の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

ポロト稻荷大明 / ポロト稲荷大明神

2013年12月11日 11時36分10秒 | 北海道、東北(青森、秋田、山形)
■本殿■
(17th June 2008)



★ポロト稻荷大明★ 北海道白老郡白老町若草町2-3-4 白老ポロトコタン内

・祭創建由等不明。


■社號標、鳥居■
(17th June 2008)
 


■本殿■
(17th June 2008)
 


((コメント))

2008年6月17日

 アイヌの資料というべきか、白老ポロトコタン内にご鎭座されている世界的に有名な大明樣。感激です。

壯瞥社 / 壮瞥神社

2013年12月11日 11時24分27秒 | 北海道、東北(青森、秋田、山形)
■拜殿■
(17th June 2008)



★壯瞥社★ 北海道有珠郡壮瞥町字滝之町245番地2

・舊社格は村社。

・祭は明治大(明治天皇)。

・明治時代末期より小祠が祀られていたというが、定かではない。

・大正八年(1919)十月五日、壯瞥村獨立二十周年記念祭にあたり村社公設の氣運がまり、村議會で決議のうえ翌九年(1920)八月五日に明治天皇を祭とする社の創立を出願、大正十一年(1922)十二月七日創立許可が下る。

・村として一部願意に添わない點があり、先の出願があくまでも村社創立としてのものである旨を重ねて副申し、同月二十七日に氏子總代が然るべき者を職として推薦し、本殿を改築しなければ村社にできないという條件で再度許可。

・村民の協力により本殿を改築、昭和十年(1935)十月九日村社に列せられた。


■社號標、鳥居■
(17th June 2008)
 


■拜殿■
(17th June 2008)
 


■本殿■
(17th June 2008)
 


■境内■
(17th June 2008)



((コメント))

2008年6月17日

 洞爺湖の次は昭和新山が見える道を通り、壮瞥町を抜け、白老のほうへと走らせた。途中、壯瞥社というところがあり、M子師匠が「まあまあのところと聞いている」ということを言ったので、立ち寄ってみた。

 保育園兒か幼稚園兒かは知らないが、ちょうど遊んでいる最中であったようだ。ま、子供たちを遊ばせるには、こういう靜かなほうが安全でいいのかもしれない。下手すると羆が出て危險な土地だしね。

諏訪社 / 諏訪神社

2013年12月11日 11時12分48秒 | 北海道、東北(青森、秋田、山形)
■參道■
(17th June 2008)
 


★諏訪社★ 北海道二海郡八雲町山越

・舊社格は社。

・祭は建御名方命。

・文化四年(1807)、山(松前)の人が、漁業の繋榮と住民の氏として、會所から一丁(約一〇九メートル)ほど山手に諏訪明社を創建。


■社號標、鳥居■
(17th June 2008)
 


■拜殿■
(17th June 2008)

 


((コメント))

2008年6月17日

 山越内關所蹟のに社諏訪社の碑と鳥居があったので行ってみた。參道をよく見るとJRの線路で分斷されているようだった。わかることは、社の裏山には確實に羆が住んでいるであろう、ということ。行くかどうか悩みましたがな。とりあえず、步道橋に登って、線路を見てみた。多分、大昔は、羆は濱邊にも貝とか採りに行ってたはずだ。だから、羆が出てきてもおかしくはない。いや、人のおかげで、彼らは窮屈な生活を强いられているものだと、人の所業について恥ずかしくさえ思うもんだ。ま、人は何を言おうと、自分を正當化させる自己辨護しかしないのだが。

 ところで、羆對策はまったくしていなかったので、步道橋を下りたところで、輕く、社殿の寫眞を撮ってやめておいた。


北海道宮 / 北海道神宮

2013年10月21日 01時30分47秒 | 北海道、東北(青森、秋田、山形)
■二の鳥居■
(18th June 2008)



★石狩國一之宮北海道宮★ 北海道札幌市中央区宮ヶ丘474

・舊社格は官幣大社。

・祭は大國魂、大那牟遲、少彥名。明治天皇を配祀。

・石狩國一之宮。

・明治二年(1869)に明治天皇の詔により、北海道開拓の守護として、大國魂、大那牟遲、少彥名の開拓三を祀る北海道鎭座祭が東京で行われ、その後、當時の開拓使長官の東久世通禧や開拓判官島義勇らにより開拓三が札幌の地に移されたことにはじまる。

・全国一の宮会においては、蝦夷國新一の宮とされている。

・北海道開拓當時、樺太、千島に進出を進めていたロシアに對する守りということで、正門が北東を向く。

・明治三年(1870)、仮社殿が建てられた。

・明治四年(1871)、現在地に社殿を建て、社名を札幌社と定めるとともに國幣小社に列し、そのさらに翌明治五年(1872)には官幣小社となった。

・昭和三十九年(1964)、明治天皇を合祀、社名を現在の北海道宮へと改めた。


■參道■
(18th June 2008)
 


■手水舎■
(18th June 2008)

 

■門■
(18th June 2008)

 

■拜殿■
(18th June 2008)
 


■開拓判官島義勇像■
(18th June 2008)
 

・元佐賀藩士。
・明治新政府において藩主鍋島直正が蝦夷開拓督務になると、蝦夷地に通じているということで蝦夷開拓御用掛に任命され、さらに開拓使主席判官に就任し、北海道の發展に身を尽くした。
・安政時代に、蝦夷地と樺太を探檢調査し、『入北記』という記錄を殘す。


■末社穗多木社■
(18th June 2008)

 
・北海道拓殖銀行物故者の御靈を祀る。


■末社札幌鑛靈社■
(18th June 2008)


・北海道鑛業会殉職者の御靈を祀る。


■末社開拓社■
(18th June 2008)

 
 

・開拓功勞者三十七柱を祀る。吾妻謙命、伊能忠敬命、井上長秋命、岩村通俊命、岡本監輔命、田命、小林重吉命、近藤重藏命、佐藤信景命、佐野孫右衞門命、島義勇命、水谷公考命、下國安藝命、鈴鹿甚右衞門命、栖原角兵衞命、田屋嘉兵衞命、武田信廣命、田崎東命、伊達邦直命、伊達邦成命、田村顯允命、續豐治命、中川五治命、永山武四命、鍋島直正命、早川彌五左衞門命、東久世通禧命、本多利明命、松浦武四命、松川辨之助命、松田傳十命、松前慶廣命、松前廣命、宮林藏命、村山傳兵衞命、最上内命、依田勉三命。


((コメント))

2008年6月18日

 ありがちな宮という形の建築である。新しいというか、輕い雰圍氣がする。もちろん、橿原宮、明治宮でも輕いと感じる人なので、仕方はないか。吉野宮は重い感じがするのだけど。平安宮はうねってましたっけ・・・

岩見澤社 / 岩見沢神社

2013年10月21日 01時20分19秒 | 北海道、東北(青森、秋田、山形)
■社號標■
(18th June 2008)



★石狩國一之宮岩見澤社★ 北海道岩見沢市12条西1丁目3番地

・舊社格は縣社。

・祭は天照大、大己貴。

・石狩國一之宮。

・元元の令制國ではないために本州、四國、九州とは少し異なるが、石狩國一之宮の一つとされ、また、空知郡であることから、空知一宮とも稱される。

・明治十七年(1884)、山口、鳥取ほか十二縣下の士族二百七十七戸が當地に移住し、翌明治十八年(1885)八月、村民が集まって祭を行ったのが當社の始まりという。

・明治十九年(1886)には小祠が建てられた。

・明治二十九年(1896)の大火で社殿を燒失、翌明治三十年(1897)、現在地に社地の寄進を受けて二代目の社殿を造營し、遷座となる。

・石長平氏および和平氏より大きく社地寄進を受けた。


■鳥居■
(18th June 2008)



■參道■
(18th June 2008)



■拜殿■
(18th June 2008)



■拜殿、本殿■
(18th June 2008)



((コメント))

2008年6月18日

 思いっきり街の中にあり、社の風情はなく、東京の社などに近い雰圍氣もある。葛城に鎭座する古えの社などとは大きな違いであるが、歴史や文化が異なるので仕方がない。

 もしこれが、元元より日本であった本州、九州、四國のものであれば、かなりいけてない社殿であるが、北海道という土壤、あたらしい歷史、イメージ、色色なことを考えると、そこの土壤に合う社殿と思われ、そういう意味では、合格點かな、と。