の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

玉置社

2012年12月27日 04時56分40秒 | 近畿(奈良)
■末社玉石社■
(9th April 2009)
 


★玉置社★ 奈良県吉野郡十津川村大字玉置川

 世界遺産

・舊社格は社。

・祭は國之常立、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大、日本磐餘彥命。祭は明治時代の『社明細帳』による。實のところ、山岳信仰や玉石信仰を根源とするものと考えられる。

・『玉置山緣起』によると、玉石はこの山の地主、山護で、古來、玉置社の奧の宮とされ、大己貴命を祀るとされる。

・社傳では崇天皇により、王城火防鎭護と悪魔退散のため、崇天皇六十五年(紀元前41)に創建とされる。

・古來より十津川の總鎭守。

・文献の記錄は少ないが、寛政十二年(1800)の玉置山別當牟婁院宛沙汰書には「玉置山は熊野三山の奧の院で格別の由緒があり」と書かれており、熊野本宮大社には玉置社の遙拜所があったと傳えられ、九重村甲ヶ森に玉置山伏拜場があったという。

・『峯中修行記』に、役行者が龍王の脳から出た寶珠を、毒で害することできず、火でも燒滅することのできない功があるとして、この山に安置したとあり、また承和二年(835)三月十五日の弘法大師遺告文(王護國寺藏)にある寶珠を奉納した靈地もこの山であり、その遺蹟が玉石の鎭まる奧の院であるともいう。

・鎌倉時代の寺社緣起『諸山緣起』に「玉木宿」とあるほか、『金峯山本緣起』に擧げられる百二十宿の中に「玉水宿」の名で記され、室町時代には入峯の宿となった。大峯、金峯、熊野を結節する要地として順峯、逆峯のいずれの大峯奧駈行においても重視され、江戸時代の聖護院門蹟の大峯奧駈行においては終點とされた。

・天安二年(858)、天臺宗智證大師(円珍)が玉置山に入山 これ以降佛習合となる。

・佛習合の時代境内には別當寺の牟婁院をはじめ七坊十五ヶ寺があった。

・社家、職と社僧のには長きに渡って確執があったが、元祿四年(1691)から享保十二年(1727)に安井門蹟、享保十二年(1727)からは聖護院門蹟という有力な門蹟の支配下に入ったことで、社僧が優位に立った。聖護院門蹟の下にて、別當寺院の牟婁院が建立され、七坊十五カ寺を從え、繋榮をみたものの、門蹟の威光を借りた社僧が玉置山領の山林だけでなく、近鄰諸村の山林をも領し聖護院領としたため、十津川との關係は疎遠なものとなるに到った。


■一之鳥居■
(9th April 2009)
 


■手水舎■
(9th April 2009)
 


■大杉■
(9th April 2009)
 


■二之鳥居■
(9th April 2009)
 


■燈籠■
(9th April 2009)
 


■拜殿(本殿覆い屋)■
(9th April 2009)

 

 
 

■本殿■
(9th April 2009)
 


■脇本殿左殿(向かって右)■
(9th April 2009)
 


■夫婦杉■
(9th April 2009)


  


■代杉■
(9th April 2009)
 


■末社武社■
(9th April 2009)


・祭は軻遇突智命、早玉男、倉下。


■末社若宮社■
(9th April 2009)


・祭は春日大、八幡大、住吉大。


■末社大日堂社■
(9th April 2009)


・祭は大日如來。


■鐘樓■
(9th April 2009)
 


 國指定重要文化財(梵鐘)

・乃木希典の祖佐佐木綱の寄進。
・應保三年(1163)のもの。


■社務所及び臺所■
(9th April 2009)



 國重要文化財


■攝社三柱社■
(9th April 2009)

  枕状溶岩

・祭は倉稻魂、天御柱、國御柱。


■末社眞名井社■
(9th April 2009)

 
・祭は天之水分、國之水分。


■杉■
(9th April 2009)
 


■末社玉石社■
(9th April 2009)

 

・祭は大己貴命。


■末社三石社■
(9th April 2009)
 

・祭は磐裂、石折根、訶遇突智。


■木■
(9th April 2009)
 


■枕狀溶岩■
(9th April 2009)




((コメント))

2009年4月9日

 久久の玉置社。祖母の出生地が十津川なので、その氏に當たるがなかなか自分とは相性が良くないように感じる。ただ、なぜか、いつもここに來ると晴れているのだけは事實。

十津川村護國社

2012年12月27日 00時53分59秒 | 近畿(奈良)
■本殿■
(9th April 2009)



★十津川村護國社★ 奈良県吉野郡十津川村大字小原字平瀬

・國のために命を捧げた十津川村民の英靈を祀る。

・四所社平瀬大明に鄰接して鎭座。


■鳥居■
(9th April 2009)
 


■本殿■
(9th April 2009)

 


((コメント))

2009年4月9日

 自分の先祖のひとつは十津川士なので、所縁のあるところである。安らかに眠っていただきたし。

四所社

2012年12月27日 00時49分10秒 | 近畿(奈良)
■社殿■
(9th April 2009)



★四所社★ 奈良県吉野郡十津川村小原

・祭は人皇第九十八代長慶天皇。

・左に春日大明、加茂大明、右に住吉大明、地主大明が祀られる。

・當社は平大明といい、中野村(大字阿津)の國王社、二村(大字池穴)の池穴社、東村(大字折立)の足谷社を持って四所社といい、一體分身であるとする。


■社殿■
(9th April 2009)



((コメント))

2009年4月9日

 十津川村役場の對面に見える鳥居が氣になっていたので、行ってみると、長慶天皇關係の社のひとつが鎭座。南朝派の私としては行かねばいけないところゆえ、招かれたと解釈している。あまり人が來ていないのか、さびしい印象がある。

爾自社

2012年12月09日 21時57分45秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■鳥居■
(16th June 2011)



★爾自社★ 長崎県壱岐市郷ノ浦町長峰有安触997

・延喜式内社、壹岐嶋石田郡、爾自社。

・舊社格は村社。

・祭は級長津彥、級長戸邊、息長帶姬命。

・創建年代等不詳。

・舊號は東風大明。


■參道■
(16th June 2011)




■拜殿■
(16th June 2011)



■本殿■
(16th June 2011)


 
■東風石■
(16th June 2011)


 壹岐市指定文化財

・功皇后傳説があり、皇后が三韓出兵の折り、勝本浦に寄航するも追い風が吹かない爲、この石に順風祈願をすると、石は二つに割れ、さわやかな東風が吹き出し、出船できたという。
・江戸幕府によって鎖國政策が取られている時、李氏朝鮮とは國交があったのであるが、將軍の代替りの度に慶賀使節として來朝した朝鮮通信使は勝本浦に寄航し、平戸藩の接待を受けた。この時、海上が時化て勝本浦での逗留が續くと、藩はその都度、壹岐城代に命じ、この東風石に順風祈願を行わせた記錄が殘っている。


■末社■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 地圖を調べて、旅の準備をしていた時は、迷うことになることを覺悟していたのであるが、行ってみれば道標があり、迷うことなく到着することが出來た。功皇后傳承がある社で、聖母宮の域だったという。なるほど、という感じではあるが、實際は、功皇后は實在していなかったろうし、モデルは日本の先住の民を誅殺した渡來民族の女王であろうから、この傳承はおそらく七世紀に朝鮮に何度も出兵していた大和王朝に關するものであろう。この社は海人族のものであり、そこに齋明天皇の軍が中繼地点としてやってきて、祈禱したというところが本當のところではないだろうか。