の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

越中國一之宮社

2011年08月22日 00時15分28秒 | 中部(富山、石川、福井)
■一の鳥居■
(22nd June 2008)



★越中國一之宮社★ 富山県南砺市高瀬291

 南砺市史跡

・延喜式内社、越中國礪波郡、社。

・舊社格は國幣小社。

・祭は大己貴命。天活玉命、五十猛命を配祀。併せて、礪波郡内の氏と越中國内の式内社三十四座のを祀る。

・創建年代、由緒等不詳。景行天皇の御代ともいわれる。

・天武天皇御代、當社へ勅使を遣わされ、その後、光仁天皇寶龜十一年(780)に從五位に、更に清和天皇貞觀元年(859)に正三位、治承四年(1180)に正一位に列されると共に多くの社領荘園があり、皇室の御領にもなったことがある。

・佛混淆の社であり、三百坊の勸學院を擁していた。

・中世、越中國の一向宗徒が光城主の石黒氏を滅ぼし、その領地にあった當社は一向宗徒の支配下に入った。その際、一部の職が雄山社に転じている。その後も、両社の關係は續き、現在、宮司は兼任。

・江戸時代になると崇敬心の厚い加賀藩主の保護により威は昂揚した。


■參道■
(22nd June 2008)



■手水舎■
(22nd June 2008)



■手水鉢内の國史跡高遺跡で発掘された木材の一部■
(22nd June 2008)



■二の鳥居■
(22nd June 2008)



■拜殿■
(22nd June 2008)




■本殿■
(22nd June 2008)



((コメント)) 

2008年6月22日

 雨天の午後五時半と到着が遅かったので、若干暗くなってきていて、何となく重い感があった。期待していたのとは違うどっしりした印象である。雄山社と通じるものがあるのを感じた。手水はユニークで、手水鉢の中には國史跡の遺跡で発掘された木材の一部が沈められている。乾燥すると崩れるので水中に置いているらしい。

常西水社

2010年10月24日 20時24分50秒 | 中部(富山、石川、福井)
■社殿■
(22nd June 2008)
 


★常西水社★ 富山県富山市大山町上滝

・水を格化し、川、湖、泉、井戸などのそばに祀る宮。

・水を祀るといわれる。

・作物も良く實らせることから、女として子孫繁榮や安産祈願の對象にもなっている。

・縣内には暴れ川を鎭める目的で建立された水社が目立ち、小矢部川、通川、常願寺川、白岩川、早月川、舟川などのほとりに縣社庁所属のものを含め八社あるが、ここはその一つ。


((コメント))

2008年6月22日

 雄山社前立社壇から常願寺川を渡り富山市に入ったすぐのところに鎭座している。車からの撮影。

越中國一之宮雄山神社前立社壇

2010年03月06日 17時27分32秒 | 中部(富山、石川、福井)
■神門■
(22nd June 2008)



★越中國一之宮雄山神社前立社壇★ 富山県中新川郡立山町岩峅寺1番地

・延喜式内社、越中國新川郡、雄山神社。

・旧社格は國幣小社。

・霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神、本地阿弥陀如来)と天手力雄神(太刀尾天神剱岳神、本地不動明王)の二神を祀る。

・平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の施設。岩峅寺における立山信仰の拠点であった。

・開祖佐伯有頼が、立山権現の化身である白鷹の泊まった白鷹の断崖の正面に位置し、この地より立山開山の伝説が始まったという。

・武将や公家からの信仰も篤く古来より「立山権現」への献上品はこちらに奉納された。

・脇を日本一の暴れ川と称される常願寺川が流れ、たびたび水害をもたらした事から、現存の規模になっているが、この施設から流されたものが、御神体になって作られた神社が、下流地域にいくつもある。

・現在残ってる本殿は源頼朝が修復・再建を行なったものが受け継がれている。その為か神社の建物に菊の紋章が入っていない珍しい神社である。


■鳥居■
(22nd June 2008)



■参道■
(22nd June 2008)



■拝殿■
(22nd June 2008)




■本殿■
(22nd June 2008)



■岩峅寺湯立の釜■
(22nd June 2008)



((コメント))

2008年6月22日

四つある越中一之宮の一つである雄山神社へと行くことにした。

 峰本社、中宮祈願殿、前立社壇の三つがあるそうだが、私がいったのは、前立社壇である。ちなみに、三つのうち、どちらにいってもご利益は同じだそうだ。ならば、本殿が文化財になっている前立社壇がいいかな、と。

 ということで、ガソリン入れてから南東に車を走らせ、立山橋を渡り富山市から館山町に入ったすぐのところに鎮座する雄山神社前立社壇に到着。雨天というのもあるが川面からは霧が立ち上り、非常に幻想的であった。

 さすが、神仏混淆の歴史を感じさせる雰囲気が境内一面に立ち込めている。興味深い。境内の雰囲気はいささか重い気がたちこめて入るようだ。それは、御神気ではなく、亡者の魂といったほうが近いかもしれない。