の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

市御縣社 / 高市御県神社

2015年10月20日 07時01分53秒 | 近畿(奈良)
■鳥居■
(16th April 2009)



★市御縣社★ 奈良県橿原市四条町宮坪761

・延喜式内社、大和國市郡、市御縣社、名大、月次新嘗。

・舊社格は無格社。

・祭は津日子根命。高皇産靈命を配祀。津日子根命は市縣主の祖という。

・創建年代由等不詳。

・近世には、「縣宮」「こけのみや」と呼ばれていた。「縣(こうけ)」は市御縣の畧とされ、舊社名を傳えるものと考えられる。

・市御縣の所在地や範圍は明確になっていないが、市御縣坐鴨事代主社、天市社の鎭座地や小字の「宮毛」「竹市」などの存在より、市郡七(巨勢、波多、遊部、檜前、久米、雲梯、賀美)のうちの遊部、雲梯の二の地域に當たると推定され、『大和志』には「市御縣社在四條村北今稱縣宮所謂遊岡即此」「遊部井在今井村」とある。また、『三箇院家抄』卷四にみえる「市郡西二十五條一里三十五坪二反宮坪」は、條里制の復元から「西二十六條一里三十三坪」と考えられ、現鎭座地のすぐ南の坪に相當する。ゆえに當社が「こけの宮」であったとすれば、同書の延慶三年(1310)の證文によって書寫した」との書入れから、少なくとも鎭座について、鎌倉時代まで遡り、確認できる。

・縣は大化前代の地方行政上の單位とされるが、大和の縣は、「御」の敬稱を付していることからも知られるように、朝廷の料地、直轄地としての性格が强かった。大和には六所(市、葛木、十市、志貴、山邊、曾布)の御縣が設置され、御縣社はその御縣に鎭まるを祀る社であるのだが、當社は、その六社の中で筆頭として、唯一、名祭に預かった。


■社號標■
(16th April 2009)



■拜殿■
(16th April 2009)



■本殿■
(16th April 2009)



((コメント))

2009年4月16日 

 延喜式名大社市御縣社に比定される小社が今井町を出たところにある。本當に小さな社となっており、寂しく思うものである。式内社であるとすればもっと、廣大な境内であっただろうから、まったく、今は面影も殘していないに違いない。しさも、さほど感じることもなく、社蹟といいたくなるような姿になっていることだけは確かである。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。