の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

阿禮社奧社 / 阿礼神社奥社

2014年08月17日 03時17分26秒 | 中部(新潟、長野、山梨)
■鳥居■
(16th March 2012)



★阿禮社奧社★ 長野県塩尻市大字塩尻町字明神平

・延喜式内社、信濃國筑摩郡、阿禮社。

・舊社格は縣社。

・祭は素盞嗚命。

・『延喜式』の古寫本に「アレイ」「アレ」の二訓あるが、『信府統記』は「素盞嗚尊、出雲國簸ノ川上ノ大蛇ヲ斬リ平ヶ給ヒ、ソレヨリ信濃國鹽川上荒彥山ノ惡鬼ヲモ寶劔ヲ以テ擊チ鎭メ給ヒシ故ニ、劔ノニ依テ荒井大平ナリト云フ意ヲ、中比ニ和訓シテ所ノ名トシ、阿禮平ト稱ス、此尊則此嶺ニ化現マシマシシトナリ」と記している。

・かつて、奧社は五百砥山(醫王堂山)にあったがのちに現社地の柿澤の明平に遷されたという。五百砥登山が困難であるため、明平と舊蹟地五百砥山の中の原である御湯ヶ原にて遙拜式行ったといい、現在もこの原の一端に碑を立てて保存し、毎年五月一日、五百砥山祭のとき、碑前にて修祓の式を行うのを例とすると云う。

・仁壽元年(851)、この地に流行した疫病が明の効驗によって鎭まったとの傳えもあるが、年代等の眞僞は不明であるが、この明は素盞嗚と考えられる。

・古來、武運長久のと知られ、崇敬を受けている。大同二年(807)、坂上田村磨が敕命を奉じ、安曇郡有明山の兇賊を討つ時、戰勝祈願をし、また、治承四年(1180)、木曾次源義仲は當社にて必勝祈願後、鹽尻の豪族や諏訪一族に擧兵を要請したという。また、義仲は木曾柏原の城中に分靈社を建て奉齋。義仲沒落のとき、遺臣今井、梨の一族の者たちは社を上野國に奉遷したといい、今の羣馬縣澁川市鎭座の舊縣社木曾三社社に祀られる。


■社號標■
(16th March 2012)
 


■鳥居■
(16th March 2012)
 


■拜殿■
(16th March 2012)
 


■本殿■
(16th March 2012)
 


■木木■
(16th March 2012)
 


((コメント))

2012年3月16日

 國道二十號線と長野道が交差する近くの道沿いに鎭座。社前に車を停めれる廣い空があるのであるが、現在、封鎖されており、どうも、ここで何らかの問題があったことを示唆するような掲示が見られており、殘念である。

 現在の社地は道に面していることで簡單に行けるためにありがたみもなく、また、社地も狹いために、寂しい限りではあるが、實際、山を步いて登った時代を想像するとなかなか惡くなかったのであろうな、という思いを抱かずにおれなかった。

物部社 / 物部神社

2014年08月17日 00時05分53秒 | 中部(新潟、長野、山梨)
■社號標■
(15th March 2012)
 


★物部社★ 山梨県笛吹市石和町松本615

・延喜式内社、甲斐國山梨郡、物部社、論社。

・舊社格は村社。

・祭は饒速日命、宇麻志麻治命、可美眞手命、彥湯支命、味饒日命、大椋麻杵命、大新川命、大木食命、伊香色雄命、十千根命。

・物部十社明といい、物部氏先祖である饒速日命その子可美眞手命より計十を祀る。

・創建年代不詳。

・往古は御室山に鎭座したが後世現社地に遷座。御室山に舊蹟があるという。

・松本山大藏經寺が宮寺であった。

・八代郡淺社が甲斐國一之宮とされる前は、當社が一之宮的な立場であったという。


■參道■
(15th March 2012)
 


■鳥居■
(15th March 2012)
 


■拜殿■
(15th March 2012)
 


■本殿■
(15th March 2012)
 


■末社■
(15th March 2012)




■石羣■
(15th March 2012)

 


((コメント))

2012年3月15日

 延喜式内社物部社の論社のひとつ。他の論社は訪問しておらず、比較はできないが大石社なるところには凄まじいほどの巨石羣があるというが、こちらはあまり大きい石ではないが周圍に石が見られ、古代より祭祀されていたのではないか、と思うところであった。元は山頂であったが、その後、遷座というので磐境が形成されていたのではないか、と思わざるを得ない。現在は、大藏經寺の墓地の一角にあるために雰圍氣は本來のものと異なると思われるが、往古の姿を想像するときに、それなりの格を持っていたように感じられる。

冨士御室淺間社

2010年11月28日 13時55分34秒 | 中部(新潟、長野、山梨)
■里宮拜殿■
(9th June 2008)



★冨士御室淺間社★ 山梨県南都留郡富士河口湖町

・舊社格は縣社。

・祭は木花咲耶姫命。

・通穪小室淺間明。

・文武天皇三年(699)に藤原義忠によって創建されたと伝えられ、富士山周辺では最古の社といわれる。

・「御室」という名は、かつて祭祀を石柱をめぐらせた中で執り行っていたことに由來するという。

・元元、富士山二合目にあったが、天徳二年(958)に、村上天皇によって氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建されたという。

・中世の修験道や近世の富士講と結びつき榮えたという。

・戰國時代は、武田信虎や晴信(信玄)により保護されたという。

・武田信玄による北條氏政に嫁いだ長女黄梅院の安産を祈願して奉納した願文が知られている。

・四月二十九日には流鏑馬事が行われるが、これは天慶三年(940)の藤原秀が平將門の乱を鎭定した帰りの戦勝を祝いの御禮祭で流鏑馬を奉納したことから始まるといい、現在は武田流流鏑馬事として行われている。

・昭和四十九年に富士二合目から本宮が里宮に移転となった。


■里宮拜殿■
(9th June 2008)
 


■里宮幣殿、本殿■
(9th June 2008)



■本宮門■
(9th June 2008)



■本宮本殿■
(9th June 2008)


 國重要文化財

・一間社入母屋造、向拜唐破風で、透かし掘りの彫刻が特長。
・慶長十七年(1612)に川家の家臣の鳥居成次によって建立。
・富士二合目に以前は本宮があったが、昭和四十九年(1974)に本宮も里宮鎭座地に移転となる。


((コメント))

2008年6月9日

 存在は知っていたが、基本的に淺間社系にさほど思い入れが無かったので行く予定ではなかったが、結局導かれたようである。雨が強くなってきたのであるが、ふと上を見ると、黒い龍が二匹と白い龍が一匹おられた。わしは待ち人であったのかね?

甲斐奈社

2010年11月05日 02時36分04秒 | 中部(新潟、長野、山梨)
■隨門■
(9th June 2008)



★甲斐奈社★ 山梨県笛吹市一宮町橋立字北畑84

・延喜式内社、甲斐國甲斐郡、甲斐奈社、論社。

・舊社格は村社。

・甲斐國總社。

・祭は國常立命、皇靈尊、伊弉諾尊、伊弉册尊。その上に甲斐國總社のため、甲斐國式内式外大小の祇を勧請している。

・祖明、林部宮、橋立明などと呼ばれた。

・恒例事や大事の際には奉幣使や宣命使が派遣され、當社から國中の諸社に對して幣帛がわかたれたという。

・江戸前期までは祭禮の日に笛吹川東の主がすべて當社に參集し、樂を奏し、五穀豐穰の祈禱をしたと傳わる。


■拜殿■
(9th June 2008)



■本殿■
(9th June 2008)
 


■舞台■
(9th June 2008)



■末社眞貞社■
(9th June 2008)
 


■末社明社■
(9th June 2008)
 


((コメント))

2008年6月9日

 無事、山梨の一ノ宮町に着くも淺間社が発見できず、コンビニに車を停めて地図を再見しようとしたときに、甲斐國一之宮の文字が見えるも社の社名が違い「甲斐奈」となっていた。が、わからないのでとりあえず攻めてみたら甲斐國總社の甲斐奈社であった。

 ところで、目的地である淺間神社は近いはずであるのに、場所がわからず、實はあせっていたら犬の散歩のじいさんが境内にやってきたんで訊ねた。「すいません、淺間社はどの辺りにあるんでしょうか?」と。彼は氣安く教えてくださった。「そこの道をもう少し行けば、大きな鳥居が見えるから」と。

 おかげで、無事に淺間社にもいけた。感謝です。

甲斐國一之宮淺間社

2010年05月01日 23時00分53秒 | 中部(新潟、長野、山梨)
■鳥居、社號標■
(9th June 2008)
 


★甲斐國一之宮淺間社★ 山梨県笛吹市一宮町一宮1684

・延喜式内社、甲斐國八代郡、淺間社、名大、論社。

・舊社格は國幣中社。

・祭は木花開耶姫命。

・社傳曰く、垂仁天皇八年(紀元前22)正月に山である富士山山麓で祭があり、貞觀七年(865)十二月九日に現在地に遷座した。と。

・舊社地には当社の攝社山宮社が鎭座。

・延喜式名帳で名大社に列格している「甲斐國八代郡淺間社」であるというが、鎭座地が舊山梨郡であり、他に一宮を称する社があることから異論がある。

・『日本三代実録』より、貞觀六年(864)の富士山の大噴火を受け甲斐國でも浅間を祀ることになり、貞觀七年(865)十二月九日に甲斐國八代郡に淺間社を建て官社としたとあり、また、その後、山梨郡にも同様に浅間社を建てたと記されていることから、当社は後に山梨郡に建てられた淺間社の後裔であるとする説が有力。ただし、創建時は当地が八代郡内であった可能性もありなんともいえない。


■隨門■
(9th June 2008)



■拜殿■
(9th June 2008)


 笛吹市指定文化財

・入母屋唐破風向拜造銅板葺。
・寛文十二年(1672)の建築。


■舞殿■
(9th June 2008)



■末社明社■
(9th June 2008)



((コメント))

2008年6月9日

 市町村合併などで地名が揺れているが、この地は一宮町と名乗っていたので、この淺間社が一般に一之宮と考えられていた。ところが、実は他に二つの論社がある。ちょっと、駿河の富士山本宮淺間大社とは気の種類が異なりようで、少し堅いイメージのあるところであった。