■社殿■
(30th December 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/21/4aa02be945e66958287b139ab7c024af.jpg)
★魂社★ 島根県松江市大庭町563
・舊社格は縣社。
・祭は伊弉册大。伊弉諾大を配祀。文年頃の新嘗会祝詞には、熊野大、大己貴命などの名が見え、一定していない。
・意宇六社の一社。
・出雲國造の大祖天穗日命がこの地に天降り出雲の守護として創建、以來、天穗日命の子孫が出雲國造として二十五代まで奉仕し、大社移住後も「火相續式」「古傳新嘗祭」奉仕のため參向しているという。
・『延喜式名帳』や國史、『出雲國風土記』には當社は記載されておらず、文献における初見は承元二年(1208)の鎌倉將軍下文であり、實際の創建は平安時代中期以降と考えられ、その社傳の信憑性は低い。
■鳥居■
(30th December 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/40/153130a936f37dbd69b3e7ac390a3119.jpg)
■社殿(拜殿、本殿)■
(30th December 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/e2/74f66055dfb7212c051846c1411cc79a.jpg)
國寶(本殿)
・本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造。
・大きさは三四方さ四丈あり出雲大社本殿とは規模を異にするが、牀がく、木太く、特に宇豆柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造とされる。
・本殿内は狩野山樂土佐光起の筆と傳えられる壁畫九面にて圍まれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られている。
■末社貴布禰稻荷兩社本殿■
(30th December 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d2/a57fdc5e02797937001a7aba8b344f08.jpg)
國重要文化財
・天正十一年(1583)の建立。
・社殿は珍しい二社流造である。
((コメント))
2007年12月30日
十二月三十日であり雪も降り、太陽は覗かない。時は十五時十五分から十五分程度の滯在。暗く、うねる樣な氣の流れを肌で感じる。あまり好きではない雰圍氣だ。あまり名前も好きではない。しかし、とりあえず文化遺產ということで突入。
ちなみにこの魂社は、巫女も最低でに仕えているということを言う資格はないようなやつらであった。
「お正月の用意をしていてお守りなどは置き換えたので出せません」
參詣者に言う言葉ではない。失禮極まりなく、また自分たちの仕事がえるのが嫌で面倒くさいといった感じなのでカスといっても良いだろう。宮司はどう思うだろうか? だいたい、遠隔地から來ている參詣者になんと失禮なことであり、奢っていることであろうか?
(30th December 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/21/4aa02be945e66958287b139ab7c024af.jpg)
★魂社★ 島根県松江市大庭町563
・舊社格は縣社。
・祭は伊弉册大。伊弉諾大を配祀。文年頃の新嘗会祝詞には、熊野大、大己貴命などの名が見え、一定していない。
・意宇六社の一社。
・出雲國造の大祖天穗日命がこの地に天降り出雲の守護として創建、以來、天穗日命の子孫が出雲國造として二十五代まで奉仕し、大社移住後も「火相續式」「古傳新嘗祭」奉仕のため參向しているという。
・『延喜式名帳』や國史、『出雲國風土記』には當社は記載されておらず、文献における初見は承元二年(1208)の鎌倉將軍下文であり、實際の創建は平安時代中期以降と考えられ、その社傳の信憑性は低い。
■鳥居■
(30th December 2007)
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■社殿(拜殿、本殿)■
(30th December 2007)
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國寶(本殿)
・本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造。
・大きさは三四方さ四丈あり出雲大社本殿とは規模を異にするが、牀がく、木太く、特に宇豆柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造とされる。
・本殿内は狩野山樂土佐光起の筆と傳えられる壁畫九面にて圍まれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られている。
■末社貴布禰稻荷兩社本殿■
(30th December 2007)
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國重要文化財
・天正十一年(1583)の建立。
・社殿は珍しい二社流造である。
((コメント))
2007年12月30日
十二月三十日であり雪も降り、太陽は覗かない。時は十五時十五分から十五分程度の滯在。暗く、うねる樣な氣の流れを肌で感じる。あまり好きではない雰圍氣だ。あまり名前も好きではない。しかし、とりあえず文化遺產ということで突入。
ちなみにこの魂社は、巫女も最低でに仕えているということを言う資格はないようなやつらであった。
「お正月の用意をしていてお守りなどは置き換えたので出せません」
參詣者に言う言葉ではない。失禮極まりなく、また自分たちの仕事がえるのが嫌で面倒くさいといった感じなのでカスといっても良いだろう。宮司はどう思うだろうか? だいたい、遠隔地から來ている參詣者になんと失禮なことであり、奢っていることであろうか?
社務所は巫女さんが一人で応対しているようで、内職をしておられるようで忙しそうでした。御朱印を頂いた際にはつっけんどんで、いい印象がありません。
なんか、腹が立ちますでしょう???
まあ、その程度なのだ、と思うようにしておりますけどね。
いずれにせよ、出雲に行っても、もう行くことはないので、たいした問題ではありませんが。
初詣で行って不快な気分になるって初めての体験。
これ以上コメントが集まると、ネガティブにブレイクしそう。
早く気づいて欲しいものです。神様!
大体、どう扱おうが本人の勝手ですしね
言葉も足らない
境内の左手の山に「屈めば人が入れそうな穴」が開いているのですが、そのことを尋ねた際にムスッと一言「なんでもないです」といかにも人を突き放すような口調で言い放たれたことがあります。
島根に神社が好きで方々参拝させていただいてますが、こんなに不快な思いをしたことは他ではありません。
穴、そういえばありましたね。覚えています。
この魂社は、島根といわず全国的に稀な参拝客に非常に失礼な神社でございますからね。
ここまでひどいところは他には知りませんが、多少ひどいところは、後、愛知と奈良に一社ずつ知っております。でも、そちらは可愛いものですが・・・
そのうちに、この魂さんは失礼な巫女さんブームでにぎわうことになるかも。