昨日は、前回たどって見失った「古隅田川」の川筋を再チャレンジ。
おまけに綾瀬川の遡行トライも兼ねたので、車で走る。
古隅田川は今の隅田川の河畔(上は首都高)に建つ水神様(隅田川神社)の近くに流れ込んでいたらしい。
実母の女学校時代の友人が水神様の先代の奥さんということで、ここには少なからず思い入れがある。
母が亡くなる前にこの水神様や近くの木母寺を訪ねて歩いたので、とても懐かしい気分。
↓ 水神様の守護神は亀。
墨田区側には、もう殆ど川筋は残っていないので堀切橋を渡って小菅に至ろうとすると、「ここに流れていたらしい」とろくさんが足立区柳原と曙町の間あたりに車を止めた。
左は京成のガード、右は東武線のガード下。京成は関屋~堀切、東武は牛田~堀切のガード下。
なんともこのあたり地霊のさまよう匂いがぷんぷんする。おかしなとてもおかしな土地の交差具合で空気がひんやりしている。
ふたつのガードのちょうど間あたりに十一面観音様の御堂があったりする。
京成ガード下の案内板には確かに水路跡の道があると読める。ところがこの道は東武線の
下で行きどまる。
で、ぐるっと迂回して元の道の続きに戻る、と堀切橋につながる道。
堀切橋をおりると小菅の東京拘置所。拘置所への新しい道(南側)の手前の小さな道を入る。
拘置所を外から見る。立派でびっくり!最近工事が終わったのか真新しい道路が走っている。向かいには「差し入れ」のお店。
古隅田川には古堰があり、これは拘置所の北側を流れていてこの流れが綾瀬川にぶつかり下流にUターンして大六天排水場に行きつくのかもしれない。。
そして南側にも川筋と思しき道あり。これこの通り、ちゃんと橋桁の標柱跡が対面で残っていた。これは嬉しい発見!
↓ 拘置所前の道路から曲がって入り組む小さな道(写真右)が古隅田川の川筋とかんがえたくもなる。
↓ 西小菅小学校の裏手にあった橋の欄干跡。銭座橋、と読める。
そして昔日の川筋は見事に綾瀬川に尽きあたるのだった。ここが綾瀬川との合流点と思われる。
ここから迂回して水戸橋を渡る。(注:渡ったのは新しい水戸橋。旧水戸橋今は通行止め。
新水戸橋は、架けられた順は2番目。このへん川の名前と同じでたいへん紛らわしい)
すると前回やってきた「大六天排水場」にでくわし、親水公園として古隅田川が姿を再び現す。
そこからは前回のブログにある通り。またまた薬師寺に参って車を止め、白鷺橋まで歩き、本来はここからぐぐっと綾瀬駅にまっすぐに北上する川筋を確かめる。
↓ 白鷺橋から北上する綾瀬駅方面へ流れた古隅田川の跡を望む。
現在、親水公園はこの白鷺橋から上に行かずもう一度綾瀬駅からぐぐっと南下してくる川筋にショートカットしている。つまりUターンの真ん中で水路を新しく作ったのだろう。
↓ 手前に設けられた柵の方向をまっすぐに行くと綾瀬駅(旧来の川筋)
現在は写真左に水路が作られショートカットされている。
車に戻り綾瀬駅に向かい東綾瀬公園をひと回りして白鷺橋に戻る。前回はこの道の激しい南北の蛇行の道がわからず行かれなかった川筋である。ただし、南下する道は今日では難しくたぶん間違った道を走ったかもしれない。(が、本当は現在親水公園として工事が着手されている!、と後で知った^^;)
たぶん、川がUターンしたあたりと思われる東綾瀬公園。
ここからは暗渠が多くなるが西亀有で再び路上に出て常磐線の高架をくぐり線路の北側に出る(ここも前回間違えた道)北三谷の落ち着いた街に入ると大きな道のカーブが続き、はっきり昔の川筋とわかる。橋の標柱が10メートルくらいおきに昔の位置とほぼ同じく建て替えられて立っているのを見た時は、鳥肌が立つくらいゾクゾクと嬉しかった。
ここは相当に大きな曲がりで舟が曲がり切れず宝物とともに沈没した、と説明板は伝えている。
この大曲を過ぎるとみえてきたのがおなじみの葛西用水(曳舟川)の大谷田の大水車のある四つ角!!
地理的にいえば交差するのは当然だけど、やはり実際に昔の川と水路が交差する地点に立つと、頭の中のCG画像がぐるぐる回って倒れそうなくらい感激する。
ここから細い川筋をたどり還状七号を渡り常磐線の高架をくぐって亀有の駅近く。
あららら、たどって走ると時々買物に来るショッピングセンターの亀有アリオが近づいてくる!
え~?古隅田川は中川から分かれているとはわかってたが、こんなに近いの?
アリオのそばに香取神社がある。この神社は平成14年ごろ中川橋の架け替え工事によって内陸側に移転。まだアリオが日本板紙工場であった頃の話である。
そして、なんと、この香取神社の脇を古隅田川が流れ、今のアリオの駐車場入り口の前を通り、向かいの大きな公団アパート(マンション?)の真ん中を貫いていた!
↓ 公団の真ん中の道。この曲がりは間違いなく川だ!
間違いなくここが川筋だと、それを示す公園の名前を見た時も胸躍る思い・・。よくこの「古隅田川」の名前を残してくれたものだと。
古隅田川は下流からずっと葛飾区と足立区の境を流れていた。だからこのアリオの向かいの公団アパートも二棟に分かれ右が葛飾区、左が足立区になっている。
もう「は~、へ~、ほ~???!!!」が100回くらい連発である。
公団のど真ん中を通って裏側に出ると少し勾配があって、見事に中川にぶちあたるのだ。
勾配は流れの落としであろう。
土手に上がれば見慣れた中川
ここにも古隅田川が葛飾区と足立区を分けた証拠のこんな立て札が金網に貼ってある。
↑
ふたつの説明板はちょうど川幅と同じくらい(5~6メートル)の幅を隔てて表示してある。
↓
何度も古隅田川と中川土手の間を行ったり来たりして川の分かれ道の様子を想像する。
楽しい。
さて、今日の続き「綾瀬川をたどる編」はまた後日書くことにするが、亀有から今度は東西まっすぐに綾瀬川につながる道を走っていたら、西亀有3丁目交差点付近の分かれ道にこのような案内板が!
なるほどここが旧水戸佐倉街道、古隅田川に近寄って続く道でいうまでもなく綾瀬川を渡る水戸橋に続いている。
しかし、直線距離で中川⇔綾瀬川間は車でわずか10分ほど。それが古い川筋をたどって走ったり歩いたりして4時間ほどかかった。なんたるモノ好き^0^!
なお、今回の川筋探索に際して、古地図の紹介など多大な協力をしてくださった断腸さんに心より感謝申し上げます。
地図は、以下が便利です。
時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ2」(無料ソフト)。
http://ktgis.net/kjmap/
明治以降の各時代の地図を見ることができます。
HPを始めた頃に江戸時代、明治、大正、昭和、ずいぶん地図を買いあさったんですが字が細かくて点眼鏡が必要^^;。
ネット上だと見やすいですね~[E:scissors]、ただし作るスキルがあるか不安。
なくなったものを知るという、この面白さは実際にたどってみないとわかりませんね。時間の層がいくつもいくつも想像の中でかさなっていくのだから。
綾瀬川は越谷まで行きましたが、これもおもしろかった!始点の桶川まで到着したらまた書きますね。