の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

天滿宮

2012年03月31日 18時31分43秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■二之鳥居■
(16th June 2011)



★天滿宮★ 長崎県壱岐市石田町石田西触1298および1299

・舊社格は村社。

・祭は菅原道眞、吉祥女、老松殿、豐玉彦命、豐玉姫命。

・創建由緒等不明。


■橋、參道■
(16th June 2011)



■一之鳥居■
(16th June 2011)

 

■參道■
(16th June 2011)



■拜殿■
(16th June 2011)



■本殿■
(16th June 2011)
 


((コメント))

2011年6月16日

 訪問予定ではなかったが、津ノ宮社に行きそびれて、行き過ぎたのを石田小学校の前で氣づき、地圖をチェックするついでに車を停め、境内も訪問してきた。建物的に、壹岐では少ない社らしい社であったように思う。實際のところ、元は天滿宮ではなかった氣がする。

彌佐支刀社

2012年03月23日 04時02分06秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■鳥居、橋■
(16th June 2011)



★彌佐支刀社★ 長崎県壱岐市郷ノ浦町大原触99および100

・延喜式内社、壹岐嶋石田郡、彌佐支刀社。

・舊社格は村社。

・祭は倭建命。『吉野氏系譜』によると、壹岐直眞根子という説有り。

・舊號八劔大明。

・元は太刀丘(度丘)と云う地に鎭座という。

・弘仁二年(811)十月の創祀と傳えられる。

・寛文十二年(1672)九月、御殿の造営。

・元祿十三年(1700)、現在地に遷座。

・仁壽元年(851)、正六位上に敍される。


■橋、拜殿■
(16th June 2011)

  

■拜殿■
(16th June 2011)



■幣殿、本殿■
(16th June 2011)



■池、末社跡■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 志原小学校の脇にあるが、少しわかりにくいところにある。
 雨の爲に橋の上が滑りやすく少し危ない環境にあった。境内は小さく、寂しい感じのところである。

白見瀧

2012年03月19日 17時20分42秒 | 
■瀧■
(9th April 2009)



★白見瀧★ 和歌山県新宮市高田

・落差十五メートル。

・「那智の裏瀧」ともいうらしい。

・『紀伊續風土記』には「白見瀧又は蒼瀧といふ」とある。


■瀧■
(9th April 2009)

  


■熊野川■
(9th April 2009)




((コメント))

2009年4月9日

 奈良側から車を走らせるとやや死角になるところに位置する美しい瀧。横にある素麺屋さんが廃墟になっているところが寂しい。

 那智の裏瀧とも言うらしいが、那智の瀧と關係があるのだろうか。

若宮社

2012年03月19日 15時55分16秒 | 近畿(滋賀、京都)
■一の鳥居■
(24th April 2009)

 

★若宮社★ 京都府京都市北区紫野雲林院町1

・祭は人皇第五十六代清和天皇。

・石清水八幡宮を本宮とする若宮で、提燈等には「若宮八幡宮」と記される。

・源光の邸内にあった鎭守社がその起こりとされる。

・明治初年(1868)に氏子の嘆願で廃社を免れ、昭和五年(1930)の区画整理で社殿を南向きより、東向きに建て直した。

・境内の東南に舊殿があってこの舊社地に「落星水」という井戸があった。今は無い。

・元慶二年(878)、職星野市正源茂光が靈を勸請するにあたり箭を空中に向かって放つと、 忽然と三つの星が落ちてき、袖の中に消えたといい、この靈験により、ここを流星坊と稱すと傳わる。


■二之鳥居■
(24th April 2009)



■本殿■
(24th April 2009)



((コメント))

2009年4月24日

 特に感じるものはない。近くの玄武社の由來と共通する人物、星野市正源茂光の存在が氣になるところである。本來、どちらかが攝社か末社であったのではなかろうか、と思うのだが、真相はどうなのであろう。 



早野巴人墓

2012年03月19日 15時08分44秒 | 歴史上人物の墓所
■早野巴人墓■
(24th April 2009)



早野巴人墓 京都府京都市北区大将軍川端町2 地藏院境内

・江戸時代の俳人で與謝蕪村の師。

・のちに夜半亭宋阿と改める。

・下野國那須郡烏山に生まれる。

・元祿二年(1689)、松尾芭蕉の「奥の細道」の足跡を辿って旅をする。

・江戸に戻ったあと、寶井其角、服部嵐雪の門人となり俳諧を學ぶ。

・辞世の句は「こしらへて有りとは知らず西の奧」。


((コメント))

2009年4月24日

 特に知っている人ではないために思うところはない。ただ、寶井其角の門人というところに縁を感じる。其角は大石内蔵助良雄と懇意であったといい、この地藏院になんとなく赤穗につながる縁を感じなくもない。