21st July 2008)

 

((コメント))

2008年7月21日

 安天皇は、一應、公式には長門壇ノ浦まで行き、あちらで命を落とされたことになっているのだが、何故ここで祀られているのであろうか、と思っていたら、ここは行宮の内裏蹟であったらしい。つかのであったであろうが。平家が逃げ去った後、源氏の將兵が燒き払ったらしく、その後に社が建てられたそうだ。このとき、安天皇は、御年八であったらしい。小學一、二年生だよ・・・そう思うと、過酷な人生だ。

 ちなみに、行宮後に建てられた社ということである種「メモリアル」的な社であるために御氣などは感じられない。

 いわゆる、屋島合戰の史蹟である。しかし、源義經軍は、この戰で平家方の非戰鬪員である水夫を射殺して機動力を奪い、攻めるというルール違反を犯し、まったく、大將にはふさわしくない人であることがわかる。水夫とは一般市民で、戰には關わっていないのだから・・・ま、そういう彼の報告がなされていたから、後に、朝も救おうとしなかったのかもしれない。

 ところで、 社殿に鄰接するような非常に中途半端な位置に、大場光親という人の墓があったが、誰だかわからない。謎である。もしかしたら、大庭景親の子息なのであろうか?

血の宮 高家神社

2011年11月24日 19時13分11秒 | 四国(徳島、香川、愛媛、高知)
■本殿■
(21st July 2008)
 


★血の宮 高家神社★ 香川県坂出市高屋町揚北

・祭神は天道根神、崇徳天皇、待賢門院。大鞆和氣尊、息長足姫尊、大己貴神、埴山比賣神、少彦名神、倉稲魂神、大山亂命、木華侖屋姫命、伊弉那伎命、伊弉那美命、豊受大神を配祀。

・古代、高家首の一族がこの地に住み、その祖神天道根神を氏神として祀ったことに始まる。

・讃岐に流刑にされた崇徳天皇が薨去されたとき、棺を白峰に運ぶ途中、雷雨に遭いこの神社で、棺を休めたところ、棺から血が流れた落ちたことから血の宮と呼ばれるようになったという。また、これを機に、崇徳院も合わせ祀られる様になったという。


■鳥居■
(21st July 2008)



■中門■
(21st July 2008)
 


■本殿■
(21st July 2008)
 


((コメント))

2008年7月21日

 崇徳院の陵を目指した道中、「血の宮」というのが目に入ったために、急遽立ち寄ると元々は高家首を祀る神社であったが、事情があり、崇徳院およびその母君である待賢門院を祀っているところであった。血の宮というのは、崇徳院の逸話に関する呼び名であるらしい。保元の乱、平治の乱の頃が好きで本を読み漁り、特に、崇徳院には特別な思いがあるので、立ち寄ってよかったと思う。

城山社

2010年10月16日 14時24分24秒 | 四国(徳島、香川、愛媛、高知)
■社殿■
(21st July 2008)

 

★城山社★ 香川県坂出市府中町本村4760

・延喜式内社、讃岐國阿野郡、城山社、名大。

・舊社格は縣社。

・讃岐國造の祖である景行天皇の皇子、櫛別命を城山に祀ったのが起源といい、當初は城山山頂の明ケ鼻に鎭座し、古代祭祀の跡があるという。

・正平十七年(1362)、細川清氏の白峯合戰により燒失し、府中の印鑰へ遷座となり、印鑰大明と呼ばれた。


■社號標、參道■
(21st July 2008)



■拜殿■
(21st July 2008)
 


■本殿■
(21st July 2008)
 


■安政七年の狛犬■
(21st July 2008)
 

 

((コメント))

2008年7月21日

元元、この近くに讃岐國の國府があり、總社も同じ坂出市内にある。城山には、朝鮮式山城が築かれていたそうで、明らかに讃岐國の中心である。それゆえに、この社が一宮であってもおかしくはないと思うのだが、どういう経緯で田村社になったのかは知らない。

 最初、鳥居が見えて、入っていったら民家の中に入ってしまい、啞然とするも、何とか到着した。まあ、粟井社や田村社よりは個人的に好きな感じがした。だが、やはり、轟くほどの氣は持っていなかった。

谷社

2010年10月12日 21時50分02秒 | 四国(徳島、香川、愛媛、高知)
■本殿■
(21st July 2008)



★谷社★ 香川県坂出市神谷町621

・延喜式内社、讃岐國阿野郡、谷社。

・舊社格は社。

・祭は火結命、奥津彦命、奥津姫命。經津主、武甕槌、天兒屋命、姫大の春日四を配祀。

・創祀は、弘仁三年(812)で、空海の叔父にあたる阿刀大足が社殿を造営し、相殿に春日四を勧進したことに始まるという。

・社傳では、それ以前に、谷に自然に出現した僧侶によって祀られていたと傳える。

・社奥に影向石と呼ばれる磐座が存在し、また、周辺から彌生式土器などが発見され古くから人が住み祭祀を行っていたことが推測される。

・建保七年(1219)建立の本殿は國寶となっている。

・昭和二年(1927)大晦日の夜、燈明の火が拜殿に引火し、燒亡したが、住民が燒け落ちる拜殿を本殿の反対側に引き倒したため、本殿は難を逃れた。


■一の鳥居■
(21st July 2008)



■二の鳥居■
(21st July 2008)
 


■拜殿■
(21st July 2008)



■本殿■
(21st July 2008)


 國寶

・本殿の棟木には、建立された年の建保七年(1219)の墨書銘が「正一位谷大明御寶殿、建保七年歳次巳卯二月十日丁未日始之、惣官散位刑部宿禰正長」とある。
 
・三間社流れ造りでは、日本最古。


((コメント)) 

2008年7月21日

 小さな靜かな社であった。香川縣内でも本殿が國寶とはあまり知られておらず、正月の初詣も人ごみはなく靜かに行えるとか。

讃岐國一之宮田村神社

2010年03月06日 18時02分37秒 | 四国(徳島、香川、愛媛、高知)
■桃太郎(倭迹迹日百襲姫命と吉備津彦命)銅像■
(21st July 2008)



★讃岐國一之宮田村神社★ 香川県高松市一宮町286

・延喜式内社、讃岐國香川郡、田村神社、名神大。

・旧社格は國幣中社。

・祭神は倭迹迹日百襲姫命、猿田彦大神、天隠山命(高倉下命)、五十狭芹彦命(吉備津彦命)、天五田根命(天村雲命)をもって田村大神とする。

・別称は一宮神社、定水大明神、田村大明神。

・社伝創建前は井戸の上に神が祀られていたことから、元々は当地の水神であったとする説がある。

・社伝では、はじめ現在の奥殿の下にある定水井という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていたが、和銅二年(709)に行基によって社殿が創建されたとされる。

・当初は義淵僧正によって大宝年間に開基された一宮寺と同一視(建物も同じ)されていたが、1679年に高松藩主であった松平頼重により分割され、一宮寺は別の地に移された。


■一の鳥居■
(21st July 2008)



■参道■
(21st July 2008)



■神門■
(21st July 2008)
 


■二の鳥居■
(21st July 2008)



■拜殿■
(21st July 2008)



■本殿、奥殿■
(21st July 2008)



■境内社姫之宮■
(21st July 2008)



■龍神■
(21st July 2008)




■境内社宇都伎社拝殿、本殿■
(21st July 2008)



・祭神は大地主神、倉稻魂神。


■境内社宇都伎社にある蛇神の宿る木■
(21st July 2008)



((コメント))

2008年7月21日

 正直、この神社には何となく、期待をして訪れたのであるが、あまりこの神社の持つ気というものはわたしの好きなタイプではなく、また、わたしに轟くほどの強さもなく、非常に残念であった。

 ところで、境内には、新しくなってはいたが、管領細川頼之、応仁の乱で有名な細川勝元、水戸光圀の長男で高松藩主であった松平頼重らが寄進したことを示す石標が建っていたのが気になった。