坊主の戯言

ある日突然なにかが書きたくなったので
わたしが作る、作るとき、作れば、作ろうわたしのためだけの自分勝手なブログ

不幸の手紙

2006-07-31 15:27:10 | エッセイ
学生の頃って、チェーンメールが流行って(で、忘れた頃にまた流行る)
あれ誰が考えたんだか、誰が始めたのか、アメリカにもあるんだよね。
それと同じ内容を何人に出すと、幸せになれるとか不幸になるとか
要は、自分さえ良ければ他の人はどうなってもいいってことよね?

わたしそういった考えが許せなくて、不幸の手紙ストッパーでした。
正義感からというよりは、いいこと思いついた!
出さないと不幸になるって思ってる子自体は悪くないし
気にならないわたしが止めればいいだけだから的な、
簡単な理由から、よく不幸の手紙の類いをもらってきた。

というか、いいこともわるいことがまわりで起こるのも
ぜんぶ自分の責任だし、気持ちの持ちようですから。
人のせいにしたり、運命のせいにしたり、それはそれで自由なのだけれど
手紙一つで、人生変わっちゃうような、そんな生き方はやめましょうよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツラの皮

2006-07-31 13:16:20 | エッセイ
近頃忙しい。自分の意志とは反して、忙しくしているので
わたしが大好きな時間を無駄に使ったり、自由人や暇人になる暇さえない。
化粧しては、さっと落とす、化粧しては、さっと落とすを
毎日繰り返しているので、きっと私の顔はいくぶん分厚くなっている事だろう。
ということはノンフィクションで、ツラの皮が厚くなっているに違いない。
いっそのこと、能面みたいなので構わないので(造形も問いません)
それを付けてさらりと涼しい顔で、街へ出掛けたいものだ。
写真をながめてると、眉毛の流行なんてものがあるから時代がバレる。
崩れなければ、直す必要もないからわりと手ぶらで出掛けられる。
いっそのこと、服のように顔も、毎日取り替えられたほうがいいのに
それぞ、私流のタイムイズマネー法。
えっ?時間が短縮できて素敵だとは、誰も思わない?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい日本語

2006-07-28 08:52:01 | エッセイ
日本語がおかしくなるほど、英語なんて使ってないっつーのに
なんだか、正しい日本語がしゃべれる外国人に会うたびに、きょ、恐縮です!
いいの、でもねえ、たぶん、きいっと(まるで薬師丸○ろ子のようだ)
日本人なのになんで日本語が片言?って思われるんだろーな。恥ずかしい。
読み書きも、しゃべりもどんどんおかしくなっていく。この悩み年々深刻化してる。

日系のスーパーで、やたらカタカナだらけ(日本語発音の英語って意味ね)で
しゃべりまくってる、日本人でもアメリカ人でもないご年配のおばさまたちが
妙に新鮮だったのが早10年前。もとがもとだけに(いま笑ったのだれ!?)
しっかりわたしの日本語も、十分怪しくなってるみたいです。ハイ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天災科学者

2006-07-27 12:06:07 | エッセイ
これわたしが小学校の卒業文集に載せた,将来の夢デス。
ちなみに私、科学者ではありません。あしからず。
お嫁さんとかスチワーデス(スチワーデス物語の世代だもんね)
ケーキ屋さんとかお花やさんとか、女子のかわいい字で書かれた中に
混じった「天才科学者になる」の人一倍無意味にでっかい文字。
オイオイ、12歳のわたしへ。その夢は渋過ぎじゃあないか?
天才は自分で天才というわけないじゃあないんだ。。アホっぽいぞ。。
七夕の短冊に、命がもっとたくさん欲しい!と書いてニコニコで見せたら
担任に、やんわりと無難なことに書き直させられて、当時不思議に思ったけど
思いっきり浮いていたに違いない。うーん、天才というよりは天災のほうか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由人

2006-07-26 19:28:14 | エッセイ
わたしの考える自由人ってのは、自由なことをしてる人というよりは
いつでも自由な考えでいられる人のほうが、イメージに近い。

いわば真っ白なキャンパスが心の中に、いつも用意してある人。
いつも泉や明かりを絶やさずにいられる人。
真実や自分自身をうつす鏡をピカピカに光らせておける人。
子供のようにアンテナを立てて、気が付くとそれを受信してる人。

自由人でいるということには、ときには変な人に思われたりするので
日本にいた頃は自由人でいるには、ちょっぴり勇気がいった。
同じだったらダイジョウブとか、みんなでやれば怖くないといった
日本って横並び意識が強いのは、なんでだろう?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目ヂカラ続編

2006-07-25 13:44:23 | エッセイ
わたしの中で、かなり目が熱い!(今日限定で、笑)
目がすわる、泳ぐ、曇る、肥える、盗む。。
けっこう目に関する慣用句っていうの、改めて考えてみると多いものなのね。
晴れたり、立ったり、転んだり、走ったり、ジャンプしたりもするかも?
はたまた点になったり、飛び出たり、光ったり、回ったりと、
いやはや聞いてるだけでもこっちも忙しくなりそう、ご苦労様といった感じ。
でも、どんなにかわいくても、子供を目に入れたら痛いだろうに。
(注意)よい子は真似しないように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目チカラよりも目ヂカラ

2006-07-25 13:43:47 | エッセイ
夢を見た、どこかで会ったことのあるなつかしい目だった。
わたしは昔昔のその昔から、目の力が強い人が好きだ。
なにかしら芯があるというか、屈折しててもいいからちゃんと光があって
堂々と正面から相手に発するものを持ってるひとがいい。
たとえそれが、ネガティブでもポジィティブでも、正義でも悪でもかまわない。
どう判断するかなんて人それぞれ、そんな物差しや色眼鏡で人を見ようとは思っていない。
人に有無を言わせぬような、そのひとの存在感はやはり目に宿るように思う。
服装や姿勢や仕草、地位や、発する言葉、思想なんてもので
自分をごてごて飾ってはみても、やはり年をとればとるほどに目に見えて顔に出る。
妬んだり、羨んだり、蔑んだり、そういう生き方は、あまりしたくないし
昨日やった事でもなく、明日やろうとしてることでもなく
いま、ここで、自分が出来る事はなんだろうか。
たった一日でも一秒でも無駄にしたくないな、とそう思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人つながり

2006-07-25 08:59:11 | エッセイ
小学生の頃は、本気で、必死に友達と遊びまくった。
遊ぶのも、本を読むのも、友達も先生も、学校も塾も大好きだったな。
みんなの心が通っていて、今思い出してもワクワクする。

それなりに乱暴な子もいたし、意地悪な子も、嘘つきな子もいたけれど
元気ないよ、平気?と気にかけてくれる上級生や、近所の人がいたりして
イヌが死んじゃったときは、友達も一緒に泣いてくれた。
わたしの母はわりと自由にさせてくれる人で、子供だけで旅行したり
ひとりっこの私を思ってか、よくお楽しみ会みたいなのも開いてくれた。
ゲームしたり、なにか作ったり、写真とったり、演奏して録音したり
庭にテントを張ったりしたっけな。

きっといろんな問題があって、毎日それなりに悩んだりしていたはずだし
喧嘩や仲間はずれだって、ごくフツーにあったように思うけど
子供の中で、ちゃーんと役割やルールが決まってて
大人が口を出すほど、いざこざがあった記憶はない。

大人が子供を、子供は大人を、お互いがお互いのことを
尊重したり、信頼したり、思いやったり、助けたり助けられたり
実はあのとき学んだことが、大人になってから役に立ってる気がする。
特になにも考えずになんとなく育ったわたし。
自然と、人とのつながりを学んできたのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クーラーなんて大嫌い

2006-07-24 00:37:28 | エッセイ
熱い夏の夜は最高に嫌いだけど、クーラーはもっと嫌いです!
その気障なネーミングもムカつくし
冷やしてあげてる、みたいな、その上から目線が納得できない。
なんだか使う時点で向こうの勝ち、みたいな(ひねくれててゴメンナサイ)
朝ちょっと喉が痛くなってたりする時点で
クーラーにも、現代文明にも負けるみたいでシャク。

だって暑い時は、アイスノンでしょう!

それでもダメなら、冷凍庫で顔を冷やす。
くだらないことしてる感じが○。

いつでも、クーラーなしの環境に対応できるようにいるわたし
ちょっと地球にやさしいでしょ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーバーヒート虫

2006-07-24 00:26:39 | エッセイ
体と脳がオーバーヒートすると、なんだか無性に気分がいいときがある。
これ以上はもうなにもできません!って感じが、わりと好きだ。
走った事はないけど、ランナーズハイはこんな感じなのだろうか。

わたしにとって、過剰なやさしさというのは甘さや甘えだ
人にやさしく、自分にも甘い、というのは自分が優しくしてほしいから
というような、弱さに見えてしまう。
かといって、自分に厳しいからといって、他人に厳しくするのも
ちょっとギスギス音がたちそうだし(少なくてもわたしの性には合わない)
自分に厳しく人にやさしくなんて、なんかキレイごとっぽくてウソっぽい。

こないだ、友達が「わたしは自分にやさしくて、他人に厳しい」って
言ってるのを聞いて、この人はなんだかとてもいいこと言うなあ、と思った。
簡単なようで、自分にやさしくするってすごく難しいのよ。
それに他人に厳しく出来るって、ほんとうにやさしい人にしか出来ない気がする。

オーバーヒート気味なわたし、ちょっと語ってしまった。(しかも早朝)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする