■鳥居■
(16th April 2009)
★市御縣社★ 奈良県橿原市四条町宮坪761
・延喜式内社、大和國市郡、市御縣社、名大、月次新嘗。
・舊社格は無格社。
・祭は津日子根命。高皇産靈命を配祀。津日子根命は市縣主の祖という。
・創建年代由等不詳。
・近世には、「縣宮」「こけのみや」と呼ばれていた。「縣(こうけ)」は市御縣の畧とされ、舊社名を傳えるものと考えられる。
・市御縣の所在地や範圍は明確になっていないが、市御縣坐鴨事代主社、天市社の鎭座地や小字の「宮毛」「竹市」などの存在より、市郡七(巨勢、波多、遊部、檜前、久米、雲梯、賀美)のうちの遊部、雲梯の二の地域に當たると推定され、『大和志』には「市御縣社在四條村北今稱縣宮所謂遊岡即此」「遊部井在今井村」とある。また、『三箇院家抄』卷四にみえる「市郡西二十五條一里三十五坪二反宮坪」は、條里制の復元から「西二十六條一里三十三坪」と考えられ、現鎭座地のすぐ南の坪に相當する。ゆえに當社が「こけの宮」であったとすれば、同書の延慶三年(1310)の證文によって書寫した」との書入れから、少なくとも鎭座について、鎌倉時代まで遡り、確認できる。
・縣は大化前代の地方行政上の單位とされるが、大和の縣は、「御」の敬稱を付していることからも知られるように、朝廷の料地、直轄地としての性格が强かった。大和には六所(市、葛木、十市、志貴、山邊、曾布)の御縣が設置され、御縣社はその御縣に鎭まるを祀る社であるのだが、當社は、その六社の中で筆頭として、唯一、名祭に預かった。
■社號標■
(16th April 2009)
■拜殿■
(16th April 2009)
■本殿■
(16th April 2009)
((コメント))
2009年4月16日
延喜式名大社市御縣社に比定される小社が今井町を出たところにある。本當に小さな社となっており、寂しく思うものである。式内社であるとすればもっと、廣大な境内であっただろうから、まったく、今は面影も殘していないに違いない。しさも、さほど感じることもなく、社蹟といいたくなるような姿になっていることだけは確かである。
(16th April 2009)
★市御縣社★ 奈良県橿原市四条町宮坪761
・延喜式内社、大和國市郡、市御縣社、名大、月次新嘗。
・舊社格は無格社。
・祭は津日子根命。高皇産靈命を配祀。津日子根命は市縣主の祖という。
・創建年代由等不詳。
・近世には、「縣宮」「こけのみや」と呼ばれていた。「縣(こうけ)」は市御縣の畧とされ、舊社名を傳えるものと考えられる。
・市御縣の所在地や範圍は明確になっていないが、市御縣坐鴨事代主社、天市社の鎭座地や小字の「宮毛」「竹市」などの存在より、市郡七(巨勢、波多、遊部、檜前、久米、雲梯、賀美)のうちの遊部、雲梯の二の地域に當たると推定され、『大和志』には「市御縣社在四條村北今稱縣宮所謂遊岡即此」「遊部井在今井村」とある。また、『三箇院家抄』卷四にみえる「市郡西二十五條一里三十五坪二反宮坪」は、條里制の復元から「西二十六條一里三十三坪」と考えられ、現鎭座地のすぐ南の坪に相當する。ゆえに當社が「こけの宮」であったとすれば、同書の延慶三年(1310)の證文によって書寫した」との書入れから、少なくとも鎭座について、鎌倉時代まで遡り、確認できる。
・縣は大化前代の地方行政上の單位とされるが、大和の縣は、「御」の敬稱を付していることからも知られるように、朝廷の料地、直轄地としての性格が强かった。大和には六所(市、葛木、十市、志貴、山邊、曾布)の御縣が設置され、御縣社はその御縣に鎭まるを祀る社であるのだが、當社は、その六社の中で筆頭として、唯一、名祭に預かった。
■社號標■
(16th April 2009)
■拜殿■
(16th April 2009)
■本殿■
(16th April 2009)
((コメント))
2009年4月16日
延喜式名大社市御縣社に比定される小社が今井町を出たところにある。本當に小さな社となっており、寂しく思うものである。式内社であるとすればもっと、廣大な境内であっただろうから、まったく、今は面影も殘していないに違いない。しさも、さほど感じることもなく、社蹟といいたくなるような姿になっていることだけは確かである。