坊主の戯言

ある日突然なにかが書きたくなったので
わたしが作る、作るとき、作れば、作ろうわたしのためだけの自分勝手なブログ

連想ゲーム好きですか?

2015-08-31 08:13:23 | エッセイ
「ひかるはおやじのはげ頭」で必ず終わるあれです、わたしの場合必ずオッケーに繋がってます。

八方ふさがりに見えても、どこかに抜け道は用意されている、生かされていることが答えだから。

気分がよくなる方法、突飛なことばかり考えて口に出して行動しているわたしがあみだした荒技。

なんだっていいんですよね、自分に与えられた時間の使い道をどう使うかって自分の責任なので。

制限して狭めていくのも自由、どんどん広げて羽ばたくも自由、自分の愛し方は無限にあります。









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前兆

2015-08-29 06:33:57 | エッセイ
確実だと思ってもあれ?ってとき、しようって思ってもできないときは、さっさとあきらめる。

逆にしようと思ってなくても、いきなり繋がったりするなら、こっちかな?ってそっちを選ぶ。

情報とか欲しいものとか自分に必要なものだったら、調べなくても探さなくても手元にくるし、

用意も準備しなくても、なんとなく気になったら先に買っとく、あとであげる人が現れるから。

だから素直に喜んで受け取ってく。全て信頼して流れにお任せしたほうが不思議とうまくいく。

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幸せの形

2015-08-26 07:40:55 | エッセイ
理想を追わなくていい、そこに気付いたとき、たくさんのひとが言う、それは間違ってるって。

そんなわけないとみんなは言う。毎日たぶんいっぱい言ってくれて、そうなのかもなとも思う。

そのうち合ってるのか合ってないのかわからなくなるけれど、幸せってねシンプルな気がする。

ひとが笑顔になる瞬間を見ることだったり、それもなにかするのではなく自然にね、生きてく。

好きな自分でいられること、そして目の前の好きなひとにも好きなようにしてあげられること。

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タイムマシーン

2015-08-25 08:14:00 | エッセイ
悪いもの探偵団みたいになってるときって、ブロックしている真犯人は自己否定感満載の自分。

どこにも敵や妨害しているものなんてないし、色眼鏡かけると見たくないものは見えてこない。

ヒントをもらって応援してもらって、問題をすり替えて向き合わずに無視しちゃいたいのかな。

いけないと思ってしまう自分を許したり、そこから本当の自分と同化を学んだりする前お祝い。

もったいないよ~と過去の自分につっこむ、想いを受け止めてもらえたら安心して成仏してく。

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特大の愛

2015-08-24 12:17:28 | エッセイ
恐ろしいと思ってる瞬間って、望んでない未来を小さな脳のなかで創造しているだけに過ぎない。

そう考えてみると不快も愉快だ。陰のような光も光のような陰も、見方を自分で選択してるだけ。

いいわるいなど最初から存在などしていなくて、あとから足した過去の意味付けには意味がない。

プラスもマイナスも、そうしたかったら、してもらってまったく構わないというスタンスだもの。

動植物は愛でる力が命がけ、厳しさに隠されたでっかい優しさと包容力、人間も見習っていこう。

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恩返し

2015-08-24 08:01:27 | エッセイ
魂がなんて言うとオッソロシイ響きだけど、人生が続いていく目的や願いは非常にシンプルだ

喜んでいたい。え?それだけ?。。。はい、それだけ。愛せないをひっくり返すことが豊かさ

もうやってられないをひっくり返し、許せないをひっくり返す、信じられないをひっくり返す

笑顔に変えてしまうことが出来るあらゆる機会、黒も白もありがとうに繋がってく摩訶不思議

自分をあの手この手で喜びを味わわせる使命、まわりへの恩返しであり智慧を使う最幸の手段
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エゴは肥やし

2015-08-23 09:07:45 | エッセイ
大人が好きじゃない子供だった、決められた性別が好きじゃなくて、勉強することも好きじゃなく

なんにも好きじゃないって、一体どれだけわたしは天の邪鬼なんだろうとずっと今まで思ってきた

でもふと気が付いたことがある。なにものにもならないように、無意識に心がけてきたのだと思う

善の意識がスーパー自意識過剰すぎる。やっていたことが、強烈に猛烈にひとり舞台の茶番すぎる

だから今ラクチン、どんなものだといつどこで言われようが、わたしの価値はわたしが知っている

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一元論

2015-08-22 22:21:28 | エッセイ

反する感情が必ずある、足したいのに掛けたり割ったりしたら、事態はもれなくややこしくなる。

放っておいてほしくて、放っておいてほしくない、放っていないように放っておいてほしいのだ。

自分のことってイチバンわかっているようで、わからなければわからないほど可愛く思えるもの。

ときには理解不能&操作不能で、恨めしくなるときもあるけど、期待に応えてあげたいなと思う。

なにをやらかしてものど元過ぎればなんとやら、いっぱい遠回り体験させてあげようじゃないの。




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真逆なもの

2015-08-22 21:50:45 | エッセイ
見た目とのギャップがあるほど楽しいし、今日と昨日の違いがあるほどに、さらに面白くなる。

ははーん。真逆なものって圧倒的な風なんだけど、それ自体がどちらも正解でどちらも大好き。

ひとって欲張りだったり、ワガママなのが、イチバン自然なこと。気分がいいって正しいこと。

誰かが教えてくれた綺麗なへ理屈なんかより、実際に感じたことのほうがよっぽど馴染むから。

自分で考えてるより、わたしたちは正直で素直。やりたいことしか出来ないように出来ている。









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至福

2015-08-19 07:17:58 | エッセイ
喜んでるひとがいるから、嬉しくなってしまうのか?はたまた喜んでしまうと、嬉しくなるのか?

ということは、喜ぶも嬉しいも喜ばせるも嬉しくなるも、みんな同質なら順番などなんでもいい。

きっと物事自体に深い意味はない、喜ぶのが好きか、そうじゃないことが好きか、それだけの差。

痛いのばかり気にしていたらすごい痛く感じる、幸せばかり気にして生きていたら幸せに感じる。

いろんな角度で楽しませてもらってる、いろんな場所を潤してもらってて、満たしてもらってる。



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