の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

木曾三柱社

2011年09月18日 11時08分01秒 | 関東(栃木、茨城、千葉、群馬)
■拜殿■
(15th May 2009)
 


★木曾三柱社★ 群馬県渋川市北橘町大字箱田字宮廻

・舊社格は村社。

・祭は須佐之男尊、彦火火出見尊、保食。

・江戸時代末に下箱田の木曾三社社から分祀。

・獅子舞は「箱田の獅子舞」として市指定重要無形民俗文化財となっている。


■鳥居■
(15th May 2009)
 


■拜殿■
(15th May 2009)
 


■扁額■
(15th May 2009)
 


■札■
(15th May 2009)


・木曾の殘党を思わせる苗字がみられる。


■幣殿、本殿覆い屋■
(15th May 2009)
 


■末社石祠群■
(15th May 2009)



((コメント))

2009年5月15日

 當初、存在は知らなかったが、木曾三社社の前にある案内板で木曾三柱社を発見し、木曾義仲の三男義基や家臣に關係があるようであったので行ってみた。社寶のひとつに木曾義長像というのがあるらしいが、何代目だろうか・・・社の前の家が木曾さんだが、義基の末裔という家の人であろうか。

大國玉社

2011年09月18日 01時17分26秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■參道■
(16th June 2011)



★大國玉社★ 長崎県壱岐市郷ノ浦町大原触1125

・延喜式内社、壹岐嶋石田郡、大國玉社。

・舊社格は村社。

・祭は大己貴、大后、事代主、菅原道眞、吉祥女、中將殿、宰相殿。延寶の式内社比定までは大國魂命を祀っていた。

・弘仁二年(811)、創建と傳わる。

・境内より、祝部土器、彌生式土器が出土している。

・境内に前方後円墳があるという。


■鳥居■
(16th June 2011)

 

■拜殿■
(16th June 2011)




■拜殿、本殿■
(16th June 2011)

 

■本殿■
(16th June 2011)
 


■手水鉢■
(16th June 2011)
 


■末社群■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 社殿自體は壹岐の特徴なのか、基本的に覆い屋風のものがほとんどであり、美しい建物を見ることはない。雨天の爲に、草木が濡れていることで、參道が非常に美しく見えたのがよかった。ところで、燈籠や狛犬のように丸石が參道の両脇に竝んでいることが氣になる。

月讀社

2011年09月05日 22時36分13秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■社殿■
(16th June 2011)
 


★月讀社★ 長崎県壱岐市芦辺町国分東触464

・延喜式内社、壹岐島壹岐郡、月讀社、名大、論社。

・舊社格は無格社。

・祭は中に月夜見尊、左に月弓尊、右に月讀尊。

・延寶の式内社査定以前は、山のと稱し、社殿もないところであり、古い由緒もないところであったが、「ふかつき」「きよつき」という地名があったために橘三喜により、式内名大社月讀社とし、時の藩主松浦鎭信が石祠と木鏡一面を献じたことから、新しい月讀社として當社が生まれた。

・橘三喜の月讀社の査定は誤りであると考えられている。


■鳥居、社號標■
(16th June 2011)
 


■參道■
(16th June 2011)
 


■社殿■
(16th June 2011)

 


■末社■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 延喜式内名大社である月讀社である可能性はないと考えてもよいところであるが、月讀社として、延寶時代に査定を受け、祭祀をされている社であるので行ってきた。壹岐縣主が祀っていたであるのだから、査定ももう少し考えたほうがよかった。確かに、國分寺に近いことも橘三喜は考えたのかもしれない。地名で、この地に月讀神社があったはずとみなし、周囲を探して見つかった小祠が當社であったのであろう。混乱が大きく殘る調査により、多くの社も巻き込まれており非常に由由しきことである。

宗像社

2011年09月02日 21時30分23秒 | 近畿(奈良)
■社號標、鳥居■
(27th February 2009)



★宗像社★ 奈良県桜井市外山818

・延喜式内社、大和國城上郡、宗像社三座、竝名大、月次新嘗。

・舊社格は村社。

・祭は多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、田寸津比賣命。

・伴信友によると、階眞人の祖である市皇子(天武天皇第一皇子)の母が胸形善の女尼子娘であることから、當社は市皇子の外戚の氏として祀られ、のちに、階氏の氏人らが祖として崇めたものであるという。

・鳥見山(登美山)北麓に西面して鎮座で、胸形君一族の勧請とされる。

・太政官符の記述などより、天武朝以前の鎭座とされる。

・『三代實録』元慶四年(880)條には官社に加えられたとある上に、筑前の宗像大社と「同別社」とある。

・『三代實録』元慶五年(881)條には、階從一位勲八等を授かり、筑前の本社に準じて主を置き、階眞人の氏人をこれに任じた、とある。が、それには、様様な事情のためで、元元、天武天皇の御代から、階眞人が累代社務を司っていたのは事實である。ただ、祭祀を怠り、寶を紛失などのことがあったのが背景にある。

・南北朝期に兵火のため、燒失後、興寺の領地となったことから春日明と若宮が勧請され、宗像社はあってなきごときものとされ、江戸期には春日社と呼ばれるにいたったという。 


■修復中の拜殿■
(27th February 2009)



((コメント))

2009年2月27日

 常常、この道を通るたびに氣になっていた社である。車で入れないと思い、いつも、斷念していたところである。偶然、道がすいていて、ゆっくり見ると曲がり道があることに氣づき、いった次第。しかし、不運なことに社殿新築中で本殿もない状態であった。まあ、御靈を遷していようが、いまいが、結局はこの地にいるものなのであるが。まあ、小雨が降っていることもあり、氣はいい感じであった。氣になるのは境内の棒石のようなもの。あれは、大分に行ったときに立ち寄った三女社と同じような、三女を示す石なのであろうか、ということ。氣になるものだ。

一尾背社

2011年09月02日 21時16分34秒 | 近畿(奈良)
■割拜殿■
(23rd December 2008)
 


★一尾背社★ 奈良県五條市北山町249

・延喜式内社、大和國宇智郡、一尾背社。

・舊社格は村社。

・創建由緒祭等不詳。

・高天彦社、高天岸野社、高天佐太雄社の延喜式内社三社と同じく、靈峰金剛山を體としている。

・地元では水分さんと呼ばれているという。

・社殿は平成に入ってからの新築。


■割拜殿■
(6th February 2011)
 


■鳥居■
(6th February 2011)
 


■本殿■
(23nd December 2008)

(6th February 2011)


 


■本殿玉垣脇の末社■
(6th February 2011)
 


■末社稻荷明■
(6th February 2011)




■末社■
(6th February 2011)



■社殿背後■
(23rd Dcember 2008)

(6th February 2011)
 

 
((コメント))

2008年12月23日

 天岸野社を探して、北山のほうに入っていく細い道に車を入れると、川沿いに社があったので行ってみた。

 延喜式内社だそうだ。特別なものは何も感じなく、普通のよくあるような社であった。背後の木が刈られていることも原因かもしれない。

2011年2月6日

 福山からの帰り道、暗くなってはきていたが、延喜式内社でもある一尾背の社もせっかくなので寄っていった。少し民家からも離れており、車もほとんど通らない道なので寂しいところであるが、水の様というべきか、靜かに、小さながお座りになっている。