■蜘蛛窟■
(6th December 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/5f/38bc991f8206621ded096e3a767b57e1.jpg)
★土蜘蛛の墓★
蜘蛛窟 奈良県御所市大字高天
土蜘蛛塚 奈良県御所市大字高天 天彦社境内
土蜘蛛塚 奈良県御所市森脇字角田432 葛城一言主社境内
・武天皇傳承の武天皇の侵畧行爲に抗い、殺害されたこの地の先住民で、侵畧者側に土蜘蛛と呼ばれた民族を埋めたとされる。葛城地區に三箇所殘る。
・土蜘蛛や長髓彥は、彌生人と異なり、手足が長い人種であったとされ、古代イズモ族のことであると考えられている。一說には、海を渡ってきたユダヤ系民族とも言われる。
・蜘蛛窟の石碑の裏面には「武天皇聖蹟」とあり、侵畧、慘殺を正當化する由由しきものの一つである。
■蜘蛛窟■
(8th January 2011)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/aa/fcc0e19523e7ec82c6a6c9cd244ce435.jpg)
(6th March 2013)
■土蜘蛛(天彥社境内)■
(6th December 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/77/60eb42d1be0885c62d170d45c7ce36bb.jpg)
(8th January 2011)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/87/f8eb6ba8109d28381df8a80db0e7b1a7.jpg)
■土蜘蛛(葛城一言主社境内)■
(8th January 2011)
((コメント))
2009年12月6日
天彥社の土蜘蛛と、社に對面するように靜かに木木の中に眠る蜘蛛窟へも行った。ここも何度も來ているが、常に武東征という侵畧により命を奪われた人民の無念を思い出しに行かねばいけないのでほうっておけないところである。今囘は、特に、カナダからの帰國の挨拶であった。
2011年1月8日
新年を迎えた挨拶に先住民族の仲である土蜘蛛の祀られる所を訪問した。天彥社周邊に人は多いが、ここには足蹟もなく悲しい限りである。
2013年3月6日
ちょいと先人たちと會話しに行ってきた。カナダへ永住するので挨拶といったほうがよいだろうか。しかし、天彥社は參拜客もちらほらあり、登山者も寄る人が見られることはあるが、この蜘蛛窟に來られる人は相變わらず、少ないようである。天彥社のすぐ近くであるのにいつも悲しき空氣が流れているところである。
(6th December 2009)
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★土蜘蛛の墓★
蜘蛛窟 奈良県御所市大字高天
土蜘蛛塚 奈良県御所市大字高天 天彦社境内
土蜘蛛塚 奈良県御所市森脇字角田432 葛城一言主社境内
・武天皇傳承の武天皇の侵畧行爲に抗い、殺害されたこの地の先住民で、侵畧者側に土蜘蛛と呼ばれた民族を埋めたとされる。葛城地區に三箇所殘る。
・土蜘蛛や長髓彥は、彌生人と異なり、手足が長い人種であったとされ、古代イズモ族のことであると考えられている。一說には、海を渡ってきたユダヤ系民族とも言われる。
・蜘蛛窟の石碑の裏面には「武天皇聖蹟」とあり、侵畧、慘殺を正當化する由由しきものの一つである。
■蜘蛛窟■
(8th January 2011)
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(6th March 2013)
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■土蜘蛛(天彥社境内)■
(6th December 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/77/60eb42d1be0885c62d170d45c7ce36bb.jpg)
(8th January 2011)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/87/f8eb6ba8109d28381df8a80db0e7b1a7.jpg)
■土蜘蛛(葛城一言主社境内)■
(8th January 2011)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/4e/1f1b2d6979159d666aca63394f008e77.jpg)
((コメント))
2009年12月6日
天彥社の土蜘蛛と、社に對面するように靜かに木木の中に眠る蜘蛛窟へも行った。ここも何度も來ているが、常に武東征という侵畧により命を奪われた人民の無念を思い出しに行かねばいけないのでほうっておけないところである。今囘は、特に、カナダからの帰國の挨拶であった。
2011年1月8日
新年を迎えた挨拶に先住民族の仲である土蜘蛛の祀られる所を訪問した。天彥社周邊に人は多いが、ここには足蹟もなく悲しい限りである。
2013年3月6日
ちょいと先人たちと會話しに行ってきた。カナダへ永住するので挨拶といったほうがよいだろうか。しかし、天彥社は參拜客もちらほらあり、登山者も寄る人が見られることはあるが、この蜘蛛窟に來られる人は相變わらず、少ないようである。天彥社のすぐ近くであるのにいつも悲しき空氣が流れているところである。
語り継がれていないのが気になりますね。
まあ、統治の過程で先住民(縄文人とその子孫とされる民族)を、かってみ侵略していって、虐殺したということを表に出すと神武天皇に始まる聖戦が果たして聖戦なのか、ということになるので表に出しにくいのでしょう。五十代桓武天皇時代の大墓公阿弖流爲、磐具公母體たちのことも正しい記録で残していないことも同じ理由でしょう。平和主義者で基本的に戦闘を好まなかった先住者たちを、鬼で残虐非道なものどもにしないと都合が惡いのです。結局、抵抗せずに早くに服属した民族は先に内地に送り込まれ、その血は特殊な地名がつき、ほとんどは今はとされてます。つまり、いくつかある差別の起こりのひとつになってるわけです。こんなこと、記録に残せないでしょ?