の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

八幡宮

2015年10月20日 07時09分18秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■拜殿、本殿■
(17th June 2011)
 


★八幡宮★ 福岡県八女市立花町下辺春

・祭は八幡大。

・創建由等不詳。


■橋■
(17th June 2011)
 


■鳥居■
(17th June 2011)




■隨門■
(17th June 2011)
 
 


■參道石段■
(17th June 2011)
 


■拜殿■
(17th June 2011)

 


■本殿■
(17th June 2011)
 


■狛犬■
(17th June 2011)




((コメント))
2011年6月17日

 國道三號線沿いにある「道の駅たちばな」の向かいに立つ低い山に鎭座。三年前の秋の九州旅行の時、道の驛で夜を明かしたので存在は知っており、氣にはなっていたが急ぎの旅であったために斷念したのだが、今囘は時的に餘裕があったので、腰痛が强く足も痺れてはいたが、ゆっくりと步いていってみることにした。

 隨門もあり、由等不明ではあるがしっかりとした社であったことは想像に難くない。拜殿や本殿は老朽化して非常に危ない狀態であることが危惧される。氏子は存在しているようであるが、基本的に參拜もされず、社殿周邊を見てもわかるとおり、草も伸び放題で來られているのは宮司さんを除くとわずかの人だけであることが想像される。本來、この社を祀るはずの人たちは放置しているであろう事が傳わるようなところである。悲しきことである。

櫛田社濱宮 / 櫛田神社浜宮

2014年08月11日 21時51分32秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■社殿■
(15th June 2011)



★櫛田社濱宮★ 福岡県福岡市博多区築港本町

・博多埠頭先端部に鎭座。

・山笠行事「棒洗い事」はここで執り行われる。


■社殿■
(15th June 2011)



((コメント))

2011年6月15日

 フェリー待ちのに櫛田社の濱宮の寫眞も撮影。五年前と變わりがまったくなく、人もまばらであった。

立石社 / 立石神社

2014年08月11日 01時13分34秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■鳥居、石祠■
(16th June 2011)



★立石社★ 長崎県壱岐市芦辺町箱崎大左右触

・祭創建由緒等不詳。


■磐座■
(16th June 2011)



((コメント))
2011年6月16日

 佐肆布社から男嶽方向に少し行ったところにある。社殿もなく、おそらく、以前は、山の小道の脇にあった磐を祀っていたものではないか、と思われる。

白沙八幡社 / 白沙八幡神社

2014年07月27日 04時27分19秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■一之鳥居■
(16th June 2011)



★白沙八幡社★ 長崎県壱岐市石田町筒城仲触1012

・延喜式内社、壹岐嶋石田郡、海社、大、論社。

・舊社格は社。

・祭は應天皇、仲哀天皇、中姬之命、功皇后、仁天皇、玉依姬命、武内宿禰大臣。

・創建年代不詳。

・社記によると、延曆六年(787)、殿が辰(東南東)の方向に向き建立されたと記載されている。

・八幡勸請以前は菅城社と呼ばれていた。

・八幡の勸請は宇佐八幡宮(現宇佐宮)。『壹岐社誌』によると、石水八幡宮からの勸請と言うが、石水八幡宮は貞觀二年(860)の創建であることから、誤記と思われる。

・壹岐國大七社の一社として、例祭時には國主參拜の社として、特別扱いをされていた。

・拜殿内には韓櫃石と呼ばれる巨石あり、取り除こうとすると赤い血水が流れると言う傳承がある。


■二之鳥居■
(16th June 2011)
 



■參道■
(16th June 2011)

 
 

■手水舍■
(16th June 2011)
 


■拜殿■
(16th June 2011)

 


■幣殿、本殿■
(16th June 2011)

 


■三猿■
(16th June 2011)
 


■末社小祠■
(16th June 2011)
 
 


■轉石■
(16th June 2011)

 


■社叢■
(16th June 2011)


 長崎縣天然記念物


((コメント))

2011年6月16日

 壹岐の空港の近くの筒城の近くに鎭座。社殿の背後にある低い山の森は古來よりの禁足地であるということで、確かに、古えの氣を感じるところではある。延寶の式内社の決め方がかなり强引であったために、特に壹岐では問題を生じていると言うことであるが、新しくは、當社が式内大社海社という說が有力になっているとのことである。ところで、社殿が東南東に向いて建っているということなのだが、とある人は、宇佐宮のほうを向いていると言うが、方角的には宇佐からは外れている。實際、大體、東南東の方角であれば、その背後には、今の海社が鎭座する地域を向いていると考えることができる。個人的には、むしろ、海社の里宮のように感じてならない。

軍越社 / 軍越神社

2014年07月23日 14時35分25秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■鳥居■
(16th June 2011)



★軍越社★ 長崎県壱岐市郷ノ浦町志原西触

・祭不明。

・住吉社境外攝社。

・功皇后が新羅出兵の時 三韓鎭護の爲に定めた軍越事が年に三囘行われるという。

・永祿年(1558-70)、古軍越丘より現社地に遷座。


■參道■
(16th June 2011)
 


■拜殿■
(16th June 2011)



■本殿■
(16th June 2011)
 


■牛■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 日本最古とも言われる住吉社の攝社である軍越社。實際、この近くの御津濱なるところが最初の鎭座地であるという。當社に關しては、功皇后が始めたとされる事が行われている社であり、重要な社であることは否定できない。祭はわからないが、牛があるところを見ると、天滿宮も合祀されているのであろうか。鳥居の扁額には、兩社大明とあるが、意味するところはなんであろうか。