わたしは、書くことが好きだけど、見えないことをそのまま書くことが
ときにはとても甘くやさしく、ときにはとても残酷な遊びであり、病でもある
じゃれてるつもりが、こんがらがった毛糸球にもつれているようだもの。
なにかが心で交わらないと、文字はぴたりとも動きだしてくれないし
言葉がひとりで浮いては静まるのを待つ、その感覚を時々思い出し
あるのは、心地よい音と模様を並べること、ただただそれを楽しんでいる
わたしがいつもわからないで大切にあこがれて続けているものも
わかっていることも、きっとわたしのどこか一部ではなく
どこかの一部であるわたしだからだろうと思う。
ときにはとても甘くやさしく、ときにはとても残酷な遊びであり、病でもある
じゃれてるつもりが、こんがらがった毛糸球にもつれているようだもの。
なにかが心で交わらないと、文字はぴたりとも動きだしてくれないし
言葉がひとりで浮いては静まるのを待つ、その感覚を時々思い出し
あるのは、心地よい音と模様を並べること、ただただそれを楽しんでいる
わたしがいつもわからないで大切にあこがれて続けているものも
わかっていることも、きっとわたしのどこか一部ではなく
どこかの一部であるわたしだからだろうと思う。