の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

熊内八幡社 / 熊内八幡神社

2015年07月14日 07時07分15秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■拜殿■
(18th March 2009)
 


★熊内八幡社★ 兵庫県神戸市中央区熊内町9-2-18

・祭は八幡大。

・文武天皇御代、山伏として知られる修驗道の祖、役行者が布引の瀧で修行し、この地に瀧勝寺を建立した時、彥火火出見命を鎭守として祀ったのが、當社の緣起とされている。

・天正年(1573~)、荒木村重が、織田信長により滅ぼされた時、瀧勝寺と共に燒失したが、永(1624)の初め、熊内村の大庄屋であった中西家が、自家の祖先が源氏であったため、源氏の守護である八幡宮として再興し、現在に至っている。


■鳥居、社號標■
(18th March 2009)
 


■二之鳥居■
(18th March 2009)
 


■拜殿■
(18th March 2009)
 


■本殿玉垣■
(18th March 2009)
 


■末社本殿■
(18th March 2009)



((コメント))

2009年3月18日

 三ノ宮驛から、布引瀧を探して歩いているときに偶然見つけたので立ち寄った。境内は保育園のようで賑やかなところであった。そういう考えは惡くない。殘念ながら、圍いが多く、本殿は姿が見えたものの撮影できずに殘念である。

素盞鳴尊社 / 素盞鳴尊神社

2015年06月05日 07時41分04秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■鳥居■
(18th February 2009)
 


★素盞鳴尊社★ 大阪府大阪市東住吉区鷹合4-5-22

・舊社格は村社。
・祭は素盞鳴尊。
・古えの地名にちなんで鷹合社と稱す。
・牛頭天王社とも稱した。
・鷹合村の東方、小字所に鎭座していたのを後年(年次不詳)に現在のところに遷座。

・天正年に武田信玄の家臣、沼田重光という人が老僧となってからこの地に來たり住み、村民の信を受け、當社の社務一切を委任されたが數年後、大坂に移り住んだ際、當社の舊記全部を持ち去ったため、由は不明。

・住吉社の舊官である蓮寺という家の記錄に、「延元年(1489)八月云々、一昨日十三日鷹合の祭り也云々」と記錄されているので、當社の創祀はその以前と思われる。


■拜殿■
(18th February 2009)



■本殿■
(18th February 2009)



■攝社鷹合稻荷社■
(18th February 2009)



■攝社白姬社■
(18th February 2009)



■伊勢宮遙拜所■
(18th February 2009)
 


((コメント))

2009年2月18日

 この社のあるところは攝津と河内の境界付近であったりする。驚いたことに、甲斐武田信玄所緣の人物が大坂にまでやってきて、この社に關わりを持っていたということである。ただ、惡いことに、この人物が記錄一切を持ち去ってしまったというのでいただけない。かの者の子孫はおられないのだろうか。

堤根社旅所 / 堤根神社旅所

2014年10月03日 06時52分45秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■鳥居■
(15th February 2011)



★堤根社旅所★ 大阪府門真市北島町

・堤根社祭禮時の旅所。


■社殿■
(15th February 2011)
 


■石■
(15th February 2011)
 


((コメント))

2011年2月15日

 北島の古川沿いに小さな社殿を見たので立ち寄る。まだ新しい社殿である。大和田驛近くの延喜式内社堤根社の旅所。

松帆社 / 松帆神社

2014年09月22日 07時06分36秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■本殿■
(23rd November 2012)
 


★松帆社★ 兵庫県淡路市久留麻256

・祭は八幡大。

・建武中興の忠臣である楠木正成が湊川の戰で自刃の砌、家臣吉川彌六に日頃守護と崇めていた八幡大を託し、彌六は仲と共に淡路に逃れ來、小祠を建てたのを創祀とする。また、この地を楠木村と稱した(現在は楠本)。

・應永六年(1399)八月、現在地に遷座、八幡宮として創建される。以來、浦、仮屋、小田の氏となる。

・社寶は楠公遺愛の太刀と傳えられる「菊一文字」。後鳥上皇が院政の砌、全國の名刀工を召し出され、共に親しく鍛刀遊ばされた際の筆頭御番鍛冶、備前岡一文字則宗の作で「菊御作」の鑑定があり、その刀姿、刃紋の美しさもさることながら、その拵え(柄、鞘、鍔)も實に貴重なものであるとし、國重要美術品に指定されている。


■社號標■
(23rd November 2012)
 


■鳥居■
(23rd November 2012)



■參道■
(23rd November 2012)
 


■隨門■
(23rd November 2012)

 


■參道■
(23rd November 2012)
 


■狛龜■
(23rd November 2012)
 
 


■拜殿■
(23rd November 2012)
 


■本殿■
(23rd November 2012)
 


■木■
(23rd November 2012)
 


■末社宇治皇子社■
(23rd November 2012)
 


■末社良社■
(23rd November 2012)
 


■末社松尾社■
(23rd November 2012)
 


■末社仁天皇社■
(23rd November 2012)
 


■末社天滿宮社■
(23rd November 2012)
 


■末社三社合殿(向かって左より、疱瘡社、金比羅社、祖靈社)■
(23rd November 2012)
 


■末社猿田彥社■
(23rd November 2012)
 


((コメント))

2012年11月23日

 石屋社から伊勢久留麻社へ向かう途中、偶然、目に入り立派な社だなあ、と思うも車を走らせていたため、一度、諦めたのであるが、伊勢久留麻社より石上社へ向かう道の合、再び松帆社の前を通ることになり、訪問。まるで、楠木正成が呼んでくれたようである。しかし、境内は廣く、立派な隨門が建つ。そしてさらに奧には龜である。阿吽兩方の龜があるということは、狛龜といってもよいであろう。本殿の兩脇には、仁天皇社と宇治皇子社があるが、宇治皇子とは仁天皇に皇位を讓る爲、自ら命を絕った菟道稚子皇子のことであろう。おそらく主祭八幡大の一柱應天皇の御子を祀っているということであろう。しかし、淡路にまさか、楠公緣の社があるとは思ってもみなかったので驚きであった。

熊野社 / 熊野神社

2014年09月14日 01時25分14秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■拜殿■
(23rd November 2012)



★熊野社★ 兵庫県淡路市王子122

・延喜式内社、淡路國津名郡、志筑社、論社。

・舊社格は村社。

・祭は國常立尊、伊弉册尊、天照大(第一王子)。

・創祀年代不詳。創祀については「若一王子熊野より五色の雲に乘り云云」の傳記は殘る。

・鎭座地はを那智山といい、紀州熊野のを祀る。

・延長五年(927)、『延喜式』により、式内小社と定められ、明治初年(1868)まで約千年の、志筑社若一權現の社名で志筑の總社として崇められた。

・明治六年(1874)二月、社制度改定に當り、社名を熊野社と改稱。


■鳥居■
(23rd November 2012)
 


■拜殿■
(23rd November 2012)



■本殿■
(23rd November 2012)

 


■式内淡路十三社之内熊野社元志築社若一權現石碑■
(23rd November 2012)



■末社事解男社■
(23rd November 2012)


・祭は事解男命。


■末社速玉男社■
(23rd November 2012)


・祭は速玉男命。


((コメント))

2012年11月23日

 志築社のある志築に鄰接する王子に鎭座する熊野社である。おそらくは若一、那智の名前が殘ることより現在の熊野那智大社からの勸請であろうと思われる。もともと、瀧を祀りし所なので、そうであれば境内に瀧の代わりになるものを作っていようものであるがそれもないということに疑問を持つ。ただ、個人的には、一般的に式内社の本命は志築社であるらしいが、こちらのほうが境内の氣は良く感じられるので、この社には前身になる社があり、それが志築社でなかったのであろうか、疑問を持たざるを得ない。