■拜殿■
(6th June 2012)
★御津八幡宮★ 大阪府大阪市中央区西心斎橋2-10-7
・舊社格は社。
・祭は應天皇。仲哀天皇、比大を配祀。
・御津宮、島之内八幡宮とも稱す。
・『大阪府誌』によると、仁天皇の難波にをおいた頃、味原にあったのを後世ここに奉祀したとある。
・社傳によれば、天平勝寶元年(749)、京に向うとの八幡大の託宣で、孝謙天皇が敕使を遣わし、筑紫の宇佐宮より京に遷座する途中、はじめて上陸した行宮の蹟に祀ったという。
■鳥居■
(6th June 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/21/c774e039f8ad4dadd15ee14ceeecb933.jpg)
■手水舍■
(6th June 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b4/b1fc265a15afcebbb3e32121b215d788.jpg)
■拜殿■
(6th June 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/3a/473af495f987b62c4a424f648dfa18cf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/00/adcb8d960a1eea664a7ae8f1de6bbab5.jpg)
■本殿■
(6th June 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/cb/bfa89e486c1aed6f0d086a090be8e0fa.jpg)
■末社石宮龍王社■
(6th June 2012)
・祭は倉稻魂命。
((コメント))
2012年6月6日
アメリカ村の一角にある社。宇佐八幡宮から靈が石水に行くときに到著し、行宮となった場所であると聞いていたために、氣になっていたのであるがなかなか行くことができず、ようやく行くことができたところである。元元、このあたりは地名でも殘るように津、つまり港であったわけであり、さすがに境内にはいまだにその名殘が氣として殘っているようである。
ところで、石宮龍王社の祭が倉稻魂であるが、基本的に稻荷のとされているのであるが、龍王でも同じ祭となると、やはり私の考えのとおり、龍王と稻荷は同體と思わざるを得ない。そして、大きく、二種類のものがある。なかなか、祕密の多い祭であることである。
(6th June 2012)
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★御津八幡宮★ 大阪府大阪市中央区西心斎橋2-10-7
・舊社格は社。
・祭は應天皇。仲哀天皇、比大を配祀。
・御津宮、島之内八幡宮とも稱す。
・『大阪府誌』によると、仁天皇の難波にをおいた頃、味原にあったのを後世ここに奉祀したとある。
・社傳によれば、天平勝寶元年(749)、京に向うとの八幡大の託宣で、孝謙天皇が敕使を遣わし、筑紫の宇佐宮より京に遷座する途中、はじめて上陸した行宮の蹟に祀ったという。
■鳥居■
(6th June 2012)
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■手水舍■
(6th June 2012)
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■拜殿■
(6th June 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/3a/473af495f987b62c4a424f648dfa18cf.jpg)
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■本殿■
(6th June 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/cb/bfa89e486c1aed6f0d086a090be8e0fa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/50/9c54903cf2419e887ec2e3e9044486f1.jpg)
■末社石宮龍王社■
(6th June 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/85/b54f4c8eb997de65e4ed595bcae3b047.jpg)
・祭は倉稻魂命。
((コメント))
2012年6月6日
アメリカ村の一角にある社。宇佐八幡宮から靈が石水に行くときに到著し、行宮となった場所であると聞いていたために、氣になっていたのであるがなかなか行くことができず、ようやく行くことができたところである。元元、このあたりは地名でも殘るように津、つまり港であったわけであり、さすがに境内にはいまだにその名殘が氣として殘っているようである。
ところで、石宮龍王社の祭が倉稻魂であるが、基本的に稻荷のとされているのであるが、龍王でも同じ祭となると、やはり私の考えのとおり、龍王と稻荷は同體と思わざるを得ない。そして、大きく、二種類のものがある。なかなか、祕密の多い祭であることである。