■體山■
(13th June 2008)
★安房國一之宮洲崎神社★ 千葉県館山市洲崎1697
・延喜式内社、安房國安房郡、后天比理刀命社、大、元名洲、論社。
・舊社格は縣社。
・祭は天比理刀命で、安房社祭天太玉命の后。
・江戶時代に、安房國一之宮となったとされ、全國一の宮會に參加するものの、實際に江戶時代に一之宮とされたことを示す文書はなく、單に自稱であると考えられる。
・根拠は、文化九年(1812)、筆頭老中松平定信が「安房一宮洲崎大明」の扁額を奉納しているが、安房「國」ではなく實際に一之宮と呼ばれるべきか、という面では疑問である。
・寶曆三年(1753)に書かれた當社の社傳『洲崎大明由舊記』では、武天皇の御代、安房國の開拓者である天富命が、祖母の天比理乃命の持っていた鏡を體として、美多良洲山に祀ったのが當社の始まり、という。
・治承四年(1180)九月五日、石橋山の合戰に敗れ、海路安房國に上陸した源朝は當社に參拜し、上總介及び千葉介へ送った使者の無事と交渉の成功を祈願して、田を寄進している。
・江戶時代までは別當寺の養老寺が當社を支配した。
・東京品川區の品川社は、源朝が海上安全のために當社から勸請したもの。
・社近くの波左海中公園内の海中に、水難事故、水難事件防止を祈願する爲に作られた當社の分社、日本唯一の「水中社」がある。
■隨身門■
(13th June 2008)
■參道の石段■
(13th June 2008)
■拜殿■
(13th June 2008)
■本殿■
(13th June 2008)
館山市指定文化財
・三社流れ造で、三方に木口緣をめぐらし、銅板葺、千木勝男木を置き、唐樣三手先組で外部は丹塗仕上げ、木鼻欄等に彫刻が施されている。
・裝飾が多く、江戸中期の社建築の特徴が强い。
・昭和六十一年(1986)に臺風で土砂が流出し、倒壊、修復された。
■境内末社■
(13th June 2008)
((コメント))
2008年6月13日
一應、安房國一之宮を稱しており、江戶時代より一之宮となったといわれるが、實は、どの書物にもそのことは書かれておらず、實際には、安房國一之宮の格式を持つのは安房社が正當であろう。ただ、現實問題、洲崎信仰というのが特異な廣がりを見せたのは事實であり、有力な社であったことは否定できない。
2014年6月24日
カナダで知り合った人に天然石のブレスレット、石は私が使っていたもの、をあげたのだが、その前に、氣の遠隔操作というのであろうか、腕輪に氣を入れたらば、洲崎明に祭られるものが入ったようであった。三體現れたが、最終的には女性の木造觀音像のようなものが腕輪に封じられることになった。なるほど、と思うのである。