■末社玉石社■
(9th April 2009)
★玉置社★ 奈良県吉野郡十津川村大字玉置川
世界遺産
・舊社格は社。
・祭は國之常立、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大、日本磐餘彥命。祭は明治時代の『社明細帳』による。實のところ、山岳信仰や玉石信仰を根源とするものと考えられる。
・『玉置山緣起』によると、玉石はこの山の地主、山護で、古來、玉置社の奧の宮とされ、大己貴命を祀るとされる。
・社傳では崇天皇により、王城火防鎭護と悪魔退散のため、崇天皇六十五年(紀元前41)に創建とされる。
・古來より十津川の總鎭守。
・文献の記錄は少ないが、寛政十二年(1800)の玉置山別當牟婁院宛沙汰書には「玉置山は熊野三山の奧の院で格別の由緒があり」と書かれており、熊野本宮大社には玉置社の遙拜所があったと傳えられ、九重村甲ヶ森に玉置山伏拜場があったという。
・『峯中修行記』に、役行者が龍王の脳から出た寶珠を、毒で害することできず、火でも燒滅することのできない功があるとして、この山に安置したとあり、また承和二年(835)三月十五日の弘法大師遺告文(王護國寺藏)にある寶珠を奉納した靈地もこの山であり、その遺蹟が玉石の鎭まる奧の院であるともいう。
・鎌倉時代の寺社緣起『諸山緣起』に「玉木宿」とあるほか、『金峯山本緣起』に擧げられる百二十宿の中に「玉水宿」の名で記され、室町時代には入峯の宿となった。大峯、金峯、熊野を結節する要地として順峯、逆峯のいずれの大峯奧駈行においても重視され、江戸時代の聖護院門蹟の大峯奧駈行においては終點とされた。
・天安二年(858)、天臺宗智證大師(円珍)が玉置山に入山 これ以降佛習合となる。
・佛習合の時代境内には別當寺の牟婁院をはじめ七坊十五ヶ寺があった。
・社家、職と社僧のには長きに渡って確執があったが、元祿四年(1691)から享保十二年(1727)に安井門蹟、享保十二年(1727)からは聖護院門蹟という有力な門蹟の支配下に入ったことで、社僧が優位に立った。聖護院門蹟の下にて、別當寺院の牟婁院が建立され、七坊十五カ寺を從え、繋榮をみたものの、門蹟の威光を借りた社僧が玉置山領の山林だけでなく、近鄰諸村の山林をも領し聖護院領としたため、十津川との關係は疎遠なものとなるに到った。
■一之鳥居■
(9th April 2009)
■手水舎■
(9th April 2009)
■大杉■
(9th April 2009)
■二之鳥居■
(9th April 2009)
■燈籠■
(9th April 2009)
■拜殿(本殿覆い屋)■
(9th April 2009)
■本殿■
(9th April 2009)
■脇本殿左殿(向かって右)■
(9th April 2009)
■夫婦杉■
(9th April 2009)
■代杉■
(9th April 2009)
■末社武社■
(9th April 2009)
・祭は軻遇突智命、早玉男、倉下。
■末社若宮社■
(9th April 2009)
・祭は春日大、八幡大、住吉大。
■末社大日堂社■
(9th April 2009)
・祭は大日如來。
■鐘樓■
(9th April 2009)
國指定重要文化財(梵鐘)
・乃木希典の祖佐佐木綱の寄進。
・應保三年(1163)のもの。
■社務所及び臺所■
(9th April 2009)
國重要文化財
■攝社三柱社■
(9th April 2009)
枕状溶岩
・祭は倉稻魂、天御柱、國御柱。
■末社眞名井社■
(9th April 2009)
・祭は天之水分、國之水分。
■杉■
(9th April 2009)
■末社玉石社■
(9th April 2009)
・祭は大己貴命。
■末社三石社■
(9th April 2009)
・祭は磐裂、石折根、訶遇突智。
■木■
(9th April 2009)
■枕狀溶岩■
(9th April 2009)
((コメント))
2009年4月9日
久久の玉置社。祖母の出生地が十津川なので、その氏に當たるがなかなか自分とは相性が良くないように感じる。ただ、なぜか、いつもここに來ると晴れているのだけは事實。
(9th April 2009)
★玉置社★ 奈良県吉野郡十津川村大字玉置川
世界遺産
・舊社格は社。
・祭は國之常立、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大、日本磐餘彥命。祭は明治時代の『社明細帳』による。實のところ、山岳信仰や玉石信仰を根源とするものと考えられる。
・『玉置山緣起』によると、玉石はこの山の地主、山護で、古來、玉置社の奧の宮とされ、大己貴命を祀るとされる。
・社傳では崇天皇により、王城火防鎭護と悪魔退散のため、崇天皇六十五年(紀元前41)に創建とされる。
・古來より十津川の總鎭守。
・文献の記錄は少ないが、寛政十二年(1800)の玉置山別當牟婁院宛沙汰書には「玉置山は熊野三山の奧の院で格別の由緒があり」と書かれており、熊野本宮大社には玉置社の遙拜所があったと傳えられ、九重村甲ヶ森に玉置山伏拜場があったという。
・『峯中修行記』に、役行者が龍王の脳から出た寶珠を、毒で害することできず、火でも燒滅することのできない功があるとして、この山に安置したとあり、また承和二年(835)三月十五日の弘法大師遺告文(王護國寺藏)にある寶珠を奉納した靈地もこの山であり、その遺蹟が玉石の鎭まる奧の院であるともいう。
・鎌倉時代の寺社緣起『諸山緣起』に「玉木宿」とあるほか、『金峯山本緣起』に擧げられる百二十宿の中に「玉水宿」の名で記され、室町時代には入峯の宿となった。大峯、金峯、熊野を結節する要地として順峯、逆峯のいずれの大峯奧駈行においても重視され、江戸時代の聖護院門蹟の大峯奧駈行においては終點とされた。
・天安二年(858)、天臺宗智證大師(円珍)が玉置山に入山 これ以降佛習合となる。
・佛習合の時代境内には別當寺の牟婁院をはじめ七坊十五ヶ寺があった。
・社家、職と社僧のには長きに渡って確執があったが、元祿四年(1691)から享保十二年(1727)に安井門蹟、享保十二年(1727)からは聖護院門蹟という有力な門蹟の支配下に入ったことで、社僧が優位に立った。聖護院門蹟の下にて、別當寺院の牟婁院が建立され、七坊十五カ寺を從え、繋榮をみたものの、門蹟の威光を借りた社僧が玉置山領の山林だけでなく、近鄰諸村の山林をも領し聖護院領としたため、十津川との關係は疎遠なものとなるに到った。
■一之鳥居■
(9th April 2009)
■手水舎■
(9th April 2009)
■大杉■
(9th April 2009)
■二之鳥居■
(9th April 2009)
■燈籠■
(9th April 2009)
■拜殿(本殿覆い屋)■
(9th April 2009)
■本殿■
(9th April 2009)
■脇本殿左殿(向かって右)■
(9th April 2009)
■夫婦杉■
(9th April 2009)
■代杉■
(9th April 2009)
■末社武社■
(9th April 2009)
・祭は軻遇突智命、早玉男、倉下。
■末社若宮社■
(9th April 2009)
・祭は春日大、八幡大、住吉大。
■末社大日堂社■
(9th April 2009)
・祭は大日如來。
■鐘樓■
(9th April 2009)
國指定重要文化財(梵鐘)
・乃木希典の祖佐佐木綱の寄進。
・應保三年(1163)のもの。
■社務所及び臺所■
(9th April 2009)
國重要文化財
■攝社三柱社■
(9th April 2009)
枕状溶岩
・祭は倉稻魂、天御柱、國御柱。
■末社眞名井社■
(9th April 2009)
・祭は天之水分、國之水分。
■杉■
(9th April 2009)
■末社玉石社■
(9th April 2009)
・祭は大己貴命。
■末社三石社■
(9th April 2009)
・祭は磐裂、石折根、訶遇突智。
■木■
(9th April 2009)
■枕狀溶岩■
(9th April 2009)
((コメント))
2009年4月9日
久久の玉置社。祖母の出生地が十津川なので、その氏に當たるがなかなか自分とは相性が良くないように感じる。ただ、なぜか、いつもここに來ると晴れているのだけは事實。