の坐すと地と魂の鎭まる地

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近衞天皇安樂壽院南陵 / 近衛天皇安楽寿院南陵

2013年11月24日 08時33分16秒 | 天皇陵、皇族墓所
■御陵■
(3rd March 2012)
 


★近衞天皇安樂壽院南陵★ 京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町

・人皇第七十六代。

・諱は體仁。

・鳥羽天皇第九皇子。母は美門院藤原得子。

・皇后は藤原公能女、藤原長養女の藤原多子。中宮は藤原伊通女、藤原忠通養女の藤原呈子。

・母得子が鳥院の寵愛を受けていたことで、わずか二歳のとき、兄である崇天皇に代わり即位。治世中は鳥上皇の院政が敷かれた。

・病弱で十五歳の時には一時失明の危機にも陷ったといい、このとき、藤原忠通に退位の意思を傳えたという。

・十七歳で薨去。その後、異母兄の後白河天皇が即位し、このことが保元の亂の原因のひとつとなる。

・陵墓には新御塔と呼ばれる豐臣秀再建の多寶塔が使われている。


■御陵■
(3rd March 2012)

 


((コメント))

2012年3月3日

 近鉄竹田駅から線路沿いを南に少し行ったところにある安樂壽院という寺院の南側にある陵が人皇第七十六代近衞天皇安樂壽院南陵に比定されている。この邊りは鳥離宮の一角であったようである。興味深いことに陵には多寶塔が建っており、これをもって御陵としているようである。この形式の天皇陵は初めてであるので少し驚きであるが、なかなか、美しい。病弱で若くして世を去った近衞帝、決して幸せであった人生とはいえない、と思うが、せめてもの手向けなのかもしれない。


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